熊日新聞にはタウン情報などを伝える「すぱいす」とか「あれんじ」とかのミニコミ誌がある。
県内の催し物や観光情報などが掲載されているのだが、数日前の「気まま旅 南関町」という記事は、ちょっと興味を引いたので取って置いた。
大津山阿蘇神社や、豊前街道南関御茶屋跡などが紹介されていた。
相方も行ってみたいというので、朝からナビ頼りで出かけることとし、当初の目的地を大津山阿蘇神社にセットした。
高速を南関で降りてそのままナビに従って一般道を行くと、信号のある交差点の向こうに鳥居が見えたので右に行くべきか左かと迷った挙げ句、真っ直ぐ鳥居を車のままくぐったら、それが正解だった。
駐車場は神社に限りなく近い。

(楼門)
阿蘇神社の系統では、国宝の人吉「青井阿蘇神社」が有名だが、この南関町の大津山阿蘇神社もなかなか風格がある神社だった。
楼門をくぐるって直ぐ手を洗って、見上げると大きな二本の杉の木に挟まれた石段が続いている。

(拝殿に向かう石段)
この眺めが実に良い。
標高250mちょっとの大津山の中腹に大津山阿蘇神社は鎮座している。
頂上は大津山城もあったそうだが、その後群雄割拠の時代を経て清正によってお茶屋跡の直ぐ北側の台上に熊本城の支城が築城されている。

(拝殿及び神殿)
阿蘇神社は、本殿を一の宮とし、二の宮、三の宮といった順で勢力圏のなかにかなりの数の末社をかかえている。
この大津山阿蘇神社が何番目の宮になるのかは知らない。

(拝殿から楼門を見下ろす)
相当に高低差があるので、108段というわれる石段は急勾配でけっこう足に堪える。
自動車などのお祓いのために車も上れる道があるので、そちらの方から歩いて登ればある程度は楽である。
相方が石段の下りが急で怖いというので、帰りは自動車用の道路を下った。
南関は、古代から平安時代にかけ昔のハイウエイとしの官道が整備されていたころ、太宰府~肥後~薩摩などを結んだ西海道の「駅」あるいは、関所、江戸時代以降は宿場町として番所が置かれるなど交通の要所であり、そのことは今も変わりない。
神社の境内や付近を見回すと、沢山のツツジや桜の樹が目立っていたので、花の時期に再度訪れてみたい。
大津山も車で上れそうな感じもしたが、とにかく狭い道路で離合は困難な状況なので調べた後再度挑戦することにした。
このあと豊前街道御茶屋跡に向かうが、御茶屋跡以降の話はまた明日のこころだあ。

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県内の催し物や観光情報などが掲載されているのだが、数日前の「気まま旅 南関町」という記事は、ちょっと興味を引いたので取って置いた。
大津山阿蘇神社や、豊前街道南関御茶屋跡などが紹介されていた。
相方も行ってみたいというので、朝からナビ頼りで出かけることとし、当初の目的地を大津山阿蘇神社にセットした。
高速を南関で降りてそのままナビに従って一般道を行くと、信号のある交差点の向こうに鳥居が見えたので右に行くべきか左かと迷った挙げ句、真っ直ぐ鳥居を車のままくぐったら、それが正解だった。
駐車場は神社に限りなく近い。

(楼門)
阿蘇神社の系統では、国宝の人吉「青井阿蘇神社」が有名だが、この南関町の大津山阿蘇神社もなかなか風格がある神社だった。
楼門をくぐるって直ぐ手を洗って、見上げると大きな二本の杉の木に挟まれた石段が続いている。

(拝殿に向かう石段)
この眺めが実に良い。
標高250mちょっとの大津山の中腹に大津山阿蘇神社は鎮座している。
頂上は大津山城もあったそうだが、その後群雄割拠の時代を経て清正によってお茶屋跡の直ぐ北側の台上に熊本城の支城が築城されている。

(拝殿及び神殿)
阿蘇神社は、本殿を一の宮とし、二の宮、三の宮といった順で勢力圏のなかにかなりの数の末社をかかえている。
この大津山阿蘇神社が何番目の宮になるのかは知らない。

(拝殿から楼門を見下ろす)
相当に高低差があるので、108段というわれる石段は急勾配でけっこう足に堪える。
自動車などのお祓いのために車も上れる道があるので、そちらの方から歩いて登ればある程度は楽である。
相方が石段の下りが急で怖いというので、帰りは自動車用の道路を下った。
南関は、古代から平安時代にかけ昔のハイウエイとしの官道が整備されていたころ、太宰府~肥後~薩摩などを結んだ西海道の「駅」あるいは、関所、江戸時代以降は宿場町として番所が置かれるなど交通の要所であり、そのことは今も変わりない。
神社の境内や付近を見回すと、沢山のツツジや桜の樹が目立っていたので、花の時期に再度訪れてみたい。
大津山も車で上れそうな感じもしたが、とにかく狭い道路で離合は困難な状況なので調べた後再度挑戦することにした。
このあと豊前街道御茶屋跡に向かうが、御茶屋跡以降の話はまた明日のこころだあ。

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