雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

映画「13人の刺客」を観て シリーズ映画№1

2010-10-01 06:54:36 | 映画
ラスト50分の壮絶な死闘が話題を呼んでいる。

 明石藩300人の参勤交代の行列をたった13人の刺客で襲撃し
 最強の暴君・松平斉韶(なりつぐ)を暗殺せよと
 密命を帯びた13人である。

 刺客の筆頭は島田新左衛門(役所広司)、補佐に永倉左平太(松方弘樹)、
 剣豪の浪人・平山九十郎(伊原剛志)と個性的なキャストを揃えての襲撃である。

 (役所広司は終始いい味を出しているが、戦闘シーンは何と言っても松方弘樹の
 流れるような殺陣が素晴らしい)

 13人対300人の死闘が延々と続く。

 確かに「暴力の美学」「破壊の美学」という視点で観賞すれば、
 男性路線映画として成立するだろう。

 しかし、『武士道とは何か、大義とは何か』という視点で考えてみると、
 襲撃する側も、それを阻止する側も
 「武士として華々しく命を散らす大義」が欲しかったのではないか。

 斬って斬って斬りまくる。
 
 山峡の宿場町全体を戦場にして
 爆薬を仕掛け、破壊し、
 敵も味方も狂気にまみれて死闘を繰り広げていく。

 たとえ暴君であろうと主君は主君。

 命をかけて暗殺を阻止する側にも
 武士として命を賭する大義がある。
 
 自分の信念のために全てを捨てて行動する男たちの美学があり、
 
 「武士道というは、死ぬことと見つけたり」と
 江戸時代中期の書物「葉隠れ」は冒頭で述べているが、
 それをそのまま実践して見せた映画である。

  「葉隠」について冒頭要約
    武士道とは死ぬことである。生か死かどちらかを選択しなければならないときは、
    死ぬ方を選ばなければならない。ただひたすら覚悟を決めて前に進むだけである。
    しかし、生死を賭けるような場面では思い通りに行くかどうかは分からない。
    私だって生きる方を選びたい。しかし、その為に思いを果たせずにいきながらえた    
    なら、それは腰ぬけである。常に死ぬことを覚悟していれば自分の精神は、武士道と
    一体になり、一生落ち度がなく、職務を全うすることができるのだ。
       


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