あのコルトを狙え

TOKYO2020 子供たちに負債を(笑)

455系乗車記

2021-02-24 23:17:01 | 

こんな時期にと非難をされそうですが久々にちょっと遠くに「旅」をしてきました。

さまひさんから「ある国鉄型の電車が無くなるので一緒に行きませんか」と

お誘いを受けたのですが私はその形式の電車を全く知りませんでした(だって私はマニアじゃないもの)

それでも「国鉄時代」という言葉と気の置けない友との旅への誘いに決心しました。

2月20日

始発のバスに乗る為早起きをした。アパートの扉を開けると外はまだ暗いがそれほどの寒さは無い。

しかし先日から先行しているさまひさんの情報だと雪解けの水があるとの事でそれ用の靴を選んだ。

品川から東京駅へと着いたが「Eチケット」なるものを使うのが初めてだったので

自動改札を抜ける時に引っかかったら、と懸念していたのだがあっさりと無事に通過。

しかし東京駅構内でこれに引っかかった。

時代は流れてもあの時代の跡を感じさせてくれる展示が嬉しい。

東京駅発07:20 かがやき503号は定刻通り発車をした。

隣のホームには東海道本線を走ってきた寝台特急サンライズ号が見えた。

北陸新幹線に乗るのは初めてだったのだがあの寝台特急に乗る時のような高揚感は無かった。

そういえば以前に高岡から上野駅に夜行列車「のと」で

早朝に戻ってきたのがついこの間のようだが、もう10年以上前になる。

 

ジョイント音も揺れも無い新幹線の車内は快適で09:51金沢駅に着。

特有の「国鉄臭」とジョイント音を求めるのはノスタルジー。

しかし私は今日その「ノスタルジー」をわざわざ味わいに来た。

金沢駅で北陸周遊券を買い在来線で高岡駅に行き10:59発の城端線(じょうはなせん)に乗る。

次の新高岡駅で今回の企画者さまひさんと無事合流。

沿線や終点に何があるわけではない、ただ乗る為だけの旅。

でもそれが楽しい。ノンビリ、ゴトゴトと揺られながら終点の城端駅は到着。

折り返しの列車が出るまで食事でもと探すとスーパーのようなのもあるようだが

出来れば駅の周辺の個人店の食堂でお金を落としたい。

いかにも昭和から営業しています、えぇ、あんたの好きな店構えでしょう!?

といった食堂が駅を出て左に行くとあったので恐る恐る入店し

二人で親子丼を食べた。味は普通においしかった。

しかしお店の外観を撮り忘れる・・・

高岡駅から金沢駅への列車を待つ。

『これが今回の目的の電車ですか?!』

さまひさん「いや、違いますよ

私は何も分っていません(笑)

でも車内は色こそ違えど昔東海道線や横須賀線を走っていたのと似ているので懐かしい。

ネットで予約をしておいた金沢駅前ホテルに荷物を置きに行ったのだが

無人フロントのタブレット端末が途中で止まってしまい焦るが何とかチェックインを済ませる。

鍵はタブレットに表示された暗証番号での解錠となるのだが

さまひさんから「この(暗証番号の)画面をスマホで撮っておいた方がいいですよ」とアドバイスを

受ける。記憶力の悪い私はその後にこれがいかに大切だったかを何度も思い知る。

ひと月前からのネット予約¥3,000だったが部屋は広くキレイで良かった。

個別の部屋で予約した為、ロビーで集合し再び金沢駅に戻る。

今回の列車こそが旅の目的、七尾線を走るクハ455なのだそうな。

さまひさんの説明だと「国鉄の急行型電車最後の生き残り」なのだそうな。

「ただしデッキが取り払われ一部がロングシート化された為にボックス席は8しかないので

争奪戦が予想される」

なので早めにホームで並んでいたが

「先日の大雪で運用が変わっていて別の(さっき高岡から金沢で乗った列車)が来たら

ヒザから崩れ落ちますよ」

不安げな表情で言うのだが私は「昔からどうしても乗りたかった」訳でもないので大丈夫です。

土曜日で引退間近の列車なのでかなりの人出かと思ったがそれ程でもない。

入ってきた列車は予定通りの列車のようだ。

扉番号2番で待っていると乗り口とドアがズレる「他の2ドアと開く場所がズレるんですよ」と言われドアを見て納得。

先ほどの列車とはドアの位置が違う。

なんとドアは手動で開けるのだそうな。

それもボタンを押すとかではなく手で開ける。

無事にボックス席に座れて落ち着いて車内を見回る。

クハ455-702

久しぶりに座る古いボックス席は現在の東海道線の嫌がらせのような固さと

狭さとはまるで異なる心地よさ。

 

昔はデッキがあったそうな。上の段差はその時の名残のようだ。

 

子供の頃、たま~に東海道線の乗ると車内にトイレが付いている事が

驚きだった。

便所使用知らせ灯のシンプルな存在が好きだったりする。

 

両手を洗うのにはコツがいるようですが洗面台も付いている。

これまた懐かしいスタイルのトイレ。

子供の頃は下が見えて「停車中は使用禁止」となっていたが

いつの間にかタンク式となっていた。

こんな小さなパイロットランプ?も点灯する状態を見るのも無くなってしまう。

「汽車」の表記がなんか嬉しい。

年季を感じる扉は重たかった。

手前のロングシートの個所もかつてはボックス席だったそうな。

113系や115系の記憶しかない私は「国鉄急行型」に乗った記憶というのは

ハッキリしているのは小学6年生の修学旅行で乗った「貸切電車」だった。

『これが修学旅行専用電車か?』と喜び

形式を覚え家に帰り図鑑を開くと「修学旅行用にも一般用にも使える」とあり「修学旅行専用」ではなくてちょっとガッカリした。

話しは逸れたが前もってちょっと調べたらデッドセクション通過を味わえるとの事で楽しみにしていた。

「架線柱を見ているとデッドセクション区間のマークが出ますよ」と教えてもらった。

車掌さんから「車内の電灯が消える」旨のアナウンスが流れてしばらくすると

電灯が消えて同時に小さな蛍光灯が灯った。

(画像は帰路時)

デッドセクションを通過。

南極観測隊員が赤道を超えた時はこのような感激と興奮だったのだろうか

 

な訳がない

 

さて、終点の七尾まで約1時間半の旅だが目的地がある訳ではなくただ乗るだけ。

知らない土地を古い電車で旅をしている事だけで楽しい。

職場の人達に話したら「行って帰ってくるだけ?何が楽しいの??」と

呆れるだろう。

終点の七尾駅に着くとすっかり日が落ちていた。

再び折り返して帰るのだがホームに出てみた。

人も少ないので写真を撮りやすい。

確かに今では見ないスタイルです。

クーラーも昔のタイプで個別だそうな

東芝のロゴがありました。

そういえば昔の電車の屋根はこんなイメージでした。

交直流ならではのパンタグラフ付近

分からない事はさまひさんが解説してくれるので楽です。

こちらはドアの配置が異なる反対側の先頭車

 その車内。

 

静かに発車を待つ列車。人も少なく寂しい雰囲気がまた良かった。

 

再び列車に乗り復路

↑お茶はさまひさんが「撮影用」にご持参されました。

「今度は別の車両に移りましょう」と言われついていく。

モーター車だった。昨年、140コロナタクシーさんと185系に乗った際に

うなりをあげる「音」について教えてもらうまで意識しませんでした。

それ以来モーター車の音が好きになった。

悩んでいるの?

 違います、モーター音を堪能されています。

ここだけ見ていると横浜市営地下鉄1000系の座席を思い出します。

 

列車は定刻通りに金沢駅へ到着。

回送となり発車するまで外観を存分に見ていると

ヘッドライトの下の線が気になった。昔は塗装が違ったの?

「クリーム色のような塗分けだったんですよ」

そこで思い出しました、鉄道博物館で見た電車だ!

(↑鉄道博物館のサイトより)

博物館入りしている電車に乗れたのか。

あの電車だったのか。

20分程すると電車は回送となり去っていった。

さまひさん、お誘いと解説ありがとうございました。

【追記】

修学旅行電車の思い出

6年生の修学旅行での帰路に先頭車と先頭車の連結部分、デッキにいると

担任の先生がやってきて当然のように運転席のドアを開けた。

そしておもむろにマイクのスイッチを入れ生徒に連絡事項を車内放送したのでした。

それがあまりにも羨ましく『先生になれば(中間の)運転席に入れるんだ。教師っていいなぁ!』

と思ったものでした。

その年に父のカメラを借りて撮った写真の中に形式は違えど

急行型の電車がありました。昭和58年東戸塚駅付近

今、こんな線路ギリギリで撮影したら通報ものですよね

これは何系なのでしょう?

 


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12 コメント

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最後の写真、、 (SDTM)
2021-02-25 00:55:33
☆ 165系ですね。

  模型の画像しかないので、、これです。↓

https://blog.goo.ne.jp/sdtm-2/e/a30c38a8fd395276e68f73b29650b0dc
返信する
おお! (彩雲4号)
2021-02-25 01:04:31
SDTMさん
さっそくの回答をありがとうございます!
サハシ・・・いいなぁ
返信する
TOPの画像、、 (SDTM)
2021-02-27 10:23:37
☆ 見たことがあって、、
  万世橋にあった交通博物館の
  模型で紹介するコーナーでした。
  撮影したか定かでなかったので、
  ネットで検索しましたら、
  ありました。
http://w01.tp1.jp/~a343530498/tetu/tetub.html
このサイトの記事で最後に出ています。
ただし、ナハフ20です、、ナハネフ20があったか不明です。
返信する
Unknown (Unknown)
2021-02-27 23:31:58
こんにちは 遅くなりましたが本年も宜しくお願いいたします
とても貴重な列車に乗られましたね!これは素晴らしいお友達のお誘いに感謝されるべきかと・・(^^;まさに国鉄急行型の最後の生き残り、そして私たちが慣れ親しんだこのボックスシートに揺られる旅ができるのも、本当に最後になると思います。ただ列車に乗るだけの旅・・興味のない方々には列車なんて単なる移動手段の1つで、それも饐えた臭いの汚い列車・・全く共感してもらえないものかもしれませんが、列車に乗るだけで感慨に耽ることができるなんて、それだけ良い思い出をたくさん持っているということですよねw幸せなことなんじゃないかなぁと思います。。さて、彩雲4号さんの撮られた急行型列車のお写真ですが、SDTMさまのコメントを覆してしまうようで申し訳ございませんが、これは彩雲4号さんが修学旅行で乗られたのと同じ167系ですね。少々マニアックな話になりますが判別点は左サイドに細いサッシ窓がある点(165系はドア幅が広く、ゴム枠戸袋窓がついてます)そして前面の快速幕と列車番号です。当時、東海道線では165系が主に急行列車、167系が臨時快速としてよく使われ、東京~伊東・下田を走っていました。列車番号に22という数字が見えるのでおそらくこれは8522M伊豆急下田行きの列車だと思われます。長文失礼しましたm(_ _)m
返信する
Unknownコメント・・ (まさる)
2021-03-01 09:33:06
彩雲4号さん、2/27のUnknownコメント主は私です。名前を入力し忘れてしまいました。今後とも宜しくお願い致しますm(__)m
返信する
大船工場 (彩雲4号)
2021-03-01 22:10:44
SDTMさん
神田の交通博物館も懐かしいですね!
大宮の博物館とは違い狭いけど色々な模型があった事を思い出します。
リンク先のサイトを見ましたが座席車という客車ですかね。東京駅で展示されていたのと同じ大きさかと思います。説明には「大船工場の職員が製作」と書いてありました。
返信する
スゴイです、まさるさん (彩雲4号)
2021-03-01 22:54:26
まさるさん
ご無沙汰しております。
>>お友達のお誘いに感謝されるべきかと~
いや本当に感謝しております。あれから一週間経ちますがまた往復ししたいなとか
もっとあのシートを堪能しておけば良かったと思っています。

>>修学旅行で乗られたのと同じ167系ですね。
え・・・?
>>判別点は左サイドに~
はあぁ!!なるほど!!
>>列車番号に22という数字が~
素晴らしい解説ありがとうございます!

実は何十年この二枚の写真が私の中で「謎」だったのです。
学校が終わってから友達と4人位で出来たばかりの東戸塚駅に電車を観に&撮影をしに行きその頃はまだEF58がけん引する貨物列車が走っていてそれらを見て楽しんでいました。
この時に3枚扉の東海道線113系が通過していく中で
何だか塗分けが違う二枚扉のこの電車が来たのです。
こんな電車もあるんだな、位に思っていたと思うのですが数年?して写真を見返すと最後の「デカ目」の電車が「なんだか他の東海道線(湘南電車)とは
違うような?」と気になったのです。
正面の上部両端が角ばっている所が他の東海道線の急行型と異なって見える気がするのです。
155系の写真で正面の屋根を見ると角ばっていますよね。
友人に見せた所「普通に165系でしょ」と言われたのですが何か腑に落ちなくてモヤモヤしていましたが今回のまさるさんの解説で長年の疑問がやっと解けました!

そして日光への修学旅行で乗った車両そのもの、の可能性もあるのですね!!
写真には昭和58年1月のプリントとあるので日光行きの前のようです。
同じ列車を写していたとしたら何だか感動です。
まさるさん、本当にありがとうございました。
返信する
ちょっと訂正です (まさる)
2021-03-02 14:56:57
彩雲4号さん
すみません。訂正です。8522Mは上りで伊豆急下田発東京行きでした。ちょうど学校から帰られた時間頃に東戸塚付近を通過する列車だったということですね!私も当時は58の牽く荷物列車大好きで伊豆へ行く113系のボックスで窓を開けて並んで走ったのは忘れられませんw 修学旅行も彩雲4号さんと同じく湘南色の167系で日光でした。本当にいい思い出ですね
返信する
Unknown (U-BOAT)
2021-03-03 08:11:40
こんにちは。
懐かしい写真と情報ありがとうございます。
私は九州が実家でしたが、中学生の頃はかつて急行「ぎんなん」などに使われていた471系が、多分1往復だででしょうが、お昼過ぎに走っていました。中学校の中間期末テストなど早く帰れる時にしか乗れませんでしたが、グリーン車もそのままつないでいて、ゆったりしたシートに無料で座れるのが嬉しかった記憶があります。
485系ボンネット型も走っていましたが、当時は九州にはお下がりの古いタイプの車両しか回してもらえないと不満に思った覚えもあります。
今考えたら、そういう車両が走っているのをしっかり記憶しているのも貴重な体験だった気がします。
返信する
Unknown (彩雲4号)
2021-03-05 10:41:49
まさるさん
踊り子みたいに下田から上がって来たのですね。
特急ではなく快速もあったのですね。
>>ちょうど学校から帰られた時間頃~
いろいろ思い返すと駅まで自転車で行ったのですが時間のある土曜日の午後だったのかもしれません。
>>私も当時は58の牽く荷物列車~
小さなアルバムにはそんな列車も撮っているのですが
載せるにはあまりにも恥ずかしい写真なので
あの頃も58が好きでした!
>>並んで走ったのは忘れられませんw
これは想像しただけで強烈ですね!!
今ではもう観られないだけに。
>>同じく湘南色の167系で日光でした。本当にいい思い出ですね
私は横浜駅から乗りました。他の地区の小学校と一緒でした。車内の写真が無いのが本当に悔やまれます(笑)
時期からするとこの写真は修学旅行前に撮影したようです。写して良かったです

U-BOATさん
>>中学生の頃はかつて急行「ぎんなん」などに使われていた471系~
恥ずかしながら471系というのを知りませんでしたので検索してみました。ほぼ同じなんですね!(交流?)
「急行ぎんなん」
この名前にクラクラきます(笑)
昔の列車の名前は情緒というのか日本らしくて
良かったのに近年はやたら英語やカタカナ文字で
げんなりします
>>中学校の中間期末テストなど早く帰れる時~
懐かしい時間ですね(笑)毎日じゃないから特別ですね。
>>ゆったりしたシートに無料で座れるのが嬉しかった記憶があります。
こういうのいいですね(笑)
>>当時は九州にはお下がりの古いタイプの車両しか~
今となっては逆に羨ましいです。151系こだまが九州に転属とか。
>>しっかり記憶しているのも貴重な体験だった気がします。
実に貴重な体験だと思います!見ておくのも記憶しておくのも大切ですよね!!
返信する

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