春陰
何となくもの憂い、花曇りのことを「春陰」というのでしょうか。
広辞苑第7版では、「春の曇りがちな天候」という説明で、味も素っ気もありません。
別の辞書では「春の曇り」「花ぐもり」「春がすみ」などが確認されましたが、
どうもこの「春陰」にはもっと深い意味があるのではないか。
そこで、明鏡国語辞典の「春」と「陰」の項を引いてみました。
ありました。
「春」には「愛欲」とか色情などの意味があるようです。
「陰」には「人目につかない」とか「かくされたこと」などの意味があるそうです。
この二つの意味を見事に表現した小説がありました。
「失楽園」です。
「失楽園(下)」 渡辺淳一著 「春陰」の章より |
渡辺淳一の小説「失楽園」は、単に季節を表す言葉ではなく、
互いにひかれあいながら、添い遂げることのできない男女が
性愛に溺れていく様を克明に描いて一世を風靡した。
抜き差しならない不倫の渦に翻弄される男女。
逢瀬はいつも互いの肌と肌を合わせる行為は、愛欲に溺れ、
光の見えないトンネルの中で不安におびえる獣のように
互いの肉体に溺れていく二人の関係は、
愛する心を「春」に例えるならば、性の行為はまさに「陰」のイメージとして
浮かんでくる。
失楽園の「春陰」の章は次のように終わります。
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春の朧は、何となくもの憂く、散る花びらにものの哀れを感じる。
春がすみに溶け込む櫻花はどこかなまめかしい気配が漂っています。
日本語っていいですね。
「春泥」という響きも好きな言葉の一つです。
今東光が「春泥尼抄」という短編を書いています。
河内の貧農家庭に生まれた尼僧「春泥」の奔放な半生を描いた物語です。
「春泥」とは、春の雪解けや霜解けなどによるぬかるみのことですが、
春泥という名の尼僧の人生に投影させた今東光の短編は見事です。
(2019.4.15記) (ことの葉散歩道 №46)
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