雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

読書案内「秋萩の散る」 澤田瞳子著

2016-10-28 17:00:00 | 読書案内

読書案内「秋萩の散る」澤田瞳子著
           徳間書店 2016.10初版
  
弓削道鏡が下野国薬師寺に別当として配流されてからの失意と悔恨の日々を描く。
 
遠い京から下野にやって来た道鏡の心は、敬愛する女帝への一途な思いと、
  それとは反対に自分をとりこにした女帝(孝謙天皇)への恨みが千々に綾なして、
 失意と悔恨の内に送る道鏡70歳を過ぎてからの煩悶である。

  昨春、七十の坂を超えて以来、日ましに足は弱り、目や耳までもが随分覚束なくなってきた。
 加えて、昨年末からはかれこれ半年以上、帝の看病に奔走し、その疲れも癒えぬうちに、
 下野国(しもつけのくに)に追いやられたのだ。病みつきこそせぬものの、身体は綿を詰めたように重く、
 なにをするにもひどく億劫でならなかった。
 
 「帝位すら譲ろうとした女帝の厚遇を想えば、彼女の死後、何らかの処分が下されるのは当然だ」
 と覚悟をしていた道鏡だが、突如、下野の国薬師寺別当に任ぜられたのは、
 女帝が高野山陵に葬られたたった四日後の事だったことを思えば、
 道鏡を取りまく社会の風当たりがいかに強かったか想像できる。 

 人は、ある人とのかかわりの中で、挫折したり、どん底まで落ちてしまった時、
 自分の不運や力不足を嘆く一方で、
 あの人さえいなかったら、あの人と深いかかわりを持たなかったらと
 憎悪の炎を燃やすときがある。
 憎悪はやがて恨みへと昇華し、自分を見失ってしまう時がある。

 女帝に取り入り帝位を簒奪せんとした妖僧、自らの肉親に次々高位高官を与えた末、
 女帝の死とともに全ての職を剥奪された破戒僧ーというおよそ真実とは異なる道鏡の噂は、
 京(みやこ)からはるかに隔たった東国にまで知れを渡っている。
 
     
 心の内を言ってしまえば、言い訳になり、
 しかも自分の女帝に対する純粋な気持ちを誰も信じてはくれないだろう。
 解っているだけに、「あのお人さえいなかったら」と恨む気持ちも出てくる。

 歴史上、道鏡は欲と色に憑りつかれた悪僧として、記録が残されているが、
 記録は常に、勝者側の視線で書かれ、敗者は黙して語れない。
 
 自分はただあの氷の花の如く気高く美しく、そして哀れな女帝を、御仏の慈悲をもって、
 わずかなりとも楽にしてあげたかっただけだ。

 王朝絵巻の中で悪僧と位置付けられた道鏡も、この短編小説の中では、歴史の中で翻弄(ほんろう)された
 
普通に悩み苦しむ失意のうちに生涯を閉じる僧として描かれている。

 表題にある「萩の花」のイメージが何度か出てきて、小説に趣と深みを与えている。
 「盛りを過ぎた萩の花」が、道鏡には、最後まで自分を頼りにし続けた女帝の涙のように思えたり、
 子供に石をぶつけられる道鏡の目には、「萩の花」は血の粒のように見えるときもあり、
 「色あせた萩の花」が、まるではかない夢のごとくはらはらと散っているようにも見える。

 自分を片時も側から離さず、世間からは「寵愛」といわれるほどの女帝の行為は、
 孤独ゆえの淋しさの表れではなかったか。

 くまなく慈悲を垂れる御仏を、そして、御仏の弟子たる道鏡を寵愛することで、
 己の心の空隙を埋めんとしたのであった。

 
やがて道鏡は、煩悶の末に女帝の本当の心にたどり着き、
 たった一瞬でも女帝を恨んだことを恥じる心境に到達する。

 下野の国薬師寺別当に追いやられた道鏡は、
 やっと開眼に似たすがすがしい気持ちに到達していく。

 最後にまた「萩の花」の登場でこの短編は幕を閉じる。

 盛りを過ぎた花のごとく散った女帝の思い出を胸に抱くこの身には、
 もはや呪詛も、恨み嫉みの感情も必要でない。
 この広大なる秋の野に散った萩の一片、美しい過去の思い出のひとかけらがあれば、
 これからも自分は生きていける。
     
     
この短編集には表題作のほかに、凱風の島、南海の桃李、夏芒の庭、梅一枝が収められている。
     いずれも、古代奈良・平安の歴史に題材をとった古代歴史短編小説集。
 (読書案内№88)                                (2016.10.28記)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする