続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

春はいつでも新しい。

2014-03-19 07:04:37 | 日常
 大雪に見舞われたのはついこの前なのに、すでに春の陽気。寒いと思ってもふと気づくと風には春の香りが漂い、桜の開花も目前に控えている。

 卒業式などでの常套語に「水温む季節となりました」とあるけれど、まさにその通りの心地よさ。

 春の予感というよりは、春そのものの息吹が感じられる。厚衣を脱ぎ捨て軽装を心掛けたいけれど、そこが年配者の悲しさ、(まだ寒い日があるかもしれない)という恐れを排除できない。先取りには疎いのである。

 いつでも着用できるように傍らから放さない毛糸のチョッキ、メガネを掛けて見たら、恐ろしいほどの劣化。染み付いた薄汚れ、脱ぎ着の際に触る箇所には穴が・・・! 着古した感はもう十分、これ以上の着用は滑稽でさえある。

 老人が姿共々よれよれの着衣で平然としている気持がよく分かる。
 着慣れたものへの愛着は捨てがたく、また、その劣化が老眼のため判別不能な状態にあるから、自分としては何ともないわけで、笑っていられるというわけである。自分がそういう年になって始めて気づいたのもおかしいけれど、自分ばかりはおかしくも何ともないところが、老いた証しなのかもしれない。


 春!

 古いものへの執着をかなぐり捨て、新しい自分に出会うプランを立てたい!

『ポラーノの広場』272。

2014-03-19 06:45:12 | 宮沢賢治
 前の二本の樺の木のあたりからポラーノの広場へも何べんも行きました。

 前はゼンと読んで、全。
 二本はジ・ホンと読んで、字、翻。
 樺はカと読んで、化。
 木はキと読んで、記。
 広場はコウ・ジョウと読んで、講、常。
 何べんもはカと読んで、化。
 行きましたはコウと読んで、講。

☆全て字により翻(つくりかえる)。
 化(形、性質を変えて別のものになる)の記(書き留める)講(はなし)は、常に化(仏が衆生を導くこと)の講(はなし)である。

『城』1568。

2014-03-19 06:26:58 | カフカ覚書
「失せろ!」Kはどなりつけた。「せっかく迎えにきてくれたのに、なぜおれのステッキをもってきてくれなかったのだ。ステッキでもなければ、きさまらを追いたてて帰ることができないじゃないか」

 失せろ/Fort→Fort/砦。
 ステッキ/Stock→stecken/突っ込む、文句を言う。

☆「砦だ!」と、Kは大声をあげた。せっかく死がやってきたというのに、なぜ文句を言わなければならないのか。どうしてあなたたちは小舟の一族として追い払われなければならないのか。