雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

春陰

2019-04-15 17:54:27 | ことの葉散歩道

  春陰
   何となくもの憂い、花曇りのことを「春陰」というのでしょうか。
   広辞苑第7版では、「春の曇りがちな天候」という説明で、味も素っ気もありません。
   別の辞書では「春の曇り」「花ぐもり」「春がすみ」などが確認されましたが、
   どうもこの「春陰」にはもっと深い意味があるのではないか。

   そこで、明鏡国語辞典の「春」と「陰」の項を引いてみました。
   ありました。
   「春」には「愛欲」とか色情などの意味があるようです。
   「陰」には「人目につかない」とか「かくされたこと」などの意味があるそうです。
   
   この二つの意味を見事に表現した小説がありました。
   「失楽園」です。

   
   春陰というのか、少しもの憂い花曇りの午後である。
    まだ開花には少し早いが、この暖かさで、桜は一段と蕾をふくらませそうである。
    そんな気配の街の中を、久木は電車の吊り革に持たれて凛子の待つ渋谷の部屋へ急ぐ。

                       「失楽園(下)」 渡辺淳一著 「春陰」の章より    

   渡辺淳一の小説「失楽園」は、単に季節を表す言葉ではなく、
   互いにひかれあいながら、添い遂げることのできない男女が
   性愛に溺れていく様を克明に描いて一世を風靡した。
   
         抜き差しならない不倫の渦に翻弄される男女。
   逢瀬はいつも互いの肌と肌を合わせる行為は、愛欲に溺れ、
   光の見えないトンネルの中で不安におびえる獣のように
   互いの肉体に溺れていく二人の関係は、
   愛する心を「春」に例えるならば、性の行為はまさに「陰」のイメージとして
   浮かんでくる。

   失楽園の「春陰」の章は次のように終わります。

  
……「もうじき桜が咲くから、桜を見て、桜の宿に泊まろう」

  「いいな、嬉しいわ」
  凛子は、久木の胸をピタピタと叩いて喜びを表すと、すいと喉元まで手を伸ばす。
  「約束を守らないと首を絞めるわよ」
  「君に殺されるのなら、満足だ」
  「じゃあ、絞めてあげる」
  凛子は久木の首に当てて絞める仕草をするが、すぐあきらめたように手をゆるめる……
  
  ……凛子の声はどこか気怠げで、その唇は、
  春陰の中で散る桜の花片(はなびら)のように軽く開いている。

  春の朧は、何となくもの憂く、散る花びらにものの哀れを感じる。
  春がすみに溶け込む櫻花はどこかなまめかしい気配が漂っています。
  
  日本語っていいですね。

  「春泥」という響きも好きな言葉の一つです。
  今東光が「春泥尼抄」という短編を書いています。
  河内の貧農家庭に生まれた尼僧「春泥」の奔放な半生を描いた物語です。
  「春泥」とは、春の雪解けや霜解けなどによるぬかるみのことですが、
  春泥という名の尼僧の人生に投影させた今東光の短編は見事です。

  (2019.4.15記)     (ことの葉散歩道 №46)

 

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