徒然草 第四十三段
春の暮つかた、のどやかに艶なる空に、賤しからぬ家の、奥深く、木立もの古りて、庭に散り萎れたる花見過しがたきを、さし入りて見れば、南面の格子皆おろしてさびしげなるに、東に向きて妻戸のよきほどにあきたる、御簾の破れより見れば、かたち清げなる男の、年廿(二十)ばかりにて、うちとけたれど、心にくく、のどやかなるさまして、机の上に文をくりひろげて見ゐたり。
いかなる人なりけん、尋ね聞かまほし。
兼好は、時々覗き見をするようです。第三十二段にも似たようなことが書かれていました。前回は女性でしたが今回は若い男です。
今の価値観、道徳観では、この覗き趣味は軽犯罪になるでしょう。現に著名な劇作家兼詩人が、このデンで逮捕されています。なんとかというユニットのメンバーで、その後バラエティーの司会などをやったオッサンも、逮捕されました。
しかし、当時は平安の匂いがまだ残る鎌倉時代末期です。都のお屋敷など、広いばかりで、塀も破れて垣根も隙間だらけ。そういうところに分け入って覗いても今ほどには、とがめ立てされることはなかったようですね。そうでないと源氏物語の光源氏などは捕まってばかり。だいたい恋愛そのものが成り立たなくなります。
しかし、この四十三段は若い男……なのです。
賤しからぬ家、庭なんか、花が散り敷かれ、格子や妻戸も程よく開けてあったり閉めてあったり。御簾(スダレみたいなの)の破れ目から、なかなかイケメンの二十歳ぐらいのニイチャンがリラックスして、読むともなく本を広げちゃってる。ヤバイよ、カッコヨスギだよ! ということになるようです。
悪くとれば、兼好にはオネエ趣味があったのか……などと思い、三十二段の女性への思い入れと矛盾……いや、両道の達人であったのか!?
I wish I were……という表現が、英語にあります。
I wish I were a bird(わたしは鳥になりたい)つまり、なれもしないものになりたい気持ちを表現する時の言い回しです。
兼好は、これを表現したのではないでしょうか。
「 いかなる人なりけん、尋ね聞かまほし」
どんな素性のニイチャンか聞いてみたい。だれか知らないかい? と結んで、実は、ふと、街中で見つけたお屋敷を見て、兼好は妄想しました。
――こんな、お屋敷なら、こんなニイチャン(自分の憧れ)が住んでいたらいいなあ。
兼好のオッサンにも、当然青春時代があったわけでして、二十代のころは、後二条天皇の母基子を出した堀川家の家司(執事)になり従五位の下になりますが、殿上人としては最下位。まして、平安時代ではなく、傾き始めたとはいえ鎌倉時代。今で言えば、伝統会社ではあるが、時代に乗り遅れた会社の庶務課長のようなものです。ウツウツとするものはあったでしょう。
「おれは、格式ばかり高くて、しみったれた会社の庶務課長で終わる男なのか……」
有職故実(朝廷のしきたり)に明るく、和歌を始め文学的才能にも恵まれていた兼好。人付き合いもいいほうで、いろいろ才能のある何でも屋でありました。
表面的には、出家遁世するまでは機嫌よく仕事にも励んでいたでしょうね。
「え、吉田兼好(かねよし)さんが、辞めた!?」
当時、近親の人たちからは、そう思われ、驚かれたことと思います。
「や、なんとなくね、そんな気になっちゃって。やだなあ、皆さん、そんな大騒ぎしちゃって。アハ、アハハハ」
なんて具合に煙に巻きながら、内心はドロドロであったのではないでしょうか。
――なんで、おれは、こんなに調子いいんだろう。もっとさ、正直にサ、タソガレちゃってもいいんじゃねえのか……この偽善者のヨシダカネヨシ!
それが、ふと街中で見かけた趣味の良い、他人様の家を見ただけで、妄想が膨らんじゃったんじゃないでしょうか。
わたし自身、ちょっといい若い人の本を読んだり。若い役者のお芝居を観たりすると、こう反応する。
「なかなかの出来やん。どんな人?」
と、西田敏行のような気の良さで聞いてしまう。
ただ、わたしは兼好のオッチャンほどには自己韜晦(才能などをひけらかさないで飄々としていること。しかし、わたしは、才能に乏しい、もしくは無きに等しいので、この言葉は、わたしには当たらないかも)できないので、後輩、同輩の皆さんにこう言われる。
「あんたは、顔は笑うてても、目えは笑うてへんもんなあ」
で、小人閑居して不善を為す……の格言通りの駄文を書いております(^_^;)。