抜けるような青空という形容がピッタリの朝を迎えた。
窓を開けると外の空気が流れ込み、その中にまたもや微かなキンモクセイの香りが・・・。
暫くすると匂わなくなったが・・・。

抜けるような青に、本当は汚れている二階への階段の頭上の、掃除もままならない窓が抜けてしまって無いかのよう。
今日は体育の日で祝日、国旗を掲げてみようと表に出る。

祝日には国旗を掲げ、国歌が流れれば姿勢を正す。
もちろん歌うことを前提とした式場などでは、けっこう大きな声で歌う。
昔は「♪さざれ石の・・」「♪苔のむすまで」辺りは高すぎて苦しくて、オクターブを下げてしまったり、妙な裏声を出して誤魔化していたが、この頃はわりと音が出るようになった。
これは、謡曲の練習で毎週声を出しているからに違いないと妙な自信をつけてきた。
ただ、祝日もいろいろで、体育の日など前回の東京オリンピックの開会を記念して設けられたのに、連休にするため移動してみたり、根拠も薄弱なのに休日を増やすために祝日を作ったとしか思えない祝日には国旗を掲げることを躊躇する。
と、まあ大袈裟な話は置いといて、匂いの元をもう一度確認に裏庭に回った。

何と申しましょうか、本当にささやかな数のキンモクセイが、うらぶれたような数本の枝の先にチラホラと花を付けていた。
木に近づいても香りはしない、その程度の僅かな花の数なのである。
多分朝の窓開けの時だけ香るのは、室内の澱んだ空気に慣らされた私の馬鹿な鼻が、朝の新鮮でまともな空気を、鋭敏に感じ取った一瞬の反応なのかも知れない。
またまた、話が大袈裟になりつつあるのでこの辺りで止めよう。

足元には台風の風にもめげず、葉っぱを残したハゼが紅葉を始めていた。
紅葉で思いだしたが、昨日は10月の句会で市民会館まで出かけたが、会館前の銀杏が一本だけ微かに黄葉の兆しをみせていたが、長くなるの明日にしよう。
「行く秋に自分のための子守歌」

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窓を開けると外の空気が流れ込み、その中にまたもや微かなキンモクセイの香りが・・・。
暫くすると匂わなくなったが・・・。

抜けるような青に、本当は汚れている二階への階段の頭上の、掃除もままならない窓が抜けてしまって無いかのよう。
今日は体育の日で祝日、国旗を掲げてみようと表に出る。

祝日には国旗を掲げ、国歌が流れれば姿勢を正す。
もちろん歌うことを前提とした式場などでは、けっこう大きな声で歌う。
昔は「♪さざれ石の・・」「♪苔のむすまで」辺りは高すぎて苦しくて、オクターブを下げてしまったり、妙な裏声を出して誤魔化していたが、この頃はわりと音が出るようになった。
これは、謡曲の練習で毎週声を出しているからに違いないと妙な自信をつけてきた。
ただ、祝日もいろいろで、体育の日など前回の東京オリンピックの開会を記念して設けられたのに、連休にするため移動してみたり、根拠も薄弱なのに休日を増やすために祝日を作ったとしか思えない祝日には国旗を掲げることを躊躇する。
と、まあ大袈裟な話は置いといて、匂いの元をもう一度確認に裏庭に回った。

何と申しましょうか、本当にささやかな数のキンモクセイが、うらぶれたような数本の枝の先にチラホラと花を付けていた。
木に近づいても香りはしない、その程度の僅かな花の数なのである。
多分朝の窓開けの時だけ香るのは、室内の澱んだ空気に慣らされた私の馬鹿な鼻が、朝の新鮮でまともな空気を、鋭敏に感じ取った一瞬の反応なのかも知れない。
またまた、話が大袈裟になりつつあるのでこの辺りで止めよう。

足元には台風の風にもめげず、葉っぱを残したハゼが紅葉を始めていた。
紅葉で思いだしたが、昨日は10月の句会で市民会館まで出かけたが、会館前の銀杏が一本だけ微かに黄葉の兆しをみせていたが、長くなるの明日にしよう。
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