愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題86 漢詩を読む 酒に対す-11; 李白: 酒に対して賀監を憶う 其の二

2018-09-16 11:50:52 | 漢詩を読む
この二句:
念此杳如夢,凄然傷我情。

“これを思うとはるか遠い夢のようで、寂しさで胸が痛む”。李白は、賀知章の故郷を訪ねて鏡湖や知章の故宅を巡ったばかりでなく、きっと墓前にも詣でたのではないでしょうか。来し方が思いだされて、心情を吐露した句です。「酒に対して賀監を憶う二首」の其の二、下記の詩をご鑑賞下さい。

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対酒憶賀監  其二
狂客帰四明, 狂客 四明に帰るに,
山陰道士迎。 山陰の道士 迎える。
勅赐鏡湖水, 勅赐(チョクシ)さる鏡湖の水,
為君台沼栄。 君が為に 台沼(ダイショウ) 栄える。
人亡余故宅, 人 亡(ナ)くなるに 故宅(コタク) 余(ノコ)り, 
空有荷花生。 空(ムナ)しく 荷花(カカ) の生ずる有り。
念此杳如夢, 此を念(オモ)うに 杳(ヨウ)として夢の如し,
凄然傷我情。 凄然(セイゼン)として 我が情 傷(イタ)む。
 註]
山陰:賀知章の故郷、紹興
勅赐:帝の勅によって賜った
鏡湖:賀知章の故郷の宅の門前にあった湖
台沼:鏡湖の周りの高台や池
故宅:賀知章の宅
荷花:ハスの花
杳:はるかに遠いさま
凄然:非常にもの寂しい感じがするさま

<現代語訳>
酒に対して賀監を憶う 其の二
四明狂客と自ら号していた賀知章が故郷の四明に帰るに当たっては、
故郷の道士たちが迎えてくれた。
長年仕えた褒美として帝から贈られた鏡湖の水、
君のおかげで周りの高台も湖も栄えている。
君が亡くなった後に残った故宅では、
空しくハスの花が咲いている。
これを思うとはるかに遠い夢のようであり、
寂しさに我が胸が痛む。
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前回挙げた「対酒憶賀監 二首」の序で、李白が賀知章と会した場所として述べている“紫極宮”は、老子を祀る廟で、道教に関わる施設です。また賀知章が李白に対して言った“謫仙人”は、道教の世界では最高級の褒め言葉であるということのようです。

賀知章は、帰郷する前の年(743)の冬に病に倒れ、数日間意識を失うことがあった。意識を取り戻した際に「道教の天国を旅してきた」と述べられた というエピソードが伝えられています。賀知章は道士であったようです。

上記の詩の冒頭、賀知章の帰郷に際して、故郷の道士たちが出迎えたことが述べられています。子供たちからは「お客さんはどちらから?」と問われつつも、郷の人々から暖かく迎えられたようです。

李白も若い頃 “山中で幽人と対酌”することもあり(閑話休題68 李白:山中幽人と対酌す 参照)、また後の放浪の旅にあっても、道士を訪ねることもありました。

李白自身、道教の教えに強い関心を抱いていたようですので、“謫仙人”と称された意味も充分に理解していたことでしょう。いずれにせよ、李白と知章とは波長の合うところがあったものと思われます。

ただ、道教に関心を持つ李白に対して、杜甫からは“不老不死の妙薬も出来上がることなく、葛洪に顔向けができない”(閑話休題76 杜甫:李白に贈る 参照)と、厳しい評価(?)がなされていましたが。

賀知章が、職を辞して帰郷することを願い出た。すると玄宗皇帝はじめ多くの高官達が長楽宮に集まり、見送りの会を開いた。その折、李白を含めて多くの人々が別れの詩を作ったようです。しかし儀礼的なものであった と。ここに挙げた二首では、賀知章を思う李白の心がしみじみと伝わってきます。

追記] 前回の稿で、“賀知章の草書は、お酒に酔った上での書では?”との趣旨のコメントを頂きました。素直な感想かな と。コメントを機会に、以下のように、取り立てて触れることがないであろう話題にも触れることができます。今後とも、忌憚のないコメントを期待しています。

古の詩人たちの詩を作る現場について、例えば、自然環境の中で“清流に臨んで”とか“ある事象に遭遇して即座に”とか、よく見かけます。必ずしも机の前で坐して想いを練るとは限らないようです。

お酒が用意されている宴会の場で、詩を作って楽しむことも度々あったようです。歌手も同席されていて、詩ができるなり節をつけて歌う という。我々が今日読む詩の中にもこのようにしてできたと伝えられている詩が多くあるようです。

杜甫は、賀知章が“酔って馬に乗っている姿はまるで船に乗っているようだ”と述べています(閑話休題 69, 杜甫:飲中八仙歌 参照)。この例えは、さっぱりとした性格で、交際好きであったという賀知章に対する親しみを込めた、おどけた表現であると解していますが、如何でしょうか。

今日に至るもお酒の関りで話題にされる古人は、結構お酒に強く、“酒に飲まれるような”ことはなかったであろうと筆者は見ています。“一斗詩百篇”の李白は別格として、賀知章も同様強く、街を飲み歩きつつもシャンとした態度で筆を手にしたのではないでしょうか。
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