義兄の死(2) 最期の命
(つれづれ日記№59)
義兄は18日に還らぬ人となった。
86歳、命のかがやきが風に揺らぐ、ローソクの炎のように
静かに消えた。
延命治療も入院も選択しなかった義兄だつた。
そして、この方針は二人の娘にも共通した考え方だった。
胃がんが見つかった時には、すでに末期がんのステージだった。
余命宣告もあり、冬を越すのは難しい。というのが主治医の見立てだった。
彼の選んだ道は、抗がん剤や放射線治療はしない。
自宅でゆっくりと最期の命を慈しみ、楽しみたい。
義兄や娘たちの願いでもあった。
決して落ち込むことなく、今まで彼が歩んできた姿勢を変えることなく、
ゆっくり天命を全うしたい。
幸いにも痛みはなく、食欲も衰えることなく、
70㌔の道のりを私は妻と二人、よく遊びに行った。
「お見舞い」という形は、なにか心がこもっていなく、
義理一通りという気がして、「遊びに行く」という形をとった。
だから頻繁におとづれ、食事も外に食べに出た。
「お見舞金」も包まなかった。
最後に逢ったのは3月16日だった。
ベッドに横たわる彼を私は初めて見た。
こちらの呼びかけにも答えず、静かに寝返りを打つだけの彼。
二日前ぐらいから、食事も取らなくなったという。
嫁いだ2人の娘たちは、
仕事のやりくりをしながら、自宅療養を支えた。
後ろ髪惹かれる思いで、私たちは70㌔の道のりを帰ってきた。
一日置いて18日の朝、訃報の電話を受けた。
18日早朝、二人の娘に見守られて、
眠るように旅立ったという。
介護施設で暮らす、認知症の妻を残しての旅立ちだった。
いつも妻のことを心配し、自宅で介護ができなくなり
施設にお願いしたことが、「不甲斐なく、残念だ」と、
施設への訪問を欠かしたことのない義兄だった。
家族葬は、とても心温まる素晴らしいものだった。
生前の義兄の希望通り、質素で、穏かで、
天命を自然な形で受け入れた義兄にふさわしい
静かな「お別れ」だった。
(2016.3.31記)
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