”蓬(ムカシヨモギ類)”を含む用語に関して、最後に“孤蓬”が出てくる李白の詩「友人を送る」を読みます。その詩は下に示しました。‘別れ’を詠った傑作の一首として評価されている詩です。
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送友人
青山橫北郭,青山(セイザン) 北郭(ホクカク)に橫たわり,
白水遶東城。白水(ハクスイ)東城(トウジョウ)を遶(メグ)る。
此地一為別,此の地一(ヒト)たび別(ワカ)れを為(ナ)し,
孤蓬万里征。孤蓬(コホウ)万里(バンリ)に征(ユ)く。
浮雲遊子意,浮雲(フウン)遊子(ユウシ)の意,
落日故人情。落日(ラクジツ)故人(コジン)の情。
揮手自茲去,手を揮(フル)って茲(ココ)自(ヨ)り去れば,
蕭蕭班馬鳴。蕭蕭(ショウショウ)として班馬(ハンバ)鳴く。
註]
青山:青々と草木が茂った山
北郭:まちの北方
白水:日に白く輝いて見える川、または清く澄んだ川
東城:まちの東方
浮雲:旅に出る友人の不安で頼りない心情を象徴する
落日:沈みゆく夕日、別れを惜しみ、沈み勝ちな気分を表している
故人:昔馴染みの友、ここでは自分を指す
班馬:別れ行く馬
<現代語訳>
友人を送る
青い山並みが街の北側に横たわり、
白く照り輝く川は、街の東側をめぐって流れている。
この土地に別れを告げてしまうと、
君は風にちぎれた根無しけ草のように、
万里の彼方をさすらうのだ。
空に浮かぶ雲は、旅人である君の心、
落ち行く太陽は私の気持ちを表しているだ。
互いに手を振って、ここから去って行こうとするとき、
別れ行く馬も寂しげにいなないた。
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この詩が、何時・何処で作られたか、また友人とは誰であるかなどは定かではないようです。
作者の李白についてはこれまで度々触れてきました。李白は、42歳から約2年間、玄宗皇帝の下、宮廷詩人として過ごしています。この詩の内容から推して、その頃長安で作られたもののように思われますが。
この律詩で鑑賞したい一点は、見事な対句法です。青山 / 白日、一 / 万、浮雲 / 落日、手を揮る人 / いななく馬。それらの対句法により自然の情景と人情の機微が静的 / 動的に、また視覚的 / 聴覚的に、見事に表現されています。
さて、飛蓬、孤蓬、飄蓬および転蓬と“蓬”に拘ってきました。絶対的とは言ませんが、それぞれの詩で詩の内容と合った意味合いの用語が用いられていることは明らかなように思われます。
一つの旅行記を目指している本稿の副副題として“飛蓬”を当てましたが、あながち間違ってはいなかったか と胸を撫で下ろしている次第です。
蛇足ながら、似たような意味合いの用語として日本では“浮草”・“風来(坊)”や“旅がらす”などが使われています。古く漢文化を受容して来た日本で“蓬”を含む用語が定着していないのは、環境の違いに拠るのでしょうか。
以後、本稿では“飛蓬”の副副題の下、旅の情景や感想などを記して行く所存です。出かける旅の遠近・方向に関わることなく、飛び回る“飛蓬”本来の意味あいの稿を志していきます。
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送友人
青山橫北郭,青山(セイザン) 北郭(ホクカク)に橫たわり,
白水遶東城。白水(ハクスイ)東城(トウジョウ)を遶(メグ)る。
此地一為別,此の地一(ヒト)たび別(ワカ)れを為(ナ)し,
孤蓬万里征。孤蓬(コホウ)万里(バンリ)に征(ユ)く。
浮雲遊子意,浮雲(フウン)遊子(ユウシ)の意,
落日故人情。落日(ラクジツ)故人(コジン)の情。
揮手自茲去,手を揮(フル)って茲(ココ)自(ヨ)り去れば,
蕭蕭班馬鳴。蕭蕭(ショウショウ)として班馬(ハンバ)鳴く。
註]
青山:青々と草木が茂った山
北郭:まちの北方
白水:日に白く輝いて見える川、または清く澄んだ川
東城:まちの東方
浮雲:旅に出る友人の不安で頼りない心情を象徴する
落日:沈みゆく夕日、別れを惜しみ、沈み勝ちな気分を表している
故人:昔馴染みの友、ここでは自分を指す
班馬:別れ行く馬
<現代語訳>
友人を送る
青い山並みが街の北側に横たわり、
白く照り輝く川は、街の東側をめぐって流れている。
この土地に別れを告げてしまうと、
君は風にちぎれた根無しけ草のように、
万里の彼方をさすらうのだ。
空に浮かぶ雲は、旅人である君の心、
落ち行く太陽は私の気持ちを表しているだ。
互いに手を振って、ここから去って行こうとするとき、
別れ行く馬も寂しげにいなないた。
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この詩が、何時・何処で作られたか、また友人とは誰であるかなどは定かではないようです。
作者の李白についてはこれまで度々触れてきました。李白は、42歳から約2年間、玄宗皇帝の下、宮廷詩人として過ごしています。この詩の内容から推して、その頃長安で作られたもののように思われますが。
この律詩で鑑賞したい一点は、見事な対句法です。青山 / 白日、一 / 万、浮雲 / 落日、手を揮る人 / いななく馬。それらの対句法により自然の情景と人情の機微が静的 / 動的に、また視覚的 / 聴覚的に、見事に表現されています。
さて、飛蓬、孤蓬、飄蓬および転蓬と“蓬”に拘ってきました。絶対的とは言ませんが、それぞれの詩で詩の内容と合った意味合いの用語が用いられていることは明らかなように思われます。
一つの旅行記を目指している本稿の副副題として“飛蓬”を当てましたが、あながち間違ってはいなかったか と胸を撫で下ろしている次第です。
蛇足ながら、似たような意味合いの用語として日本では“浮草”・“風来(坊)”や“旅がらす”などが使われています。古く漢文化を受容して来た日本で“蓬”を含む用語が定着していないのは、環境の違いに拠るのでしょうか。
以後、本稿では“飛蓬”の副副題の下、旅の情景や感想などを記して行く所存です。出かける旅の遠近・方向に関わることなく、飛び回る“飛蓬”本来の意味あいの稿を志していきます。
最近知った事ですが、“浮草”・“風来(坊)”や“旅がらす”の他にも、”西行”も同じ意味で使われる、と。
知ってました???