「レベル7」(原子力事故の国際評価尺度)・深刻な事故
安全でゆるぎない原子力の火が、私たちの世界を照らし、
政治も経済も産業も電気の恩恵なしには成立しない社会へと発展してきた。
さらに安定した経済の発展と成熟社会の実現を目指して、
政府は昨年エネルギー基本計画で現在54基ある原発を、
2030年までに14基以上増やすと閣議決定した。
そのうち2基は建設中(青森県大間原発、島根県島根原発)である。
蛇足ながら島根原発は今年12月運転開始予定である。福島第一原発には、
7号基、8号基の建設計画もある(この計画は今度の原発事故で棚上げになっている)。
計画中も含めてこれら原発は、全て地方の海岸線に位置している。
原子力発電が本当に安全であれば、
一大電力消費の東京湾になぜ原発を作らないのか。
今回の原発事故が東京湾で起こったとしたら、
その被害の甚大さと社会的混乱を思うと背筋が寒くなってくる。
「地産地消」という考え方に基づけば、
都市部の電力は都市部でまかなえば良いと思うのだが……。
放射能汚染水を海へ放出せざるを得ないほど事態は緊迫していた。
被害拡大につながる放射性物質のさらなる放出を防ぐため、
燃料棒の冷却を最優先した結果、汚染水の海への放出は苦渋の選択だった。
解決策の見いだせない、政府や東電は混迷し、
土地を追われ、海を追われた被災者は、
悲しみの中で先行きの見えない避難生活に疲れ、
不安な眠れぬ夜を続けている。
7/12・保安院・安全委が「レベル7」と認定したが、これは遅すぎた認定である。
同じ「レベル7」の国際評価尺度のチェリノブイリ原発事故とは、
放出した放射性物質の量や拡散した範囲で比べれば、
確かに福島原発事故は、10分の1程度の規模なのだが、
「深刻な事故」には変わりがない。
故郷を追われ、帰りたくとも帰れない
明日の光の見えない生活を強いられている被災者の、
無念さを忘れてはいけない。
(つづく)
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