急な寒さもひと段落、今日は秋晴れの1日になりそうです。
昨日名都美術館さんの小野竹喬展に伺って参りました。
竹喬の産まれた岡山県笠岡市にある竹喬美術館さん所蔵の作品を前期後期に分けて展示される展覧会です。
13歳で京都に出て、すぐに竹内栖鳳に師事した小野竹喬は、それから約75年の画業を直向きに歩き続けた画家です。
土田麦僊、村上華岳などとともに、西洋画に多大な影響をうけながらも、東洋の美に立ち返り、更に60代、70代と竹喬独自の画境を深め、87歳での文化勲章授賞後間もなく他界するまで、「絵は造るものではなく、生まれるもの」という心の風景を真摯に描き続けた画家の作品は、いつも穏やかで伸びやかなリズムを刻んでいるように感じられます。
竹喬は、決して「絵の上手い」画家ではなかったように思います。
けれど、戦争の前後に多くの家族を失うなど今では想像もできない苦労をされながらも、どんな時も絵を丁寧に描き続ける事のできた竹喬に、神様は美しい「色の発見」をお与えになった気がします。
上の画像、「山桜」は昭和22年58歳頃の作品 「樹間の茜」は昭和49年85歳、そして少し不思議な作品「春の芽」は昭和51年最晩年の87歳の作品です。
最も竹喬らしいと言われる作品は、殆どが70代〜80代に制作され、その作品群は現在日本画最高峰の評価を受けていますが、そうした評価とは別に、七十代、八十代に見る「風景」はいかなる物であったのか?今回改めて小野竹喬の作品に触れ、私は歳を重ねていくことに少し安心というか、楽しみを感じることができたように思います。
技術的にはすでに衰えを見せているこの最晩年の作品ですが、竹喬は死を恐れることなく、最後まで絵を描くことに幸せを感じ続けた
大変立派な画家であったと思えます。自然が全てを教えてくれ、全てを受け入れてくれることを信じることのできた画家の幸福がその筆を通じ、私たちのも伝えわってくるようです。
後期展示は11月10日(火)より始まります。
竹喬の明治、大正時代の比較的若い頃の作品をご覧になるのでしたら前期に、竹喬の代表作品を主に御覧になられるのでしたら後期にお出かけになられます事をお勧め致します。
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