こころよく我にはたらく仕事あれ…
① 石川啄木の歌
こころよく我にはたらく仕事あれ |
啄木にとって「こころよくはたらく仕事」はあったか。
放浪と病苦、貧苦にあえぎ故郷岩手県・渋民村で代用教員として働き始める。
この時啄木20歳。
1年後には北海道に渡り、函館、札幌、小樽、釧路と漂白し、
新聞記者として働くが残ったのは、借金と失意だけだったという。
22歳の春、妻子を残し上京し、小説家たらんとするが、
彼を待っていたのは、貧乏、借金
そして放蕩、病気。小説は売れずここでも彼は深い挫折を味わう。
いと暗き
穴に心を吸はれゆくごとく思ひて
つかれて眠る
※ 真暗な穴に心が吸われていくような思いで、
ただただ疲れて私は眠る。貧困、放蕩の末に
啄木は闇のなかに「死」をみつめていたのではないか。
こころよく
我にはたらく仕事あれ
それを仕遂げて死なむと思う
※ 東京朝日新聞に校正係として勤めていたときの歌です。
啄木にとって「こころよくはたらく仕事」とは、文学で
身を立てることだった。現実との乖離に苦悩する啄木の
思いがこの歌となって噴出したのでしょう。
浅草の夜のにぎはひに
まぎれ入り
まぎれ出で帰しさびしき心
※ どうしようもない苛立ちが、やがて啄木を孤独感におとしめる。
群衆の中に居てなお孤立した啄木の姿が哀しい。
この歌の前に次のような歌も歌っている。
こみ合へる電車の隅に
ちぢこまる
ゆふべゆふべの我のいとしさ
啄木24歳(1910年 明治43年)
「一握の砂」刊行。啄木は当初、
歌集の書名を「仕事のあと」として考えて
いたが、最終的に「一握の砂」とした。
頬につたふ
涙のごはず
一握の砂を示しし人を忘れず
余談になりますが、「一握の砂を示しし人」は誰なのか。
女性だと仮定すれば、「恋愛歌」として多くの人の共感を呼ぶ。
だが、男と仮定した場合、「人生歌」とも解釈できる。
「一握の砂を示しし人」は、心を許した人生の先輩や友人などが思い浮かぶが、
歌の内容が甘すぎる。やはり、女性とした方がしっくりするのではないか。
いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
握れば指のあひだより落つ
指のあいだよりさらさらと落ちる砂の無常観が、
「いのちなき砂のかなしさよ」という上五七によって
さらに強調されている。イメージとしては、頬につたふ/涙のごはず/
一握の砂を示しし人を忘れず/に通じる歌です。
生活苦にあえぐ苦しさや、孤独感をその時々の感情の赴くままに歌に託した啄木。
啄木の歌は、青春のやるせなさ、哀しみや孤独感、
貧困などの日常の出来事を素直に五七五七七託し自己表現している。
小説家になりたかった啄木は「歌は小生の遊戯なり」と言っているが、
やがてこの言葉は歌集「悲しき玩具」として結実する。
1912年4月13日(明治45年) 啄木肺結核にて死去。満26歳
1912年6月20日 啄木第二歌集「悲しき玩具」が発刊される。
新しき明日の来るを信ずといふ
自分の言葉に
嘘はなけれどー
「嘘はなけれどー」言葉に託くした啄木の深い絶望を思うと
心が痛みます。
途中にてふと気が変わり
勤め先を休みて今日も
河岸をさまよへり
呼吸(いき)すれば
胸の中(うち)にて鳴る音あり
凩(こがらし)よりもさびしきその音
「悲しき玩具」冒頭の歌です。
限りなく暗く寂しい心象風景が浮かんできます。
「私にとって歌は悲しい玩具である」といった啄木にとって
仕事とは何を指すのだろうか。
啄木と仕事という視点で啄木の歌を鑑賞してみました。
(2018.10.6) (労働問題№3)
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