読書案内「荒野に追われた人々」戦時下日系米人家族の記録
1941年12月8日、日本の真珠湾攻撃に始まる、太平洋戦争勃発。
当時、日系米人(日本からの移民・アメリカ国籍を持つ)にに向けられた憎悪の感情は、
想像しがたいものがあった。最初に抑留されたのは日系人のまとめ役ともいえる、リーダーだった。
何の前触れもなく突然の連行である。
顔写真を撮られ、「銃を手にしたら誰に向かって引き金を引くのか、アメリカ人か、日本人か?」。
忠誠心を疑うような質問に日系人たちは、ほとんどの人たちが「空に向かって撃つ」と、苦しい立場で答えた。
また親しい白人の友人に、「真珠湾の攻撃があることは、前もって分かっていたの?」という質問を浴びせられ、
唖然とし私たちは傷ついたと、当時の状況を述べている。
リーダーの抑留に続いて、一般日系人の強制抑留が開始される。この本は太平洋戦争の中で日系米人がどのように扱われたかを記録した、戦争裏面史である。
最初の収容所は競馬場だった。
監視塔がいくつも立っている有刺鉄線をめぐらした丈の高い柵が辺り一帯を取り囲んでいた。
タンフォラン仮収容所は厩舎が住まいだった。
馬の匂いが漂い、隙間風が吹き込み、
軍隊用簡易ベッドの他には何もないような住まいが、強制送還された日系米人にあてがわれた場所だった。
この収容所に五千人が収容され、彼らは、苦労を重ねて一世が築いた財産をすべて失う羽目になった。
やがて、彼らは子どもたちのために、保育所を作り、学校を作り洗濯屋や床屋の店を開き、収容所で不自由な暮らしを強いられても決して希望を失わなかった。
しかし、次に移送された収容所は砂漠の中の八千人を収容する施設で、
人間が住めるような住宅環境ではなく、砂埃が舞い、
夜は寒く暖房設備のない部屋で、満足な寝具もなく、氷点下の下で震えて眠る日々だった。
市民としてのあらゆる権利をはく奪され、有刺鉄線の中に閉じ込められた二世たちに訪れたのは、アメリカ国民としての徴兵制の適用だった。
自らの祖国によって拒まれかつ監禁されながら、
兵役志願をすることによって自分たちの忠誠をその同じ祖国に対して示すことを、今や問われていたのである。
なんと理不尽なことか、アメリカ国民として疎まれ、収容所に監禁された日系米人は、
「忠誠心」という「踏絵」を要求されたのだ。
日系アメリカ人で編成された第442部隊と第百歩兵部隊は、
最前線に送られたが、その輝かしい記録は、今日では広く知れわたっている。
著者は最後に次のように述べている。
あの悲劇的で胸の張り裂けるような日々を乗り越えて日本人が生き残ったということは、まさに人間の精神の勝利 であったのだと思う。
歴史の中で我々が体験したことを、後の世代に伝えていくことが、今を生きる者の責務だと思う。
戦争の悲劇、原爆被爆、水俣・イタイイタイ病、原発、神戸・東日本災害等々伝えるべきものの多い現実であるが、
私たちはこうした辛い経験を乗り越えて、世代を繋いできた。
過去 現在 未来へと私たちは、その時代に生きた証として忘れてはならない体験をバトンタッチしていかなければならない。そうした意味で、この本の歴史の波に流され埋もれていく歴史の証人としての役割は大きい。
地味な内容で売れそうにない本を出版した「岩波書店」にも敬意を表したい。
評価☆☆☆☆(4/5)
ブックデーター 岩波書店 1984年第一刷 ヨシコ ウチダ著 品切れ (Amazonの中古で8,4000円)
文章が長く、内容が固いので、この手の内容は読者に不評です。
読んでいただいて、光栄です。
「後世に伝える」ということでは、私のブログ「風の行方」で原発問題、東日本災害をかいています。
また,「戦後70年・証言」では戦争体験者からの話を書いています。
読んでいただければ、感謝です。
「同じ悲劇の轍」を踏まないために、埋もれた歴史を発掘するのも一つの方法かと思い、郷土史なども勉強しています。
今後ともよろしくお願いします。
私たちが知らない「戦争の悲劇」があるのですね。
埋もれた歴史を埋もれたまま、知らないままに過ぎていくのは、また同じ悲劇の轍を踏むことになります。
おっしゃるように、 語り継いでいくのは歴史の担い手の現世代から次世代へですね。
絶版状態は残念です。復刻がある事を望みたいです。