内戦の続くスーダンで起きた飢饉の中で、痩せ衰えてうずくまる子どもを撮影した写真。
その後ろではハゲワシが子どもの方を向いて映っており、
この子どもが死ぬのを虎視眈々と待っているように見える。
カーターが訪れた国連施設のある村では、
毎日20人前後の子どもが死んでいたと言われています。
カーターは国連の食糧配給センターの近くを歩いていて、
うずくまる子どもとハゲワシを見つけ、思わず構えてこの写真を撮った。
写真を掲載したニューヨーク・タイムズは次のようなキャプションをつけていた。
『先日アヨッドの食料配布センターへの道において撮影された、
飢餓により衰弱してうずくまった幼い少女。すぐ近くでハゲワシが待ち受けている』
戦場カメラマンの苦悩と孤独 ⑤ 戦場へ駆り立てるものは
戦場カメラマン渡部陽一の場合
(写真1) (写真2) (どちらも渡部陽一オフィシャルサイトから引用)
(写真1)
少年の鋭い目が、レンズの向こう側でシャッターを切るカメラマンを見つめる。
右の眉にそって大きな傷跡が残る。建物に立てかけられた自動小銃が、少年が生きている環境が
容易ならざる危険にさらされていることを訴えている。AK-47と思われる能力に優れた銃だ。
頑丈でパーツ数が少なく故障の少ない銃として人気が高い自動小銃だ。
1分間に600発(発射速度)をはじき出す。
余談になるが戦場で使われ、比較対象される銃にM-16がある。
価格や耐久性に於いてはAK-47に劣るが発射速度や重量ではM-16が
勝っているようです。何よりも集弾率(命中率)がよいということです。
架空の話で申し訳ないがゴルゴ13はこのM-16をスナイパー用に改良し
てさらに命中率を高い銃に改造して使用している。
(M-16を使用する米軍兵士)
この少年を被写体に選んだとき(図1写真)、
渡部は大学1年のエピソードを思い出していたのかもしれない。
アフリカ中央部で生活するピグミー族に会って話をしたい。
好奇心旺盛で 思い立つとすぐ実行に移す渡部は単身アフリカに渡る。
1993年、渡部陽一、21歳。
当時のアフリカはツチ族とフン族の衝突が激しく多くの民間人が虐殺されるような紛争地帯。
ジャングルの中で少年ゲリラに襲われ、暴力と略奪に会い命の危機にさらされる。
日常の中にひそむ非日常の「殺し合い」が、行われ、殺戮、虐待へとエスカレートし、
泥沼化していく戦闘に加わる少年ゲリラの存在。
暴力を振るわれ、略奪をされ命の危険にさらされた。
運命的な出会いのこの状況を何とかみんなに伝えたい。
だが渡部は言葉で伝えることの難しさを知った。
ジャングルの中で少年ゲリラに遭遇した体験が、
やがて渡部を「戦場カメラマン」という危険な仕事に就かせたのでしょう。
「言葉で伝わらないのであれば、好きな写真を使って伝えることはできないか。
………一枚の写真の力で何が起こっているのかを伝えることができるのではないか」
(「ぼくは戦場カメラマン」より引用)
かって冒険家の植村直己は、「冒険とは生きて帰ること」という言葉を残したが、
渡部はこの言葉を引用し次のように述べている。
植村直己について:1970年に世界最高峰エベレストに日本人で初めて登頂した。
五大陸最高峰登頂者(世界初)。犬ぞり単独行で北極点到達(世界初)。1984年冬期のマッ
キンリーに単独登頂するも、下山途中消息を絶ち現在に至る。
「そう、戦場カメラマンも同じです。『戦場取材は生きて帰ること』が大事なのだと考えています」
(「ぼくは戦場カメラマン」より引用)
戦場で生きる子どもたちを被写体に選ぶ渡部陽一の目は優しい。
同じように戦場の兵士を被写体にするときも、
戦場の緊迫した空気の中で時々訪れる「静かな時間」をとらえ、
言葉で表現できないような安息の一瞬を切り取る写真が多い(写真2)。
その渡部がケビン・カーターと同じような、
「報道写真と命」の二者択一の状況に出逢ったときどうするのだろう。
(つづく)
(つれづれに……心もよう№128) (2020.03.1記)
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