ライトノベルベスト はるか・9
『離婚から三ヵ月 伝法さん』 
東側の席をとったのは失敗だった。
お日さまがまともに入ってきて、窓ぎわにさらしたした二の腕が、チリチリと音をたてて焼けていくような気さえする。
ブラインドを閉めりゃいいんだけど、わたしは新幹線の270キロのスピードで四ヶ月に近い時間をを巻き戻しているんだ。
玉串川沿いの八幡さまにお賽銭に託して捨ててきたはずの東京のはるかを、たぐり寄せ、巻き戻していた。
捨てた東京での十七年間の人生の重さを感じたのは、新大阪の駅を車両がスーって感じで動き出したとき。わたしの身体からホンワカもスーっと消えていった。
基礎練習でやった「悲しみのメソード」に似ていた。
上顎洞(上あごの上の空洞)の中の液体が急速に冷えていき、喉、胸、お腹、脚を伝って床に流れ出していくイメージ。思わず、前の席のステップに足を乗せるくらいのショックだった。
そして気がついた。東京のはるかを巻き戻さないと、とてもお父さんには会えない。東京のホンワカはるかに戻らなければ。
これほどの違いがあるとは考えもしなかった……怖いよ……だれか側に付いていて欲しい……。
そのだれかの視線を感じたのは、怖さが限界に達しかけていた浜松あたり。
「はるか……か?」
「あ、先生……!?」
なんと……大橋先生が通路に立っている。
「「なんで?」」
同時につぶやいた。
互いに説明し終えたのは静岡のあたりだった。
先生は、わたしのタクラミを。わたしは先生が東京と横浜の出版社に行く途中であることを理解した。
先生はトイレに行って、席に戻る途中でわたしを見つけたそうだ。
最初はタキさんのタクラミかと思った。
だって、同じ日、同じ時間の新幹線。そして同じ車両だなんて。
でも、最初から知っていたら、もっと早めに声をかけていただろうし、ズボンのチャックを閉め忘れることなんて、なかったと思う。
「先生、チャックが……」
と、言ったときの慌てようは、演技ならアカデミー賞もの。あわてて前を隠した手には男性向け週刊誌。セミヌードのオネエサンが、わたしにウィンクしていらっしゃいました……。
先生には、比較的冷静に話すことができた。
三回目だっていうこともあったし、玉串川以来、半分見透かされていたようなこともあった。
そして、なにより、わたしの方がしゃべりたかった。タクラミへの自信が揺らぎに揺らいでいたから。
「さっきの顔は、玉串川の倍は深刻やったで。最初はよう似た別人やと思た」
「今は、もう大丈夫でしょ?」
「……最初にプレゼンで会うたときの顔やなあ」
「またスポットライト当てます?」
「いいや、ピンフォローする」
「え……ピンスポットがずっと付いてくるやつですか!?」
というわけで、先生は出版社の用事を後回しにして、わたしを荒川までピンフォローすることになった。
我が人生の最大のやぶ蛇だ……。
東京駅に着いてさらにびっくりした! ホームに、伝法のオネエサンが立っていた。
「坂東はるかちゃんね?」
「は、はい」
張り込みの刑事に発見された犯人て、こんな気持ち……。
「で、あなたは?」
伝法さんは先生を見とがめた。
「あ、わたしは……」
先生も気圧され気味のご返答。
「ちょっと確認させていただきます」
伝法さんはケータイを手にした。
「もしもし、タキさん。仕込みの最中にごめん。いま東京駅。うん、はるかちゃんはメッケ。でも、それにさ……」
話の最後に大爆笑して、伝法さんはケ-タイを切った。
「さ、行きましょうか、大橋先生、はるかちゃん」
伝法さんは、さっさと歩き出した。
その五分後、ケータイのアドレスを交換して、わたしたちは伝法さんの車の中。
「大橋先生も、新幹線、タキさんに頼んだんでしょ?」
「ええ、昨日電話がありまして『明日、東京の出版社行く予定あったよなあ』て……」
「さすがに、となりの席ってわけにはいかなかったようですけど、同じ車両にしたんですね」
「あいつ……」
同感です、はい。でも、このおかげで楽になったんだけどもね。
「まあ、半分お遊びの賭け。半分は……フフ、そういうタキさんてかわいいですね」
大人の関係ってムズイよ。
「申し遅れました、わたし渡辺真由って言います。編集の仕事やってます。トモ……はるかちゃんのお母さんとも古いつき合いです」
ブオオオオン!
アクセルを踏み込んで、うしろの車の追い越しを阻止。20キロオーバー、負けん気つよそー……。
「荒川についたら、お任せしていいんですよね」
「そのつもりです。古里とはいえ事情が事情ですから」
「よかった。わたし午後から、編集会議だから……先生、今夜はお泊まりなんですよね?」
「ええ、そのつもりですが」
「じゃ、はるかちゃんと同じホテルにしときますね」
「でも、予約してありますから」
「キャンセルしときます。同じ系列だから」
「え……?」
キュンキュンキュン!
タイヤをきしませて交差点を曲がった。
「あ、父が経営してるんです。大橋先生、こういうのって苦手だから、いつも人任せでしょ」
……でしょうね、今時ケータイも持たない原始人だから。
「はるかちゃん、どのへんに着けようか。いきなり家の前ってのもなんでしょう?」
「わがまま言ってすみません。千住図書館に行ってもらえます」
「あら、返し忘れた本でもあるの?」
「いいえ、借りにいくんです。千住の空気を」
「ハハ、さすがトモちゃんの子ね。表現が文学的だ」
「いえ、文字通りなんです。荒川の子に戻るには、新幹線速すぎましたから」
それから五分ほどで、車は図書館に着いた。
「じゃ、わたしはこれで。なにかあったら遠慮無くケータイで」
爽やかな笑顔を残して、伝法の真由さんの車は走り去った。
五ヶ月ぶりの千住図書館。
高安の図書館にもなじんだけど、ここの図書館は特別だ。
五歳で越してきてから、十二年間。何百冊の本を借りただろう。休日はたいていこの図書館。たまにお父さんが荒川に紙ヒコ-キを飛ばすのについて行くこともあったけど、まあ、どっちもどっち。あとはガキンチョのころ遊んだスサノオ神社(字が難しくて、いまだに書けません)くらいのもの。
「高安の図書館よりすごいなあ」
先生も嬉しそうだ。
「じゃあ、行ってきます。お昼までには戻るつもりですけど、十二時まわるようなら、ケータイに電話してください」
「はるかのケータイの番号知らんでえ」
もう、この原始人!
「……はい、これです」
メモに書いて渡すと、いそいそと(我が家)を目指した。
図書館から四つ角を曲がると(我が家)だ。
角を曲がるたびに懐かしさがこみ上げてくる。
「よう、はるかじゃねえか!?」
四つ目の角を曲がってすぐ、ご近所の仲鉄工のおじさんが声をかけてきた。
「あいかわらず四人でやってるんですか?」
「ハハ、今は一人で二人分働いて四人前だけどよ。ま、心意気だよ。心意気」
やっぱ、厳しいんだ……。
「まどかちゃん、元気ですか?」
つい、幼なじみのことを聞いてしまう。まどかちゃんの番号は、悩みに悩んで、引っ越しの朝、新幹線の中で消去していた。四つ目の角を曲がって、わたしはほとんど千住の子に戻っている。
「あ、さっきまでいたんだけどよ、部活とかで出てちまったとこだよ。分かってたら、言っといたのによ」
「ううんいいの、半分出来心で寄っちゃったから」
半分は残念で、半分ホッとした。ここで幼なじみに会ったら、ここまで突っ張っていたものが一度に崩れてしまう。
「ところではるか、おまえんちだけどよ……」
そこで、おじさんの肩越しにお父さんの姿が見えた。
「お父さーん!」
「はるか……」
「「「あ……」」」
三人同時に声をあげていた。
一瞬、時間が止まったような気がした……?
それは刹那のことで、次の瞬間にはお父さんに抱きついていた。
お父さんが、手にした段ボール箱を落とした。
え……インクの匂いがしない。輪転機の音がしない……。
『はるか 真田山学院高校演劇部物語・第五章』より