学年が上がるに連れ自転車による行動範囲が広くなると図書館に行くのにもバスではなく自転車で行くようになっていった。
それでも小学5年生の私にはそこが親の許す最大行動圏だった。
当時、戸塚図書館の入口に戸塚区の長さ2メートル位の航空写真と地図が貼られていた。
もちろん探してしまうのはドリーム交通のモノレール。
横浜ドリームランドと大船駅の間には延々とモノレールの軌道が写っていた。
大船駅にはハッキリと駅舎が見えてドリームランド駅も見えた。
行ってみたい
それでも自宅から大船駅へは遙かに遠く思え地図を眺めるだけだった。
そんな小学5年生の夏の日の事。
いつものように図書館に入る前に入り口で地図を見ていたら柏尾川に沿って行けば自然と大船駅にたどり着ける事に改めて気付いた。
(日地出版 横浜/川崎 昭和59年発行より)
どれ位の時間が掛かるのかは分からないが…
事故にでもあったら、とかかなり悩んだ。もちろん親には内緒だった。
それでも大船駅に行く事を決めたのには「夏休みの勢い」があったのだろう。
図書館を出ると川に向かう。
帰る為には左へ曲がる道を初めて右へハンドルを切った。
セミの鳴く夏の暑い日だった。
つづく
↓昭和41年1月 建設経過を報じる当時の新聞
田谷の辺りでしょうか?
最後の行「(小雀信号所)将来はここに途中駅を作る」
が興味深い。
それでも小学5年生の私にはそこが親の許す最大行動圏だった。
当時、戸塚図書館の入口に戸塚区の長さ2メートル位の航空写真と地図が貼られていた。
もちろん探してしまうのはドリーム交通のモノレール。
横浜ドリームランドと大船駅の間には延々とモノレールの軌道が写っていた。
大船駅にはハッキリと駅舎が見えてドリームランド駅も見えた。
行ってみたい
それでも自宅から大船駅へは遙かに遠く思え地図を眺めるだけだった。
そんな小学5年生の夏の日の事。
いつものように図書館に入る前に入り口で地図を見ていたら柏尾川に沿って行けば自然と大船駅にたどり着ける事に改めて気付いた。
(日地出版 横浜/川崎 昭和59年発行より)
どれ位の時間が掛かるのかは分からないが…
事故にでもあったら、とかかなり悩んだ。もちろん親には内緒だった。
それでも大船駅に行く事を決めたのには「夏休みの勢い」があったのだろう。
図書館を出ると川に向かう。
帰る為には左へ曲がる道を初めて右へハンドルを切った。
セミの鳴く夏の暑い日だった。
つづく
↓昭和41年1月 建設経過を報じる当時の新聞
田谷の辺りでしょうか?
最後の行「(小雀信号所)将来はここに途中駅を作る」
が興味深い。
しました。栄区が初めから存在していたら
大船まで映っていなかったと思います。
戸塚も再開発で変わってしまいましたね。
記事の写真の面谷戸で工事がストップした
ことも開通に影響を与えたはずです。更に
先の玉縄が再開を阻み…。
ピーチライナーより先に開業したユーカリ
が丘線と同じシステムで再開するという記事
もありましたよね。HSSTも愛知に先を
越されてしまい…。
ワクワクする続編を期待します。
今の戸塚駅の変貌には唖然とするばかりです。
あの図書館のパネルをご存知でしたか。
HSST・・・
今度こそは!と思ったんですが(涙
F先生
「鉄塔武蔵野線」ですね。
あの映画を見るとこの頃の事を思い出します。