午前中、交通事故の際搬送された病院へ、その後の経過を診断
してもらうために行ったのですが、脳外科の担当医は休診日で、
明日になるというので、診察を受けずに帰宅しました。
今日も、右手の傷の回復を図るため、パソコン入力は最小限に
留めることとし、一昨年4月に千葉県印西(いんざい)市をカントリ
ーウオークしたときのレポートを報告します。
============================
2005年4月3日(日)
![](http://clip.alpslab.jp/bin/map?pos=35/49/47.368,140/5/31.465&scale=500000)
手賀沼沿いの桜に期待して企画された例会で、集合はJR成田
線木下(きおろし)駅。参加者は25人、5組に分かれ、10時15分
にスタートした。
わがグループは、駅東側の踏切を渡って大森の住宅地に入り、
南に進んで国道356号を越える。突き当たりの印西市役所は
思ったより大きく、りっぱな庁舎だった。
県道4号の西側に回り、屋敷林の多い住宅地に入る。民家の
裏手にある幹の径1m以上の大きなコブシが花盛り。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/af/c8e881f02c0d9ca9742ff80ba46ec38c.jpg)
南に進んで長楽寺へ。慈覚大師により永和年間(834~48)に
創建という古寺。本堂西側のりっぱな鐘楼に下がる梵鐘は、足利
時代の応安2年(1369)に寄進したものだという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/4e/dcf1c5cb5a7fe5eac659d629a1244328.jpg)
広い境内に、背の高いコブシ、ヒカンザクラ、ゲンカイツツジ、
ミモザなどが咲いていた。根が複雑にからまった常緑樹や、太い
イチョウなどもある。
南側の田園地帯に出た。田のあぜに、スイセン、オオイヌノ
フグリ、ヒメオドリコソウ、ナズナなどがたくさん咲き、流れ際には
おいしそうなセリが見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/7e/f384400767cbdb27c75944a606349866.jpg)
田んぼの南端を西に向かう。田のあぜにはツクシが出ていて、
その先ではオオイヌノフグリがじゅうたんのように一面に咲いて
いる。
大きな長屋門の旧家がある鹿黒集落を北西に進み、八幡神社
の先を下って谷地田に出る。田んぼが尽きて雑草地となり、道
が途切れた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/e7/17c3448b99cd571304b538da4de3ca3e.jpg)
芦原をかき分けて段丘上に上がり、人のようにも見える変わっ
た枯れ木の横から、畑のあぜを抜けて泉集落に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/65/4aa30f3b1a49bd3190a6b53f28dff8bf.jpg)
鳥見神社の前に、庚申塔が幾つも並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/84/7ca0972e6196d31016b785a412fe220e.jpg)
集落の南側から再び谷地田を抜けて西側の和泉集落へ。集落
の中心を貫く稜線上の車道に上がり、途中から見えていた泉倉寺
に回り込む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/25/df0391702c5aac677fa67e4db71e962c.jpg)
りっぱな本堂とよく手入れされた庭園があり、白いタンポポが
一輪だけ咲いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/24/0d1bb96409b17e0c038549fa12ea29f0.jpg)
ゆっくり見たかったが、昼食地までの時間を考慮し、すぐに出た。
近くにあった表示に従い左折、民家の植え込みと気持ちよい林
間を抜けると、趣あるかやぶき寄せ棟づくりの宝珠院観音堂があ
った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/9b/735906d9b776d797946b2b0c7dbd6fb0.jpg)
堂内の墨書から、室町後期の永禄6年(1563)の建立とされて
おり、国重文である。境内には、ご神木になっている観音杉と呼
ぶ太きな杉も立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/78/87b02204dcf9bf1d774d686f03ba3d80.jpg)
西に下り、次の谷地田を北西に抜け、12時16分に昼食地の
松山下公園に着く。すでにほかのグループは到着していて、大
テント下のテーブルを囲んで食事中だった。
13時10分すぎに出発、午後は全員一緒に歩く。西側の本郷
集落に上がり、県道59号を越えて北側から永治小の校庭を抜
ける。
校庭の真ん中に、以前NHKーTVで放映されたという大きな
八重桜があったが、まだつぼみだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/fe/4accfa44b7c4a9566d4907bd6730c7fd.jpg)
学校のすぐ南に、月影の井というのがある。近くにあった龍屋
城主、大菅豊後守守正うぶ湯行水の井と伝えられているという。
長屋門が2つ並ぶ宮内や、御手洗集落の南側を進み、丘陵地
の西側の田んぼを抜けた。「田舎の香水」が匂う次の台地に上
がり、白井聖地公園に入る。公園の南端でトイレ休憩にした。
本郷集落で、西側の斜面林下の細道を北に向かい、田園地帯
を進んで南手賀沼の南岸に出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/f1/7b864aff538bd684d9ccb633c9ca945b.jpg)
「のっこみ」と呼ぶ産卵期のようで、へらブナが芦辺でバチャ
バチャと体を踊らせている。沼の西側では、釣り人が何人か糸
を垂れていた。
沼の西端から、金山落と呼ぶ用水沿いに若木のソメイヨシノが
続いている。今日はここでの花見を期待したのだが、開花が遅目
の今年は、まだつぼみだった。
1㎞あまり進んで南の名内集落に回り、東光院で休憩。本堂内
には、元亀2年(1571)作の木造地蔵菩薩立像があるという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/47/ff5c26ba7ab47136b0ad0fbdb3a83716.jpg)
用水まで戻って北へ、ツクシがあぜ道にいっぱい咲く下柳戸から
柳戸まで進み、車道を北に上がって15時48分に手賀の丘公園下
のバス始発点に着いた。
予定のバスは、4月からの改正で無くなり、次は17時16分。
公園内に入りしばらく休憩して時間を待ち、始発点からバスで
柏駅に向かった。
(天気 晴、距離 16㎞、地図(1/2.5万) 龍ヶ崎、小林白井、
取手、歩行地 印西市、白井市、柏市(旧沼南町))
してもらうために行ったのですが、脳外科の担当医は休診日で、
明日になるというので、診察を受けずに帰宅しました。
今日も、右手の傷の回復を図るため、パソコン入力は最小限に
留めることとし、一昨年4月に千葉県印西(いんざい)市をカントリ
ーウオークしたときのレポートを報告します。
============================
2005年4月3日(日)
手賀沼沿いの桜に期待して企画された例会で、集合はJR成田
線木下(きおろし)駅。参加者は25人、5組に分かれ、10時15分
にスタートした。
わがグループは、駅東側の踏切を渡って大森の住宅地に入り、
南に進んで国道356号を越える。突き当たりの印西市役所は
思ったより大きく、りっぱな庁舎だった。
県道4号の西側に回り、屋敷林の多い住宅地に入る。民家の
裏手にある幹の径1m以上の大きなコブシが花盛り。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/af/c8e881f02c0d9ca9742ff80ba46ec38c.jpg)
南に進んで長楽寺へ。慈覚大師により永和年間(834~48)に
創建という古寺。本堂西側のりっぱな鐘楼に下がる梵鐘は、足利
時代の応安2年(1369)に寄進したものだという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/4e/dcf1c5cb5a7fe5eac659d629a1244328.jpg)
広い境内に、背の高いコブシ、ヒカンザクラ、ゲンカイツツジ、
ミモザなどが咲いていた。根が複雑にからまった常緑樹や、太い
イチョウなどもある。
南側の田園地帯に出た。田のあぜに、スイセン、オオイヌノ
フグリ、ヒメオドリコソウ、ナズナなどがたくさん咲き、流れ際には
おいしそうなセリが見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/7e/f384400767cbdb27c75944a606349866.jpg)
田んぼの南端を西に向かう。田のあぜにはツクシが出ていて、
その先ではオオイヌノフグリがじゅうたんのように一面に咲いて
いる。
大きな長屋門の旧家がある鹿黒集落を北西に進み、八幡神社
の先を下って谷地田に出る。田んぼが尽きて雑草地となり、道
が途切れた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/e7/17c3448b99cd571304b538da4de3ca3e.jpg)
芦原をかき分けて段丘上に上がり、人のようにも見える変わっ
た枯れ木の横から、畑のあぜを抜けて泉集落に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/65/4aa30f3b1a49bd3190a6b53f28dff8bf.jpg)
鳥見神社の前に、庚申塔が幾つも並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/84/7ca0972e6196d31016b785a412fe220e.jpg)
集落の南側から再び谷地田を抜けて西側の和泉集落へ。集落
の中心を貫く稜線上の車道に上がり、途中から見えていた泉倉寺
に回り込む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/25/df0391702c5aac677fa67e4db71e962c.jpg)
りっぱな本堂とよく手入れされた庭園があり、白いタンポポが
一輪だけ咲いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/24/0d1bb96409b17e0c038549fa12ea29f0.jpg)
ゆっくり見たかったが、昼食地までの時間を考慮し、すぐに出た。
近くにあった表示に従い左折、民家の植え込みと気持ちよい林
間を抜けると、趣あるかやぶき寄せ棟づくりの宝珠院観音堂があ
った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/9b/735906d9b776d797946b2b0c7dbd6fb0.jpg)
堂内の墨書から、室町後期の永禄6年(1563)の建立とされて
おり、国重文である。境内には、ご神木になっている観音杉と呼
ぶ太きな杉も立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/78/87b02204dcf9bf1d774d686f03ba3d80.jpg)
西に下り、次の谷地田を北西に抜け、12時16分に昼食地の
松山下公園に着く。すでにほかのグループは到着していて、大
テント下のテーブルを囲んで食事中だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/18/832cd52536786a6f1f172c7fd953badf.jpg)
13時10分すぎに出発、午後は全員一緒に歩く。西側の本郷
集落に上がり、県道59号を越えて北側から永治小の校庭を抜
ける。
校庭の真ん中に、以前NHKーTVで放映されたという大きな
八重桜があったが、まだつぼみだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/fe/4accfa44b7c4a9566d4907bd6730c7fd.jpg)
学校のすぐ南に、月影の井というのがある。近くにあった龍屋
城主、大菅豊後守守正うぶ湯行水の井と伝えられているという。
長屋門が2つ並ぶ宮内や、御手洗集落の南側を進み、丘陵地
の西側の田んぼを抜けた。「田舎の香水」が匂う次の台地に上
がり、白井聖地公園に入る。公園の南端でトイレ休憩にした。
本郷集落で、西側の斜面林下の細道を北に向かい、田園地帯
を進んで南手賀沼の南岸に出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/f1/7b864aff538bd684d9ccb633c9ca945b.jpg)
「のっこみ」と呼ぶ産卵期のようで、へらブナが芦辺でバチャ
バチャと体を踊らせている。沼の西側では、釣り人が何人か糸
を垂れていた。
沼の西端から、金山落と呼ぶ用水沿いに若木のソメイヨシノが
続いている。今日はここでの花見を期待したのだが、開花が遅目
の今年は、まだつぼみだった。
1㎞あまり進んで南の名内集落に回り、東光院で休憩。本堂内
には、元亀2年(1571)作の木造地蔵菩薩立像があるという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/47/ff5c26ba7ab47136b0ad0fbdb3a83716.jpg)
用水まで戻って北へ、ツクシがあぜ道にいっぱい咲く下柳戸から
柳戸まで進み、車道を北に上がって15時48分に手賀の丘公園下
のバス始発点に着いた。
予定のバスは、4月からの改正で無くなり、次は17時16分。
公園内に入りしばらく休憩して時間を待ち、始発点からバスで
柏駅に向かった。
(天気 晴、距離 16㎞、地図(1/2.5万) 龍ヶ崎、小林白井、
取手、歩行地 印西市、白井市、柏市(旧沼南町))