伯母さんの墓参に行く途中「八百屋お七」の墓を
見つけました。地下鉄白山駅から伯母さんの墓迄
近道していこうと普段通らない道を歩いて行くと
「八百屋お七の墓があるぞ」と父ちゃん

勤行の帰りに覗いてみようということで
勤行が終わった帰り道。「お七」の墓がある
円乗寺に立ち寄ってみました。
赤いノボリが立っています。周りをビル群に
囲まれた円乗寺はそれほど大きな寺ではありません。

寺に入っていくと左側に八百屋お七の墓石が
立っていました。
墓石は3つ立っています。真ん中の墓石は
寺の住職が建てたもの、右が歌舞伎役者
岩井半四郎が建てた。左は近年有志が建てた。
ということで墓石が3つ並んでいる。

円乗寺のお七の墓は、元々は天和3年3月29日に
亡くなった法名妙栄禅尼の墓である。これが
お七の墓とされて、後年に歌舞伎役者の
五代目岩井半四郎がお七の墓として墓石を
追加している。しかし、矢野公和はこれに
疑問を呈している。単なる死罪ですら
死体は俵に入れて本所回向院の千住の
寮に埋めるに留まるが、その死罪よりも
重罪である火刑者が墓に葬られることは
許されるはずも無いと矢野は指摘している。
仮に家族がこっそり弔うにしても、寺に
堂々と墓石を立てることはありえない。
また、お七の命日を3月29日とする資料は
逆に墓碑を根拠としたものであろうとも
指摘されている。Wikipediaより。
ということはこれは「お七」の墓ではないと
いうことか?
まあそれは別にして
お七さん16歳だったそうな「恋」に憧れる
年代であることは確かで、男に恋焦がれて
自宅に火を放ち、段染め麻の葉模様の振袖を
翻し、自ら火の見櫓に登り半鐘を叩く姿は
絵になったんでしょう。八百屋お七、死して
物語を残す。ということか。
お墓詣りに行って、見つけた八百屋お七の墓
は円乗寺にあります。都営地下鉄三田線白山駅下車
A1出口から徒歩2分ほどのところです。
見つけました。地下鉄白山駅から伯母さんの墓迄
近道していこうと普段通らない道を歩いて行くと
「八百屋お七の墓があるぞ」と父ちゃん


勤行の帰りに覗いてみようということで
勤行が終わった帰り道。「お七」の墓がある
円乗寺に立ち寄ってみました。
赤いノボリが立っています。周りをビル群に
囲まれた円乗寺はそれほど大きな寺ではありません。

寺に入っていくと左側に八百屋お七の墓石が
立っていました。
墓石は3つ立っています。真ん中の墓石は
寺の住職が建てたもの、右が歌舞伎役者
岩井半四郎が建てた。左は近年有志が建てた。
ということで墓石が3つ並んでいる。

円乗寺のお七の墓は、元々は天和3年3月29日に
亡くなった法名妙栄禅尼の墓である。これが
お七の墓とされて、後年に歌舞伎役者の
五代目岩井半四郎がお七の墓として墓石を
追加している。しかし、矢野公和はこれに
疑問を呈している。単なる死罪ですら
死体は俵に入れて本所回向院の千住の
寮に埋めるに留まるが、その死罪よりも
重罪である火刑者が墓に葬られることは
許されるはずも無いと矢野は指摘している。
仮に家族がこっそり弔うにしても、寺に
堂々と墓石を立てることはありえない。
また、お七の命日を3月29日とする資料は
逆に墓碑を根拠としたものであろうとも
指摘されている。Wikipediaより。
ということはこれは「お七」の墓ではないと
いうことか?
まあそれは別にして
お七さん16歳だったそうな「恋」に憧れる
年代であることは確かで、男に恋焦がれて
自宅に火を放ち、段染め麻の葉模様の振袖を
翻し、自ら火の見櫓に登り半鐘を叩く姿は
絵になったんでしょう。八百屋お七、死して
物語を残す。ということか。
お墓詣りに行って、見つけた八百屋お七の墓
は円乗寺にあります。都営地下鉄三田線白山駅下車
A1出口から徒歩2分ほどのところです。
