雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

読書案内「ルポ イチエフ」

2015-12-11 16:23:32 | 読書案内

読書案内「ルポ イチエフ」福島第一原発 レベル7の現場 布施祐仁著 岩波書店2012.9

 「誰かがやらなければいけない仕事」と単純には言えない、過酷な仕事。

命を削り、被曝することをいとも簡単に「食う」という。

「今日の作業で0.6(ミリシーベルト)食ったよ」などと表現する。

まるで、飯を食うというごくありふれた日常の言葉として「食う」という。

 放射能汚染のなか、原発事故の現場で作業にあたる作業員が「イチエフ」と呼ぶ福島第一原発の現場で、

事故の後始末に従事する作業員の肉声を丹念に拾い集めたルポルタージュ。

 

 作業員ひとり一人の言葉から浮かんできたものは、

劣悪な労働環境、横行する違法派遣・請負、労災隠し。

危険手当さえ、ピンハネされる。

 事故原発現場で働く人たちに光を当てる。

 

「誰かがやらないといけない……。自分が生まれ育った地元を、もう一度みんなが住める街にしたい」

郷土愛や責任感で原発作業に携わる人もいるが、

会社に対する「義理」で参加する人、日当の高さに惹かれる人。

さまざまな作業員が、各地から寄せ集められ連帯意識のないまま、

つまり何の組織にも属さないで、多くは雇用保険や健康保険にも加入せず、

何かあれば、「自己責任」で闇に葬られてしまう。

 この労働体系のもとでは、

最前線で過酷な労働に従事する作業員の悲痛な叫びは、どこにも届かない。

 

 こうした悲惨で理不尽なこの労働現場には、

何か得体のしれない気味悪さが漂っている。

それは、目に見えず、匂いも味もない放射能が漂う事故現場のなかを、

線量計の音だけを命綱代わりとして働く人たちの無言の声なのかもしれない

 

 東電は原発作業の下請け会社を、三次下請けまでしか認めていない。

しかし、実際には労働のヒエラルキーは7~9次下請けまであり、

得体のしれない作業員まで導入することになる。

 規定の線量を超えてしまえば、「解雇」になり、失業保険もない。

原発の深い闇をのぞかせてくれる本である。

 「ルポルタージュ」という表現形式が、

ありのままの現実を、読者の前に披露する。

 その現実を、読者がどう捉えるか。

  原発労働の過酷さを知らせてくれる好著です。

 評価☆☆☆☆☆(5/5)           (2015.12.11記)

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目は嘘をつかない

2015-12-09 15:00:00 | つれづれに……

目は嘘をつかない

 目

 しっかりと目前のものを見つめ

 矢のように飛んでいく 視線

 決してたじろがず

 凛とした決意と揺るがない自信を持っている

 

 相手はこの視線に 

 胸のうちのまやかしや

 自信のなさをとらえられて

 後退してしまう

 

 だが

 孤高の目にも弱点がある

 心だ

 

 心が曇ってしまえば

 目はたちまち光を失い曇ってしまう 

 

 心は強い力で目を誘惑する

 目よ負けるな

 どんなに心が曇ろうと

 誘惑には負けるな

 

 嫌いなものは嫌いと

 駄目なものはだめだと言えるように

 嘘つき心には負けるな

つれづれに…心もよう (№19)    (2015.12.9記)

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シベリアの凍土に今も眠る

2015-12-07 21:48:38 | 語り継ぐ戦争の証言

シベリアの凍土に今も眠る戦後70年・証言(№13)

 

 前野みよさん(84)の証言

 1944年秋、「万歳」という声と軍歌に贈られ、ふるさとの駅から出征した。 

汽車の窓から身を乗り出し、

ちぎれんばかりに日の丸の旗を振っていた兄の姿を

当時13歳の女学校1年だった前野みよさんはっきり覚えているという。

 「兄は家族の姿や生まれ育った村の景色を、どんな思いで見ていたのだろう。

これが最後の別れになると思っていたのだろうか。

兄の悲しい運命を思いやると、やりきれない」

 

 1945年8月、兄は満州で終戦を迎えたが、ソ連の参戦で捕虜になりシベリア送りとなる。

極寒の中で過酷な強制労働が始まる。

病気になった者は「何の治療もなく、ただ寒さの中で寝ているだけだった」

血便がベッドを通して床に落ちていたという。

 「故郷に帰って、あんころ餅が食べたい」と力なくつぶやき、

誰も気づかないうちに息を引き取った。

戦友たちが凍った土を掘り起こし遺体を埋葬してくれたという話を復員した戦友から聞き、母も私も涙にくれたという。

 

 母は兄から来た手紙をお守りのように大切に持って待ち続けた。

ラジオから流れる「岸壁の母」は母そのものであり、

「もしやもしやに……」という心境だったに違いない。

どんなにつらく、切なかったことかと前野さんは当時を振り返る。

 70年も前の出来事なのに、

まるで昨日の出来事のように語る前野さんには戦後はまだ終わっていないのだろう。

 

 「氷の下に眠る亡きがらは、永遠にシベリアの土となってしまうのだろう。

存命なら今年で90歳になる兄は、何年たっても私の記憶の中では、童顔の20歳ごろの青年のままだ」

 

 戦後70年が過ぎ、戦争を知る人も年々減少していく。

だからこそ、あの戦争で体験した悲しく辛い出来事を、

私たちは後世に伝え、あの愚かな戦争を二度と起こしてはいけないと戒めなければならない。

 今、戦争へのきな臭い風が漂っている時代なのだから。   (2015.12.7記)

 (朝日新聞11.26付記事を要約・引用しました)

コメント (2)
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憎しみの連鎖 報復の連鎖

2015-12-04 13:52:27 | 昨日の風 今日の風

憎しみの連鎖 報復の連鎖

 パリ同時多発テロ(3)

 パリで起きた同時多発テロでは、130人もの尊い命が失われた。

14年前の2001年9月11日には、アルカイダによる米国での同時多発テロが発生した。

どちらの事件も「テロ許すまじ」という大義名分のもと、空爆を強化拡大してきた。

 

  このやり方には人間が長きにわたり築いてきた、「英知」のひとかけらも感じることができない。

簡単に言ってしまえば、「目には目、歯には歯」、「やられたらやり返せ」の喧嘩殺法の展開だ。

 

 空爆には一定の効果があるのは事実だが、これでISを撲滅することなど不可能なことは、誰にもわかる。

誤爆があり、巻き添えで犠牲になる一般人も多く、

こうした空爆の報復が更なる憎しみを生み出し、

やがてテロへの過激思想に発展していくケースも多いだろう。

 

 わかりきったことなのに、テロに対して米国もフランスも空爆という報復を強化拡大する。

ここには、空爆する側にも受ける側にも何のメリットもない。

 

 不毛の戦いは、互いの憎しみを増長させるだけで何の解決にもならない。

 

 繰り返しになるが憎しみの連鎖は更なる憎しみを生み、

イスラム過激派を巡る問題はますます泥沼に入ってしまう。

 

 なぜ報復としての空爆なのか。

その一因を伊勢崎賢治氏(東京外語大教授)は、次のように述べている。

 なぜフランスも米国も空爆するのか。それは正当な民主主義国家だからです。テロ攻撃でたくさんの国民が死亡した。これに対して報復しなければ「弱虫大統領」などと言われてしまう。(そうなれば)政権維持が難しくなり、次の選挙で負けてしまう。選挙で政治家を選ぶ民主主義国だからこそ、「テロとの戦争」を掲げざるを得ないのだ。

 これはある種のナショナリズムの表れなのかもしれません。

 短期解決は望めないが、放送大教授・高橋和夫氏は、

 空爆よりも効果があり国際社会が力を注ぐべきなのは封鎖と圧力だ。()人と物と金が(過激派イスラム圏に)入らないように、もっと国際社会が協力して封じ込めを強めるべきだ。と述べています。

 宗教問題は武力により解決はできません。心の問題だからです。イスラム教に対する宗教的差別や経済格差をなくすことが解決の糸口なのだが、残念なことに、世論は報復の手段としての「空爆」を支持しているようです。

(昨日の風 今日の風№34)         (2015.12.3記)

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人の嫌がることは……

2015-12-02 10:54:19 | つれづれに……

人の嫌がることは……

 「いつも感謝の心で」=gos99hg様、いつも訪問していただきありがとうございます。コメントの項目がないので

このページで、私の考えを述べさせていただきます。

 「自分がしてもらってうれしい事を相手にもしてあげなさい」

 ラジオからのメッセージ、まったくその通りですね。

 

 思い違いや思い込みで、「相手にしてあげたら、喜ぶだろう」と思い行動した結果、嫌がられた。

迷惑がられたなどと善意が、お節介や親切の押し売りになってしまう恐れがあることは、あなたのおっしゃる通りです。

 人の感情や考え方は多様性を持っています。その時の状況や心理状態によっても受け止め方が違ってきます。

例えばAさんからの親切は素直に受け取れるが、同じ行為でもBさんからの親切は受け入れられないことなどです。

あなたが事例に引いた例などもこれに当たるかと思います。

 

 

 似たような言葉で、私は次のようなことを心がけています。

 

「人が嫌がることはしない」。

これだと、誤解やお節介、親切の押し売りなどの過ちを軽減することができると思います。

 

 あなたにとっておだやかな一日が訪れること…

願わくは、今日の一日が明日へと緩やかに流れますことを、願っています。


 

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