その後も清盛は無神経さを発揮している。
仏御前を慰めるために参上せよと何度も呼び出されるが、祇王はプライドを捨てきれず、なかなか応じないでいました。しかし、矢のような催促に、累の及ぶのを恐れた母親の言葉に従い清盛の館へいきました。
そこで屈辱的な扱いを受けた祇王は自害しようとしましたが母の必死の説得で思いとどまり、母や妹とともに髪を剃り、仏門に入りました。嵯峨の山里にあった小さな庵で母娘三人念仏三昧の静かな暮らしです。
一方、仏御前も何れはわが身と思い、祇王の不幸は、自分がもたらしたことと、苦しみました。
時が経ち、秋のある夜のこと。祇王らが住む庵の戸を叩く音に、そ~っと少し開け覗いてみると、白い衣で覆った仏御前の姿がありました。仏御前は涙ながらに「もともとは、舞を認めてもらいたい一心で舞ったもの。心ならずも祇王様を追い出すことになり、悔やまれます」と、切々と愚かさを憂いた話をし、覆っていた衣を脱ぎ捨てる。
そこには、仏道に入ろうと、決心し髪を剃った仏御前の姿がありました。
この姿をみた祇王は、「まだ、17歳の若さで現世を捨て往生を願うとは」・・・
その後、朝晩の念仏を欠かさず過ごした4尼でした。
何とも、哀しい、話です。
祇園精舎の鐘の声・・・・そのもののように響きました。