あのコルトを狙え

TOKYO2020 子供たちに負債を(笑)

「学歴社会」・・・

2023-10-06 10:41:32 | (旧車)

大学行けば良かった・・・

私はホテル専門学校を卒業しただけだ。 

世の中は今でも学歴社会だと思うがそれを後悔はしていない

していなかった・・・

していないつもりだ・・

でも

この歳になって大学を出ていれば良かった、と後悔に苛まなれる

でも今更どうしようもないじゃないか

今更・・・

夜も悩み昨夜は9時間しか眠れませんでした

そんな事を感じてしまったのはこの映画を観てしまったからだ

東宝映画 1969年12月6日公開

当時のアイドル 内藤洋子さんが主演の青春映画です。

大学に入り自動車部に入部するのですが、その車部のクルマが

こちらなのであります!

もろタクシーの中古 タク上がりでトヨペットクラウンRS40の後期型!!

旦那!客待ちしている訳じゃありませんぜ!

新入部員を車部の部長さんが教習指導します

コラムシフトにリングホーン

ギアの入れ方を教えるのに肩に手を回すセクハラ式指導

からかいに来る部員の部車は

自動車部なのになぜかルーフウインカーが備わる

チェッカーグリーンの塗装のまんま

部長は脚をガン見 すると

睨まれています。そもそもなぜ真ん中に座っている?

これまた希少な40クラウンのパレード用だったのでしょうか。

お椀キャップじゃないですね。

どう見ても 速水もこみちさんに見えて仕方が無い東山敬司さん

この作品は140コロナさんが絶賛し説明をしてくれたのですが

タク上がりだった事を示す場面

センターピラーの金属片。タクシーで透明な板を防犯ガード板で使い取り付けていた跡だそうです

ジャッキアップはバンパーに掛けるタイプといのも懐かしい(私は実際に使った事はないけど)

やっぱりホイールは鉄チン純正ですな

トランク内が写るのですがプロパンボンベがあるのかと思っていたのですが

それらしいものは見えません。ガス車じゃなかったのかこの個体(オレンジ)だけなのか。

外装とトランクの色が違う所がタクシー上がりっぽい。

画面は変わって

当時最先端ニューモデル コロナマークⅡ

画面奥には50系クラウンが見えます

話しは大学構内に戻って

自動車部の練習風景

当然だがタクシーの中古、廃車「タクアガリ」なので

部車にはヤレが感じられます。

三角窓に貼られるステッカーが何なのか気になります。

無事免許が取れました、の図

右の女性は加山雄三さんの奥様 松本めぐみさん

免許を取ったばかりの若者をターゲットにする自動車セールスマン

背景の代書屋さんの趣きも懐かしい

タクシー上がりの低グレードクラウンRS40が「部車」なんて

たぶん二台はガス車ですよ!

こんな大学の自動車部に私は入りたかった。

どうみてももこみちさん

deluxeなクラウンRS41とは違うstandardクラウンRS40ならではのガラスゴム

モールが入らない姿が潔い。

車体が長いイメージですが短くも感じる

見よ!この低グレードっぷりなクラウンRS40!

連貼りせずにはいられない低グレードの味わいをおわかりいただけただろうか

↓ ↓ 過去にブログでも取り上げたクラウンRS40ガス車と同型です。

クラウンRS40ガス車の事

 

【つづく】(え?まだやるの?画像が無駄に多過ぎ、とか言わないでお付き合い下さい

    これでも画像を半分にしたのです

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二月の旅行記 【終】

2023-09-11 11:26:00 | 

それからは阪堺線に乗りに行きプラプラしとりました。

併用軌道を見るとコルトを持ち込みたくなる

レールとバイアスタイヤが擦れるあの感触を味わいたい。

 

天王寺駅を10年ぶり(もっとか?)に訪れたら

さすがに変わっていました。

わあ、懐かしい!昔の思い出を今は楽しく思い出します。

あべのハルカスなんて当時は無かったもの。近鉄百貨店だったな。

昔、とってもお世話になったホテル。

ロビーや地下に入ると忘れていた思い出も蘇りました。

そして帰ります。

帰りは「ぷらっとこだま」のグリーン車です。

「新幹線にグリーン車に長く乗っていられる」のが

好きな方には最高なプランです。

以上 2月の旅行記でした。

140コロナさん ありがとうございました。

【終わり】

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喫茶店「マヅラ」

2023-09-09 22:20:17 | 

翌日は再び大阪市内へ戻る。

YT140コロナさん「ぜひ連れて行きたい喫茶店がある」

ほほぅ!?

大阪駅前に復刻塗装のバスを発見

側面も「バス窓」が再現されています

形式とか全く分からないが古いバスは好きなので見られてラッキー!

余談だがこれも古いそうな

方向幕が「幕」だ!

さて案内されたのはこちら

その存在をかつて知っていて10年以上前に訪れたのだが

時間が合わなかったのかこの入口まで来て引き返したのを思い出した。

この人形を見て思い出した

喫茶店好きには有名な「マヅラ」

開業当初とあまり変わらないそうです。

レトロな喫茶店がナウなヤング世代には流行っているようで

若い方が多かった。

140さんは

私は・・・

コーヒーのみ

いや、貧乏だからではなく(笑) ホテルで朝のバイキングが美味しかったので

ひたすら食べてしまったからプリンとか無理だったんですよ

ここに来てプリンやナポリタンがあると知っていれば軽くにしといたのに

にしてもこの伝票もステキだ

70年代の雰囲気がムンムンです

なんといっても喫茶店で煙草が吸える、というのが嬉しかった

ふだんは吸わないのです。

 

【続く】

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尼崎へ

2023-09-09 00:21:00 | 

大阪市内のホテルに泊まろうとしていたのですが取れず

尼崎のホテルに泊まります。

乗った電車がこちらなのですがこれも今では少ないそうで幸運でした。

ホテルに着いた頃には胃の調子も復活し部屋で二次会となりました。

尼崎から大阪を望む夜景もキレイでした。

 

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久しぶりの大阪

2023-09-07 22:14:30 | 

先日の投稿で「京急の型式は『系』ではなく「形」と呼んでいます」

とのご指摘を頂きました。

そういえば20年以上前に聞いた事がありましたが

それは私が「鉄道マニア」ではない、という証でもあります(笑)

 

約20年ぶり?(だと思う)に訪れた新今宮は様変わりしておりました。

駅前を出ると駅前にはジェットコースターのある建物があったのですが

 

なんと今はドンキになっていた。

約20年ほど前は月1で大阪に行っていた頃と比べると浦島太郎状態な変りよう。

↑かつてのフェスティバルゲート時代↑(2006年)

なによりあの頃の剣呑な雰囲気は薄れ若い人達が多く私のような観光客が溢れていました。

お店も新しく出来た「くしカツ屋」ばかり

(2006年頃)

あの頃のあの店はもう無いかな?と諦めていたのですが

 

あった!

喜んで入ると変わらず地元の客層で

店員さんも途中で見かけたお店のような若い方ではなく

昔からおられるような年季の入った店員さんです。

(2006年頃)

このお店は140コロナさんも知らなかったようで喜んでくれました。

しかしこの時、私は一瞬体調不良で殆ど飲食が出来ない状態

ここでヘベレケに酔えなかった事が残念でなりません。

それにしても懐かしいです。

「スパプー」ここも懐かしいです。

 

昔の画像を探したのですが初期のHDDが「物理的な故障」により殆どの画像が

ありません

修復業者を探しておりますが皆様の中で

お薦めのHDD修復会社がございましたら教えて頂きたいのであります。

 

【つづく】

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二つのケーブルカー

2023-09-06 22:03:35 | 

それから案内されたのは

八栗ケーブルというケーブルカー乗り場

あいにくの雨で他のお客さんは殆どおりませんでしたが

いつかは見たいと思っていたこの車両

駅舎も60年代な造りです

 

 

 

 

 

 

 

鉄のサッシ?が懐かしい

 

山頂の駅舎内でかつての記念切符が展示されており

こんな所でコルト1000の名前に出会うとは

駅前あった外灯

良きスタイルです

欲しいなぁ・・・

 

「さて降りますよ」

え?もう?(汗

もっとユックリこの駅舎や周辺の雰囲気を味わいたいと思っていたが

「乗ってきたケーブルカー」で引き返す

 

いかにも60年代、なお顔

東京オリンピックの年 1964年製でした

 

電話で呼んだタクシーが来るまで駅舎や廻りを存分に眺める

味のある食堂もあったが夕飯があるので断念。

続いて向かったのはもう一つのケーブルカー乗り場

乗り場だが「元」だ

 

 

八島ケーブル

たしか何かのニュースで山頂にある廃止されたケーブルカーが地震で落ちてきたら危ない、という事で

廃止後数年して降ろしたという話しを聞いたけどここだったのか。

それにしても古い車両です。昔の路面電車のような正面です。

 

 

 

 

 

 

もしも

今でもモノレールドリームランド線の大船駅舎が残っていたら

どんな状態になっていたのかな

遠く離れた地で思い出していた

 

 

 

扉は開放されており車内も見る事が出来ました。

 

 

どなたかが手入れをされているような感じがしました。

駅舎は数年前に解体された、とタクシーの運転手さんから聞きました。

さて帰ります。

この広い参道もかつては賑わったのでしょう。

 

琴電に乗り再び高松築港駅へ

元京急とはここでお別れです。

マリンライナーで岡山へと渡りのぞみ38号で新大阪駅

 

そして新今宮駅に向かうと

20年前とは様変わりしていました!

【つづく】

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琴電の元京急1000系

2023-09-06 10:42:00 | ヨコハマ

京浜急行往年の主力車だった1000系がクラファンによりかつての塗装で

走っているので乗りに行く、というのも旅の目的の1つでした。

京急では無くなった一枚ドアや壁の色が懐かしい

現在の京浜急行電車のドア↓ ↓ ↓

 

 

残念ながら座席は更新されていました。

つり革もかつてと違って新しくなっていました。

 

KHK(京浜急行)のロゴは健在

昭和49年の生まれでした。

こんな網棚も見なくなりました

この表記も懐かしい

418名の方々ありがとうございます。

幼少期から京急にはお世話になっておりましたので私も絶対にこの車両に乗っていたのだろう

見なくなってしまったツーハンドル

幼稚園生位頃だったか

なぜか履きなれない革靴というのを履かされて?親と出掛けた時の事。

横浜駅で京急を降りる際に靴が脱げてホームにその革靴が落ちてしまいました。

当然?泣いて親に訴えると親がホームにいた駅員さんに事情を話した所その電車が出た後に

赤旗を振って次の1000系を停めホームに降りてその靴を拾ってくれたのです。

今では法令や安全上出来ないそうで回収は営業運転が終わった深夜になるそうだ。

『僕の為に電車を停めてくれた

その驚きと感謝は今でも忘れません。

この写真はその時の目線で撮ってみました。

あの時の駅員さん ありがとうございました。

列車種別を表す枠はシールでしたが実にリアルで一見分かりませんでした。

まるで京急の駅にいるみたいです。

次に乗った電車はこちら

シートは往時のままだと思います。やはりこの色です!(優先席は違います)

なんと昭和35年!

京急1000系は長い期間に製造されているので140コロナさんの話しによると

機器が異なるそうな

たしかに先ほどの運転席とは異なりますね

比べるという事は出来ませんが自動車で昭和35年製と昭和49年製だと

まるで異なるかと

まるで京急の戸部駅かと

この車輛には運用幕?がありました。

 

今回も旧600系には乗れませんでしたが

途中の駅で見かける事は出来ました。

正面と座席は変えられていますが側面は昔のまま。

いつかは乗りたい電車です。

懐かしの京急編終わり

【つづk】

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2月の旅行記

2023-09-04 22:33:43 | 

最近は見掛けないが

昔はよく楽器店のショーウインドーにあるトランペットを

羨望の目で見つめる黒人の子供の姿を見掛けたが

彼は何をしているのか

140コロナさんと寝台特急瀬戸号で旅をしてきました。

なかなかブログを書く事が出来ないので今更な2月のお話しです。

 

19時上がりの中番が終わりシャワーを浴びて軽く仮眠をしようとしたが

興奮のせいであまり眠れずに会社を出る時間となった。

 

高輪、ゲイとウエ~イ!♪の駅を目指していると目的の寝台列車が留置されていた。

発車までここで待機するのだろう。あれに乗るんだなぁ

東京駅に着くと先着していた140コロナさんは9番線4号車乗車口に並んでいる。

シャワーカードを購入される人達でそこだけ列が出来ているが

私達の目的は隣の3号車にあるラウンジ部分だが4号車から入った方が

近いのでその列に加わっている。

そして9番線に寝台特別急行列車が入線してきたが

この独特な緊張感、高揚感はいったい何故なんだろう?

寝台列車は「ただの旅行に行く足(交通手段)」というだけではないのだ。

ドアが開き車内に入ったが私達の行動は失敗だったのだ。

シャワーカードを買う人々で車内通路が塞がってしまい3号車の

ラウンジに行けないのである

これなら普通に3号車入口から入った方が早かった

当初は3号車乗車口で並んでいた140コロナさんを

「これこれこういう訳で4号車で並んでくれたまえ」

と、事情通のように移動させたのはこの私である。

 

なぜシャワーカードを買う為に並ぶのではなくラウンジにこだわるのか

急行銀河号や彗星号に連結されていた憧れの名車オシ16の

雰囲気で酒を飲みたいからです!

しかし一向に進めないので仕方なく

「すいませ~ん、シャワーカード買わないので通してくださ~い」

と言い道を開けてもらい列を抜ける

もうラウンジ席は埋まってしまったか…俺のバカ

と思いきや誰もいませんでした

安心して希望の海側席を取り足りないツマミを買いにホームの売店に行く。

戻ると車内には140コロナさんが今宵の酒と総菜を並べていた

 

しかし買ったなぁ(笑

ビールだけは出勤前にコンビニで買い職場の私物用冷凍庫で

凍る寸前まで冷やし保冷バックに入れてきた

瓶ビールだったらもっと良かったけど仕方ない

真剣に悩んだ時代もあったな☟

悩んだ事』←あれも2009年になるのか

寝台特急は定刻通り発車となるのだが乾杯前に電飾ネオン輝く華の有楽町や

首都高と間違えられる事が多い東京高速道路を見てからとする

以前にも書いたが走る大人の社交場と言われたオシ16の車内から見た世界を想像し

品川辺りで乾杯となった。

 

ビールは程よく冷えている

140コロナさんはウイスキー瓶や日本酒まで持ち込んでくれたので走る居酒屋のようだが

大声にならないように気を付けます。

140コロナさんが反対の席にいた夫婦に声を掛け4人で飲む事になり

まるでスナックです

「大人の社交場」も閉店となり今夜の寝台は絶滅寸前の喫煙可能車

心臓手術以来1本も吸っていなかったので喫煙車でタバコを吸うのがお楽しみでしたが

何故か吸う気がおきず・・・

ところで列車内にソフトドリンクの自販機があるのですが発車時から殆ど「売り切れ」

これは何とかして欲しいです

 

岡山駅に到着

分離作業の間に駅の売店で熱いコーヒーでも、と思うのだが

断固として決して絶対に降りません! 

  (※業務連絡・・・だからさまひさん、ニヤニヤして読まないで下さい!降りて乗り過ごしたとしたら

   どうなると思っているんですか!!??あり得ないですよね?

    それとも身近でそんな『あり得ない事』でもあったんですか?いやバカな、まさか!)

 

この日は瀬戸号は琴平まで延長運転だったのだが高松駅で下車

琴平電鉄の一日乗車券を買い元京急電車に乗りに行きます。

やって来ました懐かしの京急1000系

140コロナさんによるといろんな時期の1000系があるそうです。

 

通勤にいつも京急を使っているが新しい車両に慣れてしまっているので

やはり時代を感じます

 

こんな所も懐かしい(涙

商店街を電車が横切ります

なんか不思議な感じです。

 

瓦町の駅ビルが京急上大岡駅と似ているのは同じ設計者が作ったそうな

こちらが京急上大岡駅☟

念願の京急塗装の1000系が来ました。

 

 

実に懐かしいです

 

残念な事に元600系はこの日運用されていませんでした。

これも思い入れがある車両なのですが。

 

【つづく】

 

 

 

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あの食堂車を救え

2023-08-13 23:39:50 | Weblog

誰に頼まれた訳ではないのですがこのプロジェクトを紹介させてください。

解体の危機!稀少なサシ581電車食堂車を救い出し、ポッポの丘へ

クラウドファンディングです。

食堂車が大好きなので本来なら鉄道博物館で上記のような車輛を回収し保存して

館内で営業をして欲しいのですが現実には「食堂車をイメージした」レストランで終わっている。

 

鹿島にかつて「レストランL」という食堂車を使ったレストランがあったそうだが

老朽化で消えて行った。海が近いから腐食が激しかったようだ。

行って食事をしたかったな。

 

さて今回のお話しは遠く青森に残る寝台電車583系の食堂車

食堂車が廃止になった際には各地に食堂車を使ったレストランが出来たが

長続きはせず消えて行ったが本車輛は「払い下げられてから食堂として使用されていない」そうな。

なのでオリジナルの個所が多いそうな。

 

青森から遠く千葉県のポッポの丘へ運ぶだけでも1500万も掛かるそうで

その後の修繕には更に500万が必要。

第一目標の¥1500万円に到達したが残り7日で2,000万円に届くのでしょうか?

私も応援したいと思いましたが清掃体験コースが早くも残り0となった為

別のコースで応援させていただきます。

あと7日!

ご興味のある方は↓こちらから支援をよろしくお願いいたします(私は関係者じゃないのですが)

583系電車保存クラウドファンディング

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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サニー1000 交通博物館

2023-07-19 10:31:00 | (旧車)

日産グローバル本社ギャラリーでサニー1000を見て

 

思い浮かべたのがかつて東京の交通博物館に展示されていたサニー1000。

 

という訳でその2006年時に撮影していたサニー1000のカットモデルを取り上げてみませう、

デラックス車のカーラジオはクラリオン製

当時は気付かなかったが交通博物館サニーは車体番号からしても極初期型なのだが

ハンドルが違う。マイナーチェンジ後のタイプだと思うのですがどうなのでしょう。

これも盗まれたのか?

クラッチペダルがすり減っているように見えますが以前は車内に入れるようになっていたのでしょうか?

 

引いてみましょう

 

バッサリとカットされているので内部がよく分かります。

当時は燃料ホースも付いていたのでしょうか。

 

スイッチを押せばモーターで稼働する機構なので機械音痴な私はこの時に各部を

ガン見していました。

更に昔のサイドバルブに対してオーバーヘッドバルブ(OHV)と言われるのはこれだったのかぁ、とか

思っていました。

そういえば数年前にヤフオクで日産S20エンジン(GT-R)のカットモデルが出品されていたのにも

驚いたものです。

現車のオーナーさんから見たら「もったいない」と思うのでしょうか。

プロペラシャフトの下のシャフトでエンジンが動く。

昔の教習所にはよくこのようなカットモデルが説明用にあったそうな。

 

何気に貴重だ!と思うのがタイヤ

当時モノのバイアスタイヤ

バイアスタイヤ信望者」な小生は『これだよ、これぇ!』と

奇声を上げて周囲の冷たい視線が浴び眩しかったが仕方ない

そんなバイアスタイヤ信望者の私もバイアスを履いているけどそれは米国製のもので

当時の国産タイヤとはちと異なる。

サニー1000純正サイズの5.50-12で現在も販売されているタイヤは見つからなかった。

なので日産ヘリテージコレクションでも仕方なく違うサイズのタイヤを履かせているのでしょう。

以前に自動車雑誌『高速有鉛』の川柳で

  『当時モノ 履いてみたいが デンジャラス』

という秀作があったのも思い出す。タイヤは古いと怖いですからね~。

右後部ウインカー上にあったサニーのエンブレムも無かった(涙

その下にはdeluxeの文字もあったのだろう。

 

いかがでしたか?

 

ネットでよく見かけるこの言葉が実は嫌【笑】)

神田の交通博物館の鉄道展示物は大宮の鉄道博物館に移されたが

自動車、飛行機、ヘリコプター、船舶模型、航空灯台等は

どうなったのでしょう?

このサニー1000は返還され日産ヘリテージコレクションにあるのでしょうか。

あったら誰かが取り上げているでしょうからそれは無さそう。

もしも鉄道博物館が所有しているなら日産に戻してヘリテージコレクションに加えて欲しいと

切に願うのであります。

 

 

振り返ってみると交通博物館の閉館も2006年の事だった。もう17年になるのか。(その時のブログはこちら

いつの日かこの二台が並んで展示される日が来る事を願っております。

 

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サニー1000 日産グローバル本社ギャラリー

2023-07-14 01:09:12 | (旧車)

7月7日

ニューハートワタナベ国際病院で術後定期健診が終わった帰り道。

せかっく休みの日に出掛けたのだから横浜の日産グローバル本社ギャラリーで

旧車を見て帰ろうかな、と調べるとヘリテージコレクションは

昭和41年型の初代サニーが展示されているそうな。

普通の昔のファミリーカーが好きなので訪れてみました。

いい色です

コルトと同じ位な大きさなので親近感がわく

コラムシフトだけどベンチシートではない

シンプルな運転席廻り

パワステが無い時代なのでハンドルが大きいです。

古いクルマを見ると気になるのがタイヤ

博物館やメーカーはどうしているのだろう?と拝見しますと

角は丸いけどバイアスタイヤでした!

懐かしのオーツタイヤでサイズは6.00-12でした。

見辛いけどOHTSUとあります。

しかし当時物をそろえるのは大変なようで

こちらは

GOODYEARとバラバラでした。

本来のサイズは5.00-12

多くの保存車を保存しているメーカーでもタイヤは苦労しているのでしょう。

それでもバイアスタイヤを履かせてくれているだけ感謝です。

これで現代のラジアルだったら残念に思える。

やっぱり昔のクルマには昔のタイヤ

現車は上級のデラックス。

側面(見りゃ分る)

シンプルなスタイルですね。

三角窓には出荷時のOKサインが! キレイなので復刻版でしょうか?

シートもキレイです。画面右下に見えるのは後席用の灰皿でしょうか?

ここ(日産ギャラリー)に来て思うのは過去のクルマの展示台数は3台と少ない。

しかし、そこがいいと思うのです。

台数が多過ぎると目移りしてしまい一台のクルマを細かく観る事が出来なくて帰宅してから

「もっと観れば」「もっと写真を撮っておけば」と後悔する。

なので今回も一台のクルマを存分に見る事が出来ました。

あと

これが実に素晴らしく!!

ペーパーアーティスト太田隆司さんの「GINZA1965」

細かい所(信号機が背面板付きとか)までリアルに製作されています。

そして

キレイなお姉さんの新車解説を聞くのが楽しい。

(お姉さんは『うわ、ヤバい奴来た』とか思っているんだろうなぁ

しかしタイヤ大きいな

そして再びサニーをガン見

 因みにこちらはトヨタ博物館のサニー1000


さて、初代サニー1000といえば

このサニーはどうなったの?

【つづく】



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ホントウニ サヨウナラ

2023-07-14 01:00:00 | 熱海

やはり書いておこう

書こうか書かまいか迷っていたが自分の人生に大きな影響を与えた存在なのだから

やはり書こう

 

福島屋旅館の解体が始まった、とシグナスさんから連絡を受けたのは2月の事だった。

いつかはその日が来ると思っていたが実際に知らせを聞くと動揺し

軽いパニックのような状態となった。

 

「あの福島屋旅館が本当に無くなる」

 

福島屋旅館ご主人のWGさんこと松尾さんが亡くなりサヨウナラ

シグナスさんのご尽力によって旅館は復活するも私は訳あって二度目のサヨウナラ

しばらくして旅館は長く続かず廃業したと人から聞いた時にまたサヨウナラ

 

めっきり熱海を訪れる回数も減った

 

皮肉なことに松尾さんが亡くなった後に熱海はメディアで取り上げられる頻度が増え

温泉街は若い人で賑わうようになった。

もしもまだ松尾さんがいれば福島屋旅館も違った事になっていたのだろう。

 

横須賀線、東海道線を乗り継ぎ

相模湾の車窓を眺めて熱海駅。
商店街を抜けて坂を降りて行き右カーブを曲がると福島屋旅館。
 
それはあるのが当たり前な存在だった。
 
存在を知ったのは20歳の頃でいつかは泊まってみたい宿だった。
 
(初めて泊まった際に撮影)
 
ブログを書き始めた頃なのだが実際には書ききれない程に訪れていた。
 
家ではないのに自分の帰る場所
独身故の贅沢な?逃避先だった。
 
生きていて嫌な事辛い事があっても
 
この仕事が終われば福島屋だ
 
緑色の薄いスリッパを穿きギシギシと音のする木の板の階段を上がり奥のかもめの間に
入り荷物を置き窓を開けて見慣れた街並みを眺める
 
浴衣に着替えて別の階段で浴場へ降り木製の戸を開け
 
年季の入った籠に衣類を入れて熱い湯に入る
 
あぁ、帰って来たなぁと幸せを感じる
 
湯船からあがり木製ベンチに座り扇風機にあたり身体を冷ましてから浴衣に着替え
 
共用冷蔵庫に入れておいたビールを取り部屋に戻る。
 
窓辺に座り団扇をあおぎ冷たいビールを飲んで普段は吸わない煙草を吸う
 
夜中に目を覚ますと廊下に出て蛍光灯の灯りの下でイスに座り
 
静まり返った中に聞こえてくる蛍光灯の安定器から出るジー、という音
 
何気ない事だけど癒される大切な場所だった
 
 
先日、三島へと出かける用事があったので途中熱海で下車をして
 
もう更地となっているという福島屋旅館を訪れた
 
坂町の寺桜の角を曲がると旅館が見えるのだが直前まで見ないように下を向き進み
 
玄関のあった辺りで顔を上げると
 
当然だが懐かしい福島屋旅館の姿は何ひとつ残っていなかった
 
残っていなかった、というより
 
消えていた
 
映画「ニューシネマパラダイス」のエンディングを思い出していた
 
呆然と立ち尽くし
 
 左手に帳場がありその上に「かもめの間」があって浴場があの辺りで…
 
いろんな思い出が頭を過り未練がましく30分はいただろうか(あと10分いたらパトカーのサイレンが迫ってきただろうか…)
 
 
今度こそ本当にお別れだ‥‥私の愛した福島屋旅館
 
 
 
これからは
 
福島屋旅館を訪れ
 
ロビーのソファに座り松尾さんと煙草をのみ
 
あとからやって来たさまひさん安全さんと「かもめの間」で酒を飲んで
 
車庫にはあのコルト
 
そんな夢を
私は見続けるのだろう
 
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コロナ万歳!!

2023-05-29 21:13:35 | (旧車)

会場内は台数こそ少ないが

その分濃い話しが出来て気になるクルマがじっくり見られました。

Y31セドリック公団パトカー

今では公団パトもRV車になってしまいセダンのパトカーは無くなってしまい

中古の公団パトは覆面パトカー仕様に改造されたりでオリジナルな公団パトは希少。

この並びもイベントの華

バイクの知識は全くないのですが気になります。

高校の頃に兄のバイク雑誌でCBX650の白バイが中古で売っているのを見て

欲しくなった事を思い出します。

140コロナの試乗会も開かれました。

『懐かしい…』と感じる方も↑ ↑ たくさんの方が喜んでくれました(って私のクルマでは無いけどね)

さて、今回のイベントで最も見たかったクルマがこちら

YT140コロナ界では一番有名な個体ではないでしょうか

140コロナさんも私もその存在を知り

「どんな方がオーナーさんなのか」と長年お会いしてみたかったのですが

今回初めてご対面となりました。

意外な事にこちらも営業経験無し、でした。

個人所有のクルマをタクシーらしく仕上げたそうな

140コロナさんとの違いはフロアシフト、セパレート席の他に

ドア内張も異なりますが

車内の画像を取り忘れておりました

やっぱりリアトレイには消火器があってこそ

あぁ、感動のご対面

もっと細部の写真を撮れば良かった、と今になって後悔

後席に載せて頂き外を軽くドライブしてもらいましたが

 

フロアシフトのコロナの思い出

2007年4月

父母と熱海にあった保養所に泊まりに行った時の事

私は夜勤明けで退役の迫った113系東海道線で熱海へ着いた。

歩いて向かうつもりだったが駅前のタクシー乗り場にその時にでも

珍しい存在となっていた140コロナ営業用車がいた。

まだいたんだ!と驚き短距離だがそのタクシーに乗る事を選んだ。

3台目だったので2台をさりげなくやり過ごしコロナが巡ってくるのを待った。

ようやく番が廻ってきて乗り込んだのだが

「ベンチシートにコラムシフト」

と期待していたのだが「セパレートシートにフロアシフト」車だった。

『フロアシフトなんだ…』ちょっと残念に思ったのだが

リアシートもかなりくたびれており長くはないな、と感じた。

今回のコロナでシフト操作を見ていたらその時の事を思い出した。

あれからもう16年か

【終わり】

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コロナから見た世界、戦争

2023-05-24 15:13:00 | (旧車)

タイトルからすると報道番組のようだがウソではない

トヨタコロナから見たのは

こんな世界だった

前回の写真がセドリック対クラウンにだったが

今回はそのお隣で「ブルーバード対コロナ」の、いわゆる『BC戦争』が展開していた。

昨今の旧車ブームで日産910ブルーバードはイベントでも町でも見かけるが

殆どがSSS(スリーエス)

しかしこれは国内では現存唯一と言われるスタンダードです。『いや九州にタクシー車が』とご意見があるかと思われるがあの個体はこれより1グレード上。

最低グレードのタクシー車はこちらだけかもしれません

両車今は無き「小型タクシー」

丸目4灯の並びを見られただけでも来た甲斐がありました。

しかし町でこの910ブルを見てもその価値が分かる方は限られるでしょう。

【つづく】

  次回は感動のご対面(涙)

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商用車ミーティング関東に行ってきました。

2023-05-20 17:54:18 | (旧車)

彼には営業経験が無い

商社、販売店に勤めていれば年齢を重ねるとそこがマイナスとなるのだろう

彼には営業経験が無い事がプラスとなっている場合もある

彼はどう見ても営業車だ。

ドア内張りを見てこのクルマの希少性をお分かりになった貴兄

お目が高い

YT140コロナ

その凛とした佇まいは営業車として使命を終えた「タク上がり」という言葉を撥ねつける

彼は某静岡県のタクシー会社純正色をまとっているが似せた訳ではく

タクシー発注時に追加して生産された希少な個体だ

トヨタディーラーから正規に新車で購入し現在に至るのだが自動車に興味が無い方には

ただの地味な古いクルマだろう

しかしタクシーが好き、低グレード万歳、よ!四角い顔!

な方にはいかに貴重なのかが分かるだろう

私と彼との出会いを話すと長編になりその内休止中というどこかのモノレールみたいになってしまうので

割愛しよう

ともかくタクシーの中古では無く(タク上がり)新車でこれを購入しワンオーナーなのである

いやだからホントにスゴイ事なんですよ!

分類番号2桁という所から登録時期がうかがえる

 

そんな彼が初めて自動車趣味のイベントにデビューしました。

早朝、アパートまで迎えに来てくれた姿はまさに「迎車」

(↑ で、彩雲荘はどれ?)

会場入りをするとワンランク上の・・・

う~ん・・・

なんと言えばいいか

あれだ!例えるならここは善光寺駅の階段を上がったらのタクシー乗り場、でしょうか(善光寺駅行った事ないけどさ)

手前は一見今でも街で見かけるY31ですが後席後ろのオペラウインドーが誇らしい

初期のY31 カスタム(形式はMJY31?でしたっけ。オーナーさんゴメンなさい)

小生興奮してオーナーさんを捕まえて

「あ、あの 熱海にですね!タクシー会社にですね!こ、これと同じY31の指導車がいましてね【略】」

と、自分の知っているネタを早口で熱くぶつけるという行為にオーナーさんドン引きだった事だろう。

セドリックのお隣りは130クラウン

つい最近までは見掛けたと思うが考えたらそれももう遥かな昔

130クラウン市販車と営業用車の比較写真

営業用オーナーさんとはネット上で知っていたものの初対面で色々なお話しが出来ました。

因みに右の市販車オーナーさんはイケメンのナウなヤングでしたがお若いのに素晴らしいクルマ愛で

オジサン達は嬉しかった。

【つづく】 (またか・・・)

 

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