捉えきれない自分 (ことの葉散歩道№36)
私たちは次世代に何を誇ればいいのか
「自分の弱さと向き合うのはとても苦しいことだから、でしょうね」 |
診察室を訪れる若者が、少しずつ変化している。
「どうしたのですか?」と訪ねても、明確な答えが返ってこない。
「つらいんです」
「どのように辛いのですか?」
問診の過程で、患者の意思表示が曖昧で、医師は患者の症状を捉えることが難しくなってきている。
言葉が肉声となって響いてこない。
言葉が感覚的になり、「うざい」「やばい」「きもい」「えぐい」などという若者言葉は、
1980~2000年代(昭和55年代~平成10年頃)に流行った。
意志や思いを伝える言葉が本来の意味を失い、上滑りしていく。
流行語大賞に選ばれた「インスタ映え」。
言葉や中身はどうあれ、
「インスタ映えする」と言う使い方が、「おいしそう」、「楽しそう」など、
……のように見えるというように使われ、ものの本質を確かめずに、言葉が一人歩きしていく。
若者たちが使用する言葉によって、仲間意識が生まれ、一見彼らは繋がっていると錯覚を起こす。
再び香山リカさんの話に戻そう。
単調なやり取りが増え、
「この感じが取れる薬ください」と、
カウンセリングより手っ取り早い薬物療法を望む人も目に付くようになった。
自分の内面を掘り下げ言葉で表現する力が落ちているように思う。
感覚的な言葉や流行言葉は、
自分を掘り下げ、じっくり見つめるにはそぐわない。
こうした言葉の反乱の中で成長した人の中には、
時々とんでもなく人間の道を踏み外してしまう人が発生する。
短絡的、激情型の人間が時々現れ、社会を震撼させる。
貧困、経済格差、地域からの孤立等社会の構造的歪みの中で叫ぶこともできず、
奈落の底へ落ちてしまう人。
自分を見つめ直すのではなく、
社会のせいや他人のせいにして責任転嫁してしまう。
こうした異端者を異物として排除することはやさしいが、それでは何も変わらない。
異端者を生み出すのは、病んだ社会なのだ。
排除するのではなく、社会そのものを立て直していかなければ解決にはならない。
もうすぐ平成の時代が終わり、新しい時代がスタートする。
戦中に生まれ、終戦とともに昨日までの価値観が崩れ、
新しい価値観の構築と共に経済大国を成し遂げた昭和の時代。
築いた平和の時代に、平成の30年間で私たちは何を築いてきたのだろう。
自国第一主義が台頭する中で、再び私たちの社会は「戦争」の危機にさらされている。
次世代を担う若者に私たちは自信を持って手渡すものがあるのだろうか。
(2018.01.06記)
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