風の行方(19) 第2部(8)
「仮の町構想」(3) 帰還困難区域
原発事故から1年半(2012.10現在)が過ぎた現在でも
16万を超える福島県民が避難生活を送っている。
行政の核となり住民の生活全般を支える拠点となる役場が
住民とともに移転せざるを得ない。
こんな大変な事態が1年9か月も続き原発被災地の復興再生計画は一向に進まない。
全町避難の続く福島県双葉、富岡、浪江、大熊の4町がこの「仮の町構想」に手を上げている。
「仮の町」は避難町村の中で唯一福島県外の埼玉県に役場毎集団移住した
双葉町井戸川町長が名付けたものである。
井戸川町長は「町民が1個所にまとまって一定期間暮らす拠点」を想定し、
「仮の町」というネーミングでその設立を政府に要求した最初の自治体である。
しかし、「仮の町」というネーミングには異論がある。
「町の主体性がなくなる」(馬場浪江町長)、
「落ち着いて生活できない印象がある」(渡辺大熊町長)など否定的である。
有力受け入れ先のいわき市も、
「仮の町は避難者が将来地元に戻ったら廃墟が残る負のイメージがある」と難色を示す。
「町外コミュニティー」と呼ぶのは浪江町と大熊町。
馬場浪江町長は住宅の他に、行政、商業、教育、医療機関を整備する考え。
渡辺大熊町長は県が「町外コミュニティーと言っているのでそれに合わせた」、
しかし、高齢者にはわかりにくいとの声を考慮して、「町外拠点」を併用するという。
「サテライト」は遠藤富岡町長が提唱する。
移住拠点をいわき市と郡山市に分散する考えがあり、「本体は富岡町に置き、
「町外拠点としてのいわき市と郡山市の集団移住地は『衛星』と位置づけする」という考えである。
(住む人が少なくなり取り壊される仮設住宅もある)
いずれにしろ、1年9か月も続く避難生活から、一歩でも先へ進み、
同郷の者同士が肩を寄せ合って暮らせる場の法的整備を政府は急ぐべきだろう。
「狭い仮設住宅」、「いまだに雑魚寝同然を強いられる避難所」。
目をつぶり、「見ざる、言わざる、聞かざる」になってはいけない。
(つづく)
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