徒然草 第五十六段
久しく隔りて逢ひたる人の、我が方にありつる事、数々に残りなく語り続くるこそ、あいなけれ。隔てなく馴れぬる人も、程経て見るは、恥づかしからぬかは。つぎざまの人は、あからさまに立ち出でても、今日ありつる事とて、息も継ぎあへず語り興ずるぞかし。人あまたあれど、一人に向きて言ふを、おのづから、人も聞くにこそあれ、よからぬ人は、誰ともなく、あまたの中にうち出でて、見ることのやうに語りなせば、皆同じく笑ひののしる。いとらうがはし。
をかしき事を言ひてもいたく興ぜぬと、興なき事を言ひてもよく笑ふにぞ、品のほど計られぬべき。
人の見ざまのよし・あし、才ある人はその事など定め合へるに、己が身をひきかけて言ひ出でたる、いとわびし。
これは人付き合いについての兼好のの意見、感想というか、処世術ですね。
久しぶりに会った人に、自分のことばっかし喋りまくるのはアカンと言います。
「おれさ、あれから、あんなこと、こんなことあってさ。そんでよ……」
という具合で、自分の事しか言わない。会話で大事なのは、いかに人の話が聞けるかにある。
わたしも久方ぶりの人は、まず相手の話を聞くことにしています。
教師をやっていて身に付いたことであります。
懇談などやっても、「お子さんの成績がどうのこうの」などとは始めません。
「お家のほうでは、いかがですか?」から始める。
「いや、ちょっとも言うこと聞きませんわ」
「どんな話をしはるんですか?」
あとは、出てきた話に合わせます。
「いや、うちの主人が、ちょっとも子どものことやら、家のことは言わしませんねん」
ああ、このお母ちゃんは、かなり自分の亭主のことに不満があるなあ、と知れます。
ひとしきり、亭主の棚卸しを聞く。長くなりそうだったら、こう提案する。
「お母さん、なんやったら、別に時間とってお聞きしましょか」
十人に一人ぐらい「そうしてもらえます!?」になる。
そう答えたお母さんの大半は、それだけで終わりになる。
ごく稀に、本当に、もう一度やってくるお母さんがいます。最長で、六時間喋っていったお母ちゃんがいました。子どもへの不満から始まり、果ては自分の半生記を語り出す。
それをとぎらせず、ひたすら聞く。黙って聞いていてはいけない。「ほー」とか「それから?」とか合いの手を入れる。「大変でしたなあ」「よう辛抱しはりましたなあ」などと親和的な言葉も挟む。
生徒に対しても同じで、相手の言葉から、話のトッカカリをつかんで話を聞きます。
男子生徒が、女子生徒を叩く現場に出くわしたことがあります。当たり前なら暴力行為で、すぐ生活指導室に引っ張っていき、事情聴取、そして主担や生指部長に報告、で、停学処分となります。周りに他の教師や生徒もおらず。二人が個人的関係であることも承知していました。「夫婦ゲンカやったら外でやってくれよ」から始めました。女の子の表情も伺う。涙目ではあるが、「二人のことやねん」と目が言っています。
で、二三日様子をみる。夫婦ゲンカは収まっている。で、時を置いて聞いてみる。
「なんでどついたんや?」
「しょうもないこっちゃねん。こないだ待ちきっとったら用事できて行かれへんかってん。ほんなら、あのブス、ムクレよったさかい」
「あほか、おまえら」
「エヘヘ……」
と、話して収まりがつく。
これ、普段から生徒との関係ができていて、また生徒同士の関係を承知していなければできない芸当であります。
よそのクラスの懇談で、こんなことがありました。たまたまPTAの担当だったので、その懇談に来たお父ちゃんのグチを聞くことができました。
「子どもを、私立の大学にやりたい言うたんですわ……」
「ほう、で、なにか?」
「担任のセンセ、いきなり『三百万用意してください。四年間でそのくらいかかります』ですわ」
子どもにしろ、親にしろ、私学の大学に行かせるのには、それなりの葛藤があったはずです。なんせ、わたしの学校は進学と就職が半々なのです。まずは、進学と決めたことへの敬意を持ち、経緯を聞かなければならりません。そのお父ちゃんは、息子の進学のため自動車の買い換えを諦めたそうなのです。そんな話を食堂でうどんをすすりながら伺いました。
先日、ご主人の母国フランスに帰る女友達の送別会を六人でやりました。前述したような会話のコツを心得たもの同士であったので、話題の振り方も程よく、互いの近況をほぼ等分に聞くことができました。わたしは高校演劇関係でカタキを作りすぎると意見されました。友人は、日本人がいかにフランスを尊敬しすぎているかについて述べ、間接的にフランスに行くのがイヤだということをおもしろおかしく話してくれました。この友人の子どもは三人いますが、上の二人は日本に留まり、上の子は自衛隊に志願するとのことで、一般論としては賛成。個人的には「もうちょっと考えたほうがいい」と言っていました。これから先、自衛隊は体と命を張った任務が増えそうだからとの心配からです。
よき人の物語するは、人あまたあれど、一人に向きて言ふを、おのづから、人も聞くにこそあれ(本当にできた人の話は、大勢の人に語っているようでも、一人一人に語りかけているようでいいんだよなあ)
こんな人は少なくなった。
先の大震災のおりの天皇陛下(いまの上皇陛下)のお言葉など、これであったように感じました。そういうと「おまえはカタヨッテいる」と言われます。陛下は当時の石原慎太郎都知事が「被災地のお見舞いは、皇太子殿下にお任せになっては」との意見具申にいちいち頷かれ、会談の終わり、会場の出口で立ち止まられ、こうおっしゃったそうです。
「やはり、被災地へは、わたし自身で行きます」
さすがの石原氏も汗顔であったそうです。こういう話に日本人はドンカンになってしまいました。兼好の時代の日本人は、人の話を聞くアンテナの感度が、今の日本人よりよかったのではないかと感じてしまいます。鎌倉仏教が隆盛になったのは、兼好のオッチャンより少し前の時代でありましたが、感度がよかったからこそ、日蓮、法然、親鸞などの「よき人」の話が素直に入ったのではと想像します。今の時代ならば中程度の新興宗教で終わっていたのではないでしょうか。