カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

公園の草紅葉

2018-10-30 08:58:57 | 日常あれこれ
 少し山奥に行けば紅葉もそれなりに始まっている様子だが、街中はまだ紅葉は兆しだけである。

 我が家では、今年は突出して早く紅葉になったのは、小さな鉢にうえたハゼの木である。

 

 玄関脇の三角窓という、我が家的には一等席に期間限定で居座ることになった。

 その間、その場所に居座っていた小さな竹の鉢は外に出されることになる。

 紅葉を求めて近くの里山を歩いても、まだまだのようだ。

 散歩コースの公園で、色づいた一角があるので近づくと小さな草が紅葉していた。

 
 

 草紅葉は、高山などで茅などの葉っぱが赤く色づいて一面に広がる様を言うが、こんな低地のしかも公園の雑草の中で、全く系統の違う草の種類であっても、赤く色づくのであればこれも立派な草紅葉だと思うことにした。

 九州山地の五家庄辺りでは、紅葉の便りも聞かれ始めたが以前のように、駆けだして見に行く瞬発力が段々失せてきた。

 以前はわざわざ阿蘇の牧場の柵の門の部分を開けてもらって、草原を横切って根子岳の中腹まで登って見に行ったりもした。

 毎年各地の季節毎の風景写真が沢山残っているが、それらを眺めていると昨日の事のように思えてくる。

 花の時期には何処の花、紅葉の時期には何処の紅葉というように、その都度季節を確認するため訪れていたようなものだった。

 家の中の断捨離はなかなか進まないが、行動の断捨離はもう随分以前から始まっていたのだ。

 家の中の整頓は億劫と体力のバランスで決まり、お出かけの断捨離も全く同じ理由によって決まっていく。

 若さとはこれらを振り切る能力のことなのだ。

 
にほんブログ村
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする