夫婦で楽しむナチュラル スロー ライフ

日々の生活、男の料理、庭仕事、気になった事など気ままに綴っています。

八百屋お七のお墓があった

2017年10月15日 | お出かけ
伯母さんの墓参に行く途中「八百屋お七」の墓を
見つけました。地下鉄白山駅から伯母さんの墓迄
近道していこうと普段通らない道を歩いて行くと
八百屋お七の墓があるぞ」と父ちゃん
 
勤行の帰りに覗いてみようということで
勤行が終わった帰り道。「お七」の墓がある
円乗寺に立ち寄ってみました。

赤いノボリが立っています。周りをビル群に
囲まれた円乗寺はそれほど大きな寺ではありません。

寺に入っていくと左側に八百屋お七の墓石が
立っていました。
墓石は3つ立っています。真ん中の墓石は
寺の住職が建てたもの、右が歌舞伎役者
岩井半四郎が建てた。左は近年有志が建てた。
ということで墓石が3つ並んでいる。

 円乗寺のお七の墓は、元々は天和3年3月29日に
 亡くなった法名妙栄禅尼の墓である。これが
 お七の墓とされて、後年に歌舞伎役者の
 五代目岩井半四郎がお七の墓として墓石を
 追加している。しかし、矢野公和はこれに
 疑問を呈している。単なる死罪ですら
 死体は俵に入れて本所回向院の千住の
 寮に埋めるに留まるが、その死罪よりも
 重罪である火刑者が墓に葬られることは
 許されるはずも無いと矢野は指摘している。
 仮に家族がこっそり弔うにしても、寺に
 堂々と墓石を立てることはありえない。
 また、お七の命日を3月29日とする資料は
 逆に墓碑を根拠としたものであろうとも
 指摘されている。
Wikipediaより。
ということはこれは「お七」の墓ではないと
いうことか?

まあそれは別にして
お七さん16歳だったそうな「恋」に憧れる
年代であることは確かで、男に恋焦がれて
自宅に火を放ち、段染め麻の葉模様の振袖を
翻し、自ら火の見櫓に登り半鐘を叩く姿は
絵になったんでしょう。八百屋お七、死して
物語を残す。ということか。

お墓詣りに行って、見つけた八百屋お七の墓
は円乗寺にあります。都営地下鉄三田線白山駅下車
A1出口から徒歩2分ほどのところです。
コメント (2)
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永代供養の勤行に行った

2017年10月15日 | お出かけ
午後から年に一度の、伯母さんの永代供養の
勤行に行きました。
伯母さんの墓は本郷にあります。と言っても
今は合葬墓になっていますが、永代供養されて
いるのは伯母さんの子供(hisayoさん)だけ。
伯母さんと連れ合いの二人は永代供養されて
いない。生前、墓のあるお寺さんに
「hisayoの永代供養に100万円かかった」と
伯母さんが言っていた。
なので、供養されるのはhisayoさんのみ。

永代供養の仏様、名簿にhisayoさんの
命日(昭和61年5月5日)と
法名(燿善院釋妙麗信女)が載っていた。
勤行を終えて伯母さん一家が
眠っている合葬墓に花と線香を手向けました。

まだ雨が降っていました。
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10月の篆刻(てんこく)勉強会に行く

2017年10月15日 | 篆刻
このところ3日間続けて雨模様。少々うんざりです。
今日は篆刻サークル「石門印会」の勉強会でした。
打瀬の公民館まで父ちゃんに車で送ってもらう。

先生から9月の競刻課題の評価を受けます。

9月の課題はひらがな印、カタカナ印、ローマ字印
なんでも良いと言うことですがなかなか難しい。
中でもカタカナ印は斜画(しゃかく)斜めに書く線の
払いなどが同じ角度、方向になるので、難しい。
 
ジャックの「ャ」は「ヵ」に見えるし。
マンジュシャゲの「ジ」も「シ」も「ツ」に
見えてしまう。ご注意ということです。

勉強会が終わって帰り道雨の中の街路樹は
だいぶいろづいてきました。
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