雨あがりのペイブメント

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風の行方(17) 「仮の町構想」(1) 故郷を追われて

2012-11-09 20:19:41 | 風の行方・原発

原発・風の行方(17)  第二部(6)

 「仮の町構想」(1)  故郷を追われて

 福島第一原発事故が起きてから一年と八カ月が過ぎた。

見えない敵に追われるようにして、故郷を捨て、異郷の地に暮らす人々に、

「仮の町構想」の計画が検討されている。

 

 対象は福島第一原発から20㌔圏内にあり、今なお放射線量が高く、

全員避難を余儀なくされている地域で、

双葉郡富岡、大熊、双葉、浪江の4町が「仮の町構想」に前向きな姿勢を示している。

 

 これら4町は既に今後「5年間は帰還しない」という方針を打ち出している。

苦渋の選択である。

「5年間は帰還しない」という言葉に強い「意志」と「決意」が感じられる。

だが、事故を起こした原子炉の廃炉は40年かかるという、

5年で帰還出来るのかどうか。

「5年(原発事故から6年目)経ったら還れるのか」

避難住民の誰もが言葉には出さないが、

不安を隠しきれない放射性物質汚染の現実が横たわっている。

                       (写真・ASAHI SHIMBUN DIGTALより「消えた村」168の記憶)

 チェリノブイリ原発事故は、

26年経った現在でも周囲30㌔圏は立ち入り制限区域に指定され、

動植物の繁茂する人を寄せ付けない「緑の荒野」と化している。

 

 ウクライナ政府によれば、事故の影響は深刻で、

186の村が消えたという。

 チェリノブイリ市中央広場には、

「消えた村」の名が記された186本の立て札が並ぶ(写真)。

186という数字が事故のすさまじさを物語っている。

 

 原発の約2㌔手前、「コバチ村」跡。

「住民1114人が1986年5月3日に避難した」と看板が立つ。

 

 26年後の現在も避難した住民は帰れない。

 

 汚染された「緑の荒野」に人は住めない。

                                          (つづく)

    参考資料THE ASAHI SHIMBUN DIGITAL  消えた村168の記憶

 

 

 


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