続けて、杜甫の「龍門奉先寺に遊ぶ」を読みます。杜甫が若い頃(25歳, 736年)、洛陽を訪ねて、龍門奉先寺に宿をとった時の作とされています。用語が非常に難解な詩です。
この詩を読み解くには、“龍門奉先寺”の佇まいを思い描いておくことが必須と思われますので、まず、撮ってきた写真を基に絵解きを試みます。少々‘くどく’なりそうですが、ご勘弁を。
“龍門石窟”の完成は、玄宗皇帝(在位712~756)の時期とされていますので、杜甫が訪ね、宿をとった折は、新築建材の香気が香るまっさらなお寺であったと言えるでしょうか。
昼間は、和尚さんに案内されて寺内を見て回り、廬舎那大仏に手を合わされたことでしょう。夜休まれた後、目にしたこと、耳にしたこと、また感じたことなどを詠っています。下記の詩をご参照下さい。
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游龍門奉先寺 杜甫
已從招提遊, 已(スデ)に招提(ショウダイ)に從(シタガ)いて遊び,
更宿招提境。 更(サラ)に招提の境(キョウ)に宿(シュク)す。
陰壑生虛籟, 陰壑(インカク) 虛籟(キョライ)を生じ,
月林散清影。 月(ツキ) 林(ハヤシ)に散(サン)じて清影(セイイン)なり。
天闕象緯逼, 天闕(テンケツ) 象(カタチ)緯(イ)にして逼(セマ)り,
雲臥衣裳冷。 雲に臥(フ)して衣裳(イショウ)冷(ヒヤ)やかなり。
欲覚聞晨鐘, 覚(サ)めんと欲(ホッ)するに晨(アシタ)の鐘を聞く,
令人発深省。 人をして深省(シンセイ)を発(ハッ)せ令(シ)める。
註]
招提:梵語の中国語音訳で「四方」という意味。ここでは寺院または寺院の僧の意
陰壑:幽暗な山谷;陰は陽に対する語で、山の北側を指すこともある
虛籟:谷間をよぎる風の音
清影:晴朗な月の光
天闕:天上の宮殿、ここでは、高く聳える龍門の懸崖
象緯:星がつくる経緯;恒星をたて糸(経)、木・火・土・金・水の5惑星をよこ糸(緯)とした夜空の星辰
雲臥:龍門山は高く、雲を突き抜けていて、奉先寺で寝ているのは、雲の中に寝ているようなものである
覚:目覚める
深省:深く考える、しっかりと悟る
<現代語訳>
龍門奉先寺に遊ぶ
すでに幸いにも寺僧の案内でお寺を見て回り、
その上、晩にはこのお寺で泊まった。
ほの暗い谷間を吹き抜ける風の音が聞こえてきて、
林の木の枝を突き抜けてちらついている月光は晴朗である。
高く聳える龍門山では天上の星が身近に迫って来て、
雲の中で寝ているようで、衣を通して寒気を覚える。
目覚めるとお寺の朝の鐘の音が聞こえてきて、
心の琴線に響き、人をして深い悟りを起こさせる。
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“寺”と聞くと、これまでに目にしてきた多くのお寺を基に、仏殿、講堂、宿坊、庫裏…..と別々の建物からなる佇まいを想像します。広い敷地が得られる平地やなだらかな山の斜面では、自然な佇まいと言えるでしょう。
対して、山裾らしき広がりも見当たらない懸崖の竜門石窟で、“奉先寺”とは何処にあるのであろう?これは、上掲の杜甫の詩を手にとった時、筆者がまず感じた偽らざる疑問であった。
結論を急ぐなら、龍門山懸崖の中腹に掘られた大きな石窟、奉先洞がすなわち奉先寺なのである。この洞に、今日目にすることができる厨子の諸像のほか、宿坊、庫裏、講堂など諸要素が作り込まれていたようです。
以下、撮ってきた写真を基に、想像を働かせてその佇まいと周囲の情景を思い描いてみます。麓を流れる伊河の船上から撮った龍門西山の遠望を写真 1に示しました。懸崖の中腹に大きな洞“奉先洞”が掘られていて、その奥に廬舎那仏の座像が見えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/51/43b6c60622818b847f3b8267c405c4d6.jpg)
写真1:伊河を下る船上から龍門奉先洞を望む
なお、カメラの後ろには東山が迫っており、撮影者は、東・西の両山に挟まれた谷底を流れる伊河にいることになります。灯りの乏しい唐の時代、夜陰にこの谷間をヒューヒューと過る風音は、詩人の詩情を掻き立てずには措かなかったものと想像されます。
洞内を近くで覗くと、廬舎那仏を中心に両脇に菩薩や弟子など精緻に彫られた像が目に入ります(写真2)。写真一枚には収まりませんでしたが、両脇にはさらに羅漢や力士等の立像が彫られてあり、総勢一仏、二弟子、二菩薩、二天王、二力士とされ、洞内の広さが伺われます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/fe/a40f4c9a4a3db5762498773d626a3161.jpg)
写真2:廬舎那仏と諸像
写真2で、確認しておいて頂きたいこと:・仏像の座高17 m、耳の大きさは1.9 mと巨大である、・諸像の台座は一段高くなっていて、その前に広場があり、多くの観光客が観覧している、・洞壁にはほぼ諸像の頭の高さに、縦に並んだ四角に穿かれた孔が何列かある。
奉先洞の真ん前の路上から洞を覗く(写真3)と、3筋の階段の向こう左寄りに廬舎那仏の頭部だけが目に入り、胴体部分は隠れています。すなわち、階段を登り切った向こうの広場の奥行きが非常に深いことを想像させます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/2f/5e36bd5be4ec9520bbee40de97d23e70.jpg)
写真3:龍門山の麓から奉先洞を望む
画面下の「石窟奉先洞」の看板は、道路わきのお土産店を示しています。お店の両脇から階段を登ると、屋根上は踊り場となっています。方向を変えてさらに上った所に一息つける踊り場が設けられているのが、手すりの作りから想像できます。
奉先洞への登り口を横から見た様子は写真4に示しました。お店の屋根上から洞へと登ります。写真が不鮮明で恐縮ですが、階段中程に白い衣装の人影があります。そこが中間の踊り場で、この辺りは龍門懸崖の壁面に当たり、洞はさらに奥まっていくことを示しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/40/c443207daeb7e5418efa1f8842c8a0f0.png)
写真4:橙色の手すりに沿って階段をさらに上った先に奉先洞がある。壁面の洞にはすべて、仏像が彫られている
奉先洞の三次元の様子が思い描けたでしょうか。洞の大きさを実感してもらうために敢えて‘くどく’述べました。資料によれば、洞の奥行き・横幅ともに30 mを越すとされており、900 m2(300坪)以上の面積です。大仏の高さから推測して、洞屋根は20m超の高さ、3、4階建ての建物に相当します。
唐の頃には、今日見るような鉄筋やコンクリートの利用はなく、木材が柱や梁として使用されていたことでしょう。写真2で見た、壁面に穿たれた四角の孔列は、巨大な梁を固定するための孔であったと想像されます。
本論の詩に戻ります。まず詩題について。奉先寺は、洞いっぱいに建てられた巨大なお寺です。この巨大さを念頭に置くなら、詩題「龍門奉先寺に遊ぶ」の“~に遊ぶ”という表現に納得がいくように思われます。
和尚さんに案内されて寺内を随分と歩かれたことでしょう。しかし“寺に遊ぶ”と題しながら、起句で“遊ぶ”と触れて、2句目で“寺に宿して”後、“遊覧”した形跡を示す字句が全くありません。面白いです。
詩の3、4、5及び6句は、奉先寺で夜に宿泊している際の景色を描写しています。3句の“陰壑”については、先に触れたように、奉先寺は谷間にあることから、敢えて“北の谷間”を想定する必要はないように思われます。
ほの暗い谷間に、ひとしきり冷たい風が起こり、風に吹かれて揺れる樹の枝、その間を通して見える晴朗な月光がちらちらと揺れ動いて見える。すなわち、“散”の字で、月光を借りて、風に樹木が揺れている“動”の情景を描いています。
頭を挙げて天を仰ぐと、澄み切った夜空に無数の星が煌いていて、群星が身に迫って来る。このような圧迫感が“逼”の一字で表現されています。‘雲中で寝ている’とは、‘世俗から離れている’思いでしょうか。
つまり、詩題の“遊ぶ”は、谷間をよぎる風音、風に揺れる木の枝の間に煌く月光、身に迫り来る天空の星辰、また夜陰の寒気 と、五感を通して心中に起こす感興であった と読むのは、穿ち過ぎか。
これらは,龍門奉先寺で宿したからこそ起こる感興でしょう。昼間には和尚さんの案内で大仏に参拝した筈です。7、8句で、朝に目が覚める頃、鐘の音が耳に届きます。詩句通りに、杜甫をして深い思いを起こさせたに違いありません。
この詩を読み解くには、“龍門奉先寺”の佇まいを思い描いておくことが必須と思われますので、まず、撮ってきた写真を基に絵解きを試みます。少々‘くどく’なりそうですが、ご勘弁を。
“龍門石窟”の完成は、玄宗皇帝(在位712~756)の時期とされていますので、杜甫が訪ね、宿をとった折は、新築建材の香気が香るまっさらなお寺であったと言えるでしょうか。
昼間は、和尚さんに案内されて寺内を見て回り、廬舎那大仏に手を合わされたことでしょう。夜休まれた後、目にしたこと、耳にしたこと、また感じたことなどを詠っています。下記の詩をご参照下さい。
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游龍門奉先寺 杜甫
已從招提遊, 已(スデ)に招提(ショウダイ)に從(シタガ)いて遊び,
更宿招提境。 更(サラ)に招提の境(キョウ)に宿(シュク)す。
陰壑生虛籟, 陰壑(インカク) 虛籟(キョライ)を生じ,
月林散清影。 月(ツキ) 林(ハヤシ)に散(サン)じて清影(セイイン)なり。
天闕象緯逼, 天闕(テンケツ) 象(カタチ)緯(イ)にして逼(セマ)り,
雲臥衣裳冷。 雲に臥(フ)して衣裳(イショウ)冷(ヒヤ)やかなり。
欲覚聞晨鐘, 覚(サ)めんと欲(ホッ)するに晨(アシタ)の鐘を聞く,
令人発深省。 人をして深省(シンセイ)を発(ハッ)せ令(シ)める。
註]
招提:梵語の中国語音訳で「四方」という意味。ここでは寺院または寺院の僧の意
陰壑:幽暗な山谷;陰は陽に対する語で、山の北側を指すこともある
虛籟:谷間をよぎる風の音
清影:晴朗な月の光
天闕:天上の宮殿、ここでは、高く聳える龍門の懸崖
象緯:星がつくる経緯;恒星をたて糸(経)、木・火・土・金・水の5惑星をよこ糸(緯)とした夜空の星辰
雲臥:龍門山は高く、雲を突き抜けていて、奉先寺で寝ているのは、雲の中に寝ているようなものである
覚:目覚める
深省:深く考える、しっかりと悟る
<現代語訳>
龍門奉先寺に遊ぶ
すでに幸いにも寺僧の案内でお寺を見て回り、
その上、晩にはこのお寺で泊まった。
ほの暗い谷間を吹き抜ける風の音が聞こえてきて、
林の木の枝を突き抜けてちらついている月光は晴朗である。
高く聳える龍門山では天上の星が身近に迫って来て、
雲の中で寝ているようで、衣を通して寒気を覚える。
目覚めるとお寺の朝の鐘の音が聞こえてきて、
心の琴線に響き、人をして深い悟りを起こさせる。
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“寺”と聞くと、これまでに目にしてきた多くのお寺を基に、仏殿、講堂、宿坊、庫裏…..と別々の建物からなる佇まいを想像します。広い敷地が得られる平地やなだらかな山の斜面では、自然な佇まいと言えるでしょう。
対して、山裾らしき広がりも見当たらない懸崖の竜門石窟で、“奉先寺”とは何処にあるのであろう?これは、上掲の杜甫の詩を手にとった時、筆者がまず感じた偽らざる疑問であった。
結論を急ぐなら、龍門山懸崖の中腹に掘られた大きな石窟、奉先洞がすなわち奉先寺なのである。この洞に、今日目にすることができる厨子の諸像のほか、宿坊、庫裏、講堂など諸要素が作り込まれていたようです。
以下、撮ってきた写真を基に、想像を働かせてその佇まいと周囲の情景を思い描いてみます。麓を流れる伊河の船上から撮った龍門西山の遠望を写真 1に示しました。懸崖の中腹に大きな洞“奉先洞”が掘られていて、その奥に廬舎那仏の座像が見えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/51/43b6c60622818b847f3b8267c405c4d6.jpg)
写真1:伊河を下る船上から龍門奉先洞を望む
なお、カメラの後ろには東山が迫っており、撮影者は、東・西の両山に挟まれた谷底を流れる伊河にいることになります。灯りの乏しい唐の時代、夜陰にこの谷間をヒューヒューと過る風音は、詩人の詩情を掻き立てずには措かなかったものと想像されます。
洞内を近くで覗くと、廬舎那仏を中心に両脇に菩薩や弟子など精緻に彫られた像が目に入ります(写真2)。写真一枚には収まりませんでしたが、両脇にはさらに羅漢や力士等の立像が彫られてあり、総勢一仏、二弟子、二菩薩、二天王、二力士とされ、洞内の広さが伺われます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/fe/a40f4c9a4a3db5762498773d626a3161.jpg)
写真2:廬舎那仏と諸像
写真2で、確認しておいて頂きたいこと:・仏像の座高17 m、耳の大きさは1.9 mと巨大である、・諸像の台座は一段高くなっていて、その前に広場があり、多くの観光客が観覧している、・洞壁にはほぼ諸像の頭の高さに、縦に並んだ四角に穿かれた孔が何列かある。
奉先洞の真ん前の路上から洞を覗く(写真3)と、3筋の階段の向こう左寄りに廬舎那仏の頭部だけが目に入り、胴体部分は隠れています。すなわち、階段を登り切った向こうの広場の奥行きが非常に深いことを想像させます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/2f/5e36bd5be4ec9520bbee40de97d23e70.jpg)
写真3:龍門山の麓から奉先洞を望む
画面下の「石窟奉先洞」の看板は、道路わきのお土産店を示しています。お店の両脇から階段を登ると、屋根上は踊り場となっています。方向を変えてさらに上った所に一息つける踊り場が設けられているのが、手すりの作りから想像できます。
奉先洞への登り口を横から見た様子は写真4に示しました。お店の屋根上から洞へと登ります。写真が不鮮明で恐縮ですが、階段中程に白い衣装の人影があります。そこが中間の踊り場で、この辺りは龍門懸崖の壁面に当たり、洞はさらに奥まっていくことを示しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/40/c443207daeb7e5418efa1f8842c8a0f0.png)
写真4:橙色の手すりに沿って階段をさらに上った先に奉先洞がある。壁面の洞にはすべて、仏像が彫られている
奉先洞の三次元の様子が思い描けたでしょうか。洞の大きさを実感してもらうために敢えて‘くどく’述べました。資料によれば、洞の奥行き・横幅ともに30 mを越すとされており、900 m2(300坪)以上の面積です。大仏の高さから推測して、洞屋根は20m超の高さ、3、4階建ての建物に相当します。
唐の頃には、今日見るような鉄筋やコンクリートの利用はなく、木材が柱や梁として使用されていたことでしょう。写真2で見た、壁面に穿たれた四角の孔列は、巨大な梁を固定するための孔であったと想像されます。
本論の詩に戻ります。まず詩題について。奉先寺は、洞いっぱいに建てられた巨大なお寺です。この巨大さを念頭に置くなら、詩題「龍門奉先寺に遊ぶ」の“~に遊ぶ”という表現に納得がいくように思われます。
和尚さんに案内されて寺内を随分と歩かれたことでしょう。しかし“寺に遊ぶ”と題しながら、起句で“遊ぶ”と触れて、2句目で“寺に宿して”後、“遊覧”した形跡を示す字句が全くありません。面白いです。
詩の3、4、5及び6句は、奉先寺で夜に宿泊している際の景色を描写しています。3句の“陰壑”については、先に触れたように、奉先寺は谷間にあることから、敢えて“北の谷間”を想定する必要はないように思われます。
ほの暗い谷間に、ひとしきり冷たい風が起こり、風に吹かれて揺れる樹の枝、その間を通して見える晴朗な月光がちらちらと揺れ動いて見える。すなわち、“散”の字で、月光を借りて、風に樹木が揺れている“動”の情景を描いています。
頭を挙げて天を仰ぐと、澄み切った夜空に無数の星が煌いていて、群星が身に迫って来る。このような圧迫感が“逼”の一字で表現されています。‘雲中で寝ている’とは、‘世俗から離れている’思いでしょうか。
つまり、詩題の“遊ぶ”は、谷間をよぎる風音、風に揺れる木の枝の間に煌く月光、身に迫り来る天空の星辰、また夜陰の寒気 と、五感を通して心中に起こす感興であった と読むのは、穿ち過ぎか。
これらは,龍門奉先寺で宿したからこそ起こる感興でしょう。昼間には和尚さんの案内で大仏に参拝した筈です。7、8句で、朝に目が覚める頃、鐘の音が耳に届きます。詩句通りに、杜甫をして深い思いを起こさせたに違いありません。
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