縁(えにし)とでも言うのでしょうか、平家物語に疲れているとき、たまたま、“仏画”を描く若い彼女に廻りあいました。
彼女の描いた“仏画”を写真で拝見したのですが「ふくよかなお顔で、優しい眼差し」・・・描く人其のものの様に思えました。
仏画を拝見した後の所為でしょうか・・・
『白拍子:祇王・仏御前』の件(くだり)が閃きました。
天下を掌中に収めた平清盛公は、世間の誹りをも憚らず、
平家にあらずば人にあらずと言う生活を続けていました。
その頃、京の町には白拍子の祇王・妓女と言う、市中一番の売れっ子姉妹が居りました。
清盛公は、早速姉の祇王を館に入れ寵愛しました。毎月、相当額を与えたそうです。
親子ともに(母とじと妹妓女)、夢のような日々を送りましたが、しかし、その幸せも、長くは続きませんでした。
三年後のことです。
その頃舞の上手な「仏御前」と言う名の白拍子が名を馳せていました。
「わらわも都ではすっかり売れっ子になったけれど、口惜しい事ながら、未だ、清盛様には呼んで頂けない。」 と、一人で清盛が住む館へいきました。
何度お願いしても、お眼どうり叶わず、うなだれて帰ろうとする所へ、
「見ればまだ年端もいかない娘、同じ道を歩む者として、すげなく断っては可哀想です、お願いで御座います。逢ってやってくださいまし」との、祇王の口添えで、清盛に逢うことができました。
少し、疲れましたので、後は次の機会に・・・。
庭の菖蒲が綺麗です。
花言葉・・・嬉しい心・優美な心・忍耐
とありました。
因みに白拍子のこと
白拍子と言うのは、客の求めに応じて、歌を歌ったり踊りを舞って、生計を立てていた女達のこと。昔神社の社殿で巫女さんが、白い着物に赤い袴を着て、頭に烏帽子を被り、白鞘の太刀を持って、男舞を舞った姿が余りにも美しかったので、鳥羽上皇の時代に酒宴の席で舞わせたのが始まりだそうです。清盛の時代には、烏帽子と太刀は付けずに、白い着物だけを付けて舞うようになったとのことです。