大橋むつおのブログ

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らいと古典・わたしの徒然草46『強盗法印』

2021-03-14 06:15:48 | 自己紹介

わたしの然草・46
『強盗法印』     



徒然草 第四十六段

 柳原の辺に、強盗法印と号する僧ありけり。度々強盗にあひたるゆゑに、この名をつけにけるとぞ。

 上京区の柳原のあたりに、強盗法印と、あだ名を付けられた坊主がいる。度々強盗に遭うため、こんなあだ名が付いたそうだ。

 口語訳するとこれだけであります。

 いろんな人が意訳しておれれます。この坊さんは優しい人で、貧しい人を見れば、放っておけず、身ぐるみ脱いで与えてしまう。寺にかえって「どうなさったんですか!?」と、聞かれると、「いや、そこで強盗に遭っちゃってさ……」と、はにかみながら誤魔化していた、という人情話めいたものから、しょっちゅう強盗に遭っている不用心な間抜けな坊主である。というものまで。

 この段は、前の四十五段と対になっており、あだ名のおもしろさを言っているのだと思います。四十五段の「榎木の僧正」が、気短で了見の狭い坊主のことを言っているので、この「強盗の法印」は逆のイメージの坊主のことを言っていると受け止めるとバランスがとれるのですが、たった二行では、まったくの想像にしかなりません。

 あだ名については、前号で書いたので、ここでは話を広げて名前について、タワムレに考えてみたいと思います。

 中宮定子は、学校では「ていし」と習いました。もう五十年前の話です。そのころNHKの歴史教養番組で、「さだこ」と読んだ説が有力であると聞いて、教育実習で「さだこ」という説もあると言って、担当の先生に叱られました。
 今は「~子」と書いて「~し」ではなく「~こ」と読むのが主流になりつつあるようで、その後制作されたNHKの大河ドラマ『平清盛』では、女性の名前を「~こ」と呼んでいました。
 NHKの大河ドラマは、第一作『花の生涯』から観ています。実に六十年間……日本史の教師になろうと思ったのが、この番組ですので、わたしには意義深い番組であります。
 歴代の大河ドラマの中で、固有名詞の言い方が変わってきました。パッと思いつくもので、秀吉のカミサンの名前が「ねね」から「おね」に変わりました。浅井長政が「あさい」から「あざい」になりましたし。記憶は定かではないのですが「定子」のたぐいは再び「ていし」と呼んでいたような気がします。

 平安時代からは千年ほどもたってしまったので、当時の日本語でドラマをやるわけにはいきません。ちなみに、平安時代は濁音の前には「ん」が入ります。ゆうべは「ゆんべ」 そうだは「そうんだ」になり、前半分の「そう」が弱くなり「んだ」になる。勘のいい人はお分かりになるでしょうが、東北弁にこの音則が残っています。東北弁こそが、原日本語の姿を多く残していると言われるのです。そのせいか、東北弁を聞くと、なぜか心がゆったりとくつろいできます。『スゥイングガールズ』は、この東北弁でなければ、あれだけの人気は出なかったでしょう。また『三丁目の夕日』のロクちゃんの堀北真希は、東北弁であったればこその存在感でした。実際彼女がこの役に抜擢されたのは東北弁に堪能であったからだそうです。

 話がそれています。要は「定子」を「ていし」と読む感覚です。この読み方は、古くは本居宣長あたりに由来すると思うのですが、それをそのまま二百年以上、そのままに受け継いできた学者先生の感覚は、普通の日本人の感覚からはズレているように思います。古典に関しては素人のわたしなので、いわゆる有職読みの規則は分かりません。しかし分からないことは強いことでもあります。飛躍するようですが、分からなかったこそ、学校で唯物史観を刷り込まれることもありませんでした。だから、日の丸、君が代には、優等生的な偏見がありません。

 名前でいうと、西郷隆盛の名前は隆盛ではありません。「隆永」というのが本当の諱です。明治になって戸籍が新しく作られるとき、西郷さんは忙しいので友人に役所に行ってもらいました。で、江戸生まれの戸籍係は、こう聞きました。
「西郷さんの諱(いみな=普段使わない本名)はなんですか?」
「セゴどんの 諱なあ……隆盛じゃっどん」
 と、うろ覚えで答えました。 諱などは、めったに使いません。西郷どんは通称吉之介で、日ごろは『吉之介さー』と呼ばれています。
「おいの 諱は隆永じゃっど。隆盛は祖父様の諱じゃ。アハハ」
 で、すんでしまいました。弟の従道にいたっては、もっと傑作です。
「では、西郷さんの弟君の諱は、なんと申されますか?」
「あれは、隆道(たかみち)じゃっどん」
 これが江戸っ子の役人には聞き取れません。で、役人は聞き返しました。
「音読みするれば、リュウドウじゃ」
 役人は、これをジュウドウと聞き間違え「従道」と、なりました。
 以上は、司馬遼太郎さんの文章を読んで覚えたことですが、日本人の名前に対する感覚が象徴的に現れていると思うので紹介しました。

 話が、飛んで申し訳ありませんが、いまの子たちのムツカイ名前はなんとかならないでしょうか。

 寿里亜(じゅりあ)はまだしも、穣(じょ-) 星菜(せれな) 稀星(きらら)などはお手上げ。昔も読みにくい名前はありましたが、ファッション性ではなく、親の子どもへの思いがこもっていました。
 西条八十(さいじょうやそ)などは、生まれた子に苦(九)がないようにとつけられたそうです。

 


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