シベリアの凍土に今も眠る戦後70年・証言(№13)
前野みよさん(84)の証言
1944年秋、「万歳」という声と軍歌に贈られ、ふるさとの駅から出征した。
汽車の窓から身を乗り出し、
ちぎれんばかりに日の丸の旗を振っていた兄の姿を
当時13歳の女学校1年だった前野みよさんはっきり覚えているという。
「兄は家族の姿や生まれ育った村の景色を、どんな思いで見ていたのだろう。
これが最後の別れになると思っていたのだろうか。
兄の悲しい運命を思いやると、やりきれない」
1945年8月、兄は満州で終戦を迎えたが、ソ連の参戦で捕虜になりシベリア送りとなる。
極寒の中で過酷な強制労働が始まる。
病気になった者は「何の治療もなく、ただ寒さの中で寝ているだけだった」
血便がベッドを通して床に落ちていたという。
「故郷に帰って、あんころ餅が食べたい」と力なくつぶやき、
誰も気づかないうちに息を引き取った。
戦友たちが凍った土を掘り起こし遺体を埋葬してくれたという話を復員した戦友から聞き、母も私も涙にくれたという。
母は兄から来た手紙をお守りのように大切に持って待ち続けた。
ラジオから流れる「岸壁の母」は母そのものであり、
「もしやもしやに……」という心境だったに違いない。
どんなにつらく、切なかったことかと前野さんは当時を振り返る。
70年も前の出来事なのに、
まるで昨日の出来事のように語る前野さんには戦後はまだ終わっていないのだろう。
「氷の下に眠る亡きがらは、永遠にシベリアの土となってしまうのだろう。
存命なら今年で90歳になる兄は、何年たっても私の記憶の中では、童顔の20歳ごろの青年のままだ」
戦後70年が過ぎ、戦争を知る人も年々減少していく。
だからこそ、あの戦争で体験した悲しく辛い出来事を、
私たちは後世に伝え、あの愚かな戦争を二度と起こしてはいけないと戒めなければならない。
今、戦争へのきな臭い風が漂っている時代なのだから。 (2015.12.7記)
(朝日新聞11.26付記事を要約・引用しました)