カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

猫はホテルで丸くなる

2018-10-21 12:45:39 | 日常あれこれ
 お隣さんが四日くらい出かけて留守にしますと挨拶に来られた。

 何でも娘さんのところに出かけるとかで、同居の年老いた両親はショートステイで介護施設に入所とか。

 「ところで猫ちゃんは?」と相方が聞いている。
 
 「ペットホテルに預けて行きます」とのこと、完全室内飼いが3匹、ほぼ毎日一回以上は公認の外出をしている猫が1匹で、都合4匹が4日間のホテル住まいということらしい。

 100%室内組はいいとして、外出組の1匹はストレスが溜まるだろうと思う。

 
 (外出専門の猫)

 以前は裏の窓から出ていたが、この頃は窓が閉まっていても定期的に我が家の庭も通って行くのが見える。

 多分玄関か、店の出口あたりから出入りしているのだろう。

 ただ、他の3匹がまったく出て来ないので、その分離する要領はかなり難しいテクニックが施されているのだろう。

 娘さんが連れて来た新入りの猫のようなので、以前の家が出入り自由で制御が効かなくなっているのだろうと思う。

 時々は我が家の庭にもお土産を置いて帰ったりするが、別段悪さをするわけではない。

 声を掛けても、チラッと顔を向ける程度でスタスタと通り過ぎて行く。

 温和しく、ホテルのベッドで丸くなって寝てくれているのだろうか。

 とにかく今は、隣家は灯りも音も消え、猫すらも通らない静かさが漂っている。

 
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町の文化祭で「橋弁慶」を謡った

2018-10-20 16:28:53 | 日常あれこれ
 平成30年度第28回の益城町文化祭が行われている。

 町の文化会館が改修工事に入ったため、今年は同じ町の施設の健康福祉センターでの開催となった。

 舞台も照明も音響も、健康管理が主たる目的の施設だから制限を受ける。

 
 (健康福祉センター)

 ただし検診などに使う部屋の他にも、研修室・会議室・託児室・工作室・などなど沢山の部屋があって、我々の謡曲の練習も毎週この施設を利用させてもらっている。

 一番大きな部屋である二つの多目的室を繋いだ状態で舞台を設置し、「ステージ部門」がこれを利用し、エントランスや広い廊下部分などを利用して「展示部門」の展示スペースとしている。

 
 (展示部門)

 焼き物から、生け花・盆栽・手芸・絵画・書道その他町民の力作が展示されている。

 
 (お茶席)

 いつもは託児室横の休憩スペースもお茶席に早変わり。

 肥後古流などのグループが交代で御茶を振る舞っている。

 私など御茶の作法は知らないが、とにかく美味しく感謝して頂くことを主眼として毎年御茶をいだだく。

 
 
 (ステージ部門)

 一年間の練習の成果を発表する機会でもあるので、各団体は一生懸命踊ったり歌ったり演奏したり・・・。

 我々の「益城観世会」もプログラム二番目で謡曲「橋弁慶」を全曲謡った。

 練習やリハーサルのときより本番の方が格段に良かったという評価を得た。

 例年だと、カメラを趣味とする仲間の奥さんが写真を撮ってくれるのだが、今回は何処かの花火大会の撮影でいないということで、今年は自分達の写真はない。

 ただ大会主催の文化協会が依頼しているプロのカメラマンが撮したものはある筈なので、後日手に入ると思っている。

 明日の二日目が終わると、さっそく撤収後片付けに動員される。

 私も高齢者なのだが、謡曲仲間や川柳の仲間では若い者扱いになっていて、体でご奉公する機会が多い。

 取り敢えずこの文化祭が終われば、後は次の新聞社主催の川柳大会に集中出来るので少しは気が楽になる。

 スポーツも体力を使うが、この文化活動もけっこう体力勝負のところがあるのだ。

 
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阿蘇にて(2)

2018-10-19 09:21:50 | おでかけ
 阿蘇山の火山活動は、現在は比較的穏やかである。

 ただ風向きによっては山上では瞬時に入場規制が掛かる。

 数ヶ月前に出かけたときは、山上駐車場に車を止め、ドアを開けて外に出た途端に避難指示が出て引き返した。

 
 (穏やかな噴煙をあげる阿蘇中岳)

 南や西風などが一定方向に吹いているときはほぼ安全である。

 北風や東風、それに風自体が頻繁に方向を変えるような場合はいつでも引き返す心構えが必要である。

 
 (レストランから草千里)

 震災による国道や鉄道の被害復旧がまだなので、観光客も以前のように沢山訪れておらず、幾つかあるレストランもフル営業に至っていないところもある。

 そんな中で一番に再開したレストランの、草千里と烏帽子岳を一望できる席で昼食を・・。

 席も同じで、メニューも同じ。

 
 (米塚)

 下山は米塚の横を通るコースを辿った。

 米塚は小さくて可愛いが、れっきとした火山で頂上にはちゃんと噴火口の丸い穴がある。

 ただ全山草に覆われていて、丸い穴の中もすべて草で覆われている。

 子供が小さかった頃登ったことがあるが、楽そうに見えてけっこう急で少し怖かった思い出がある。

 相方が言うには、手塚治虫の漫画にこの米塚から怪獣が出てくる作品があったそうで、通る度にその話を聞かされる。

 
 (草原の防火帯)

 付近の草原には、林等との境目付近は草が刈り取られ、火災の拡大防止のために焼かれた防火帯が続いている。

 春の草原に新芽が出る前には、阿蘇の草原は一斉に野焼きが始まる。

 その野焼きの前には、こうした防火帯つくりが行われるのだが、広大な面積と場所によっては急峻な地形もあって、昨今問題になっている高齢化の影響から、牧野組合の中には野焼きの実施が困難になっているところもある。

 1000年の歴史的景観を守ろうと、都市部からのボランティアが毎年大勢駆けつけて「輪千切り」という防火帯つくりなどの作業を応援している。

 放置すれば雑木の林になってしまう草原は、こうした地元やボランティアに支えられて少しずつ本来の姿に維持されている。

 今又、阿蘇の大自然に放牧された赤牛の肉質が見直されつつある。

 阿蘇は自然と人間が共生する広大なジオパークなのである。

 
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南阿蘇にて

2018-10-18 16:38:41 | おでかけ
 阿蘇・西原村の「萌えの里」から、南阿蘇村の「阿蘇望の里」経由で、阿蘇山の草千里まで出かけてみた。

 山上の風は涼し過ぎる感じだったが、紅葉にはまだ少し早いようだった。

 
 (萌えの里のコスモス)

 台風などの被害に備えて、何度か時期をずらしながら種蒔きをしたようで、コスモスの背丈が低い印象を受けた。

 そのぶん、風の被害を受けていないので、これからますます綺麗に咲き誇ることだろう。

 
 (ススキの原)

 花々も、震災前にはもっと広い面積に植えられていたが、以前の半分ほどに狭くなっている。

 ススキだけは元気に風を受けて波のよう。

 
 (俵山トンネルの出口付近から阿蘇を望む)

 南外輪山沿いの俵山トンネルを抜けると、いきなり南阿蘇の田園風景が広がり、その向こうに湯気が見える。

 阿蘇の南西側の斜面の杉林から、何年か前に突然蒸気が噴出し、噴気孔が出来てしまった。

 以前は湯ノ谷温泉の湯気がノンビリ見えていたものだが、南側の新しい噴気孔に圧倒されてしまっている。

 
 (阿蘇望の里)

 本来はここ阿蘇望の里で昼食をとる予定だったが、時間的に早過ぎて山上で食べることにした。

 ここのソフトクリームは美味しいので、いつも立ち寄るたびに食べていたがさすがに少し涼し過ぎる。

 それでも駐車場脇の木々も数本が枝先だけ紅葉しかけていた。

 これから11月にかけて、南阿蘇は朝晩冷え込んで紅葉も一気に進むことだろう。

 
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木山神宮秋の例大祭

2018-10-17 20:59:15 | 日常あれこれ
 益城町の「木山神宮秋の例大祭」が催されていた。

 地震で鳥居、拝殿、神殿と全て崩落したが、廃墟のような中で例年の如く行われ続けている。

 

 拝殿や神殿の再建工事は始まっていて、その工事用の櫓の上に未来へと大きな灯りが点されていた。

 鳥居のあった辺りから参道沿いに灯りがともされている。

 

 

 拝殿の有った場所には、山鹿灯籠の灯籠師が今年の灯籠祭で奉納した「木山神宮」の作品が置かれていた。

 拝殿前では「神楽」が奉納されていた。

 伝統芸能の継承ということで、子供神楽が盛んなので、沢山の子供達が出番をまっている。

 

 舞台では、邦楽演奏や和太鼓の演奏などが行われていた。

 今度の土・日は町の「文化祭」が行われ、こうした邦楽の演奏グループも参加する予定である。

 文化会館が改修工事にはいり、2年くらいは使用不能の状態になるため今年は、健康福祉センターを使う事になっている。

 私達の「益城観世会」も土曜日の朝から、謡曲「橋弁慶」を発表する。

 明日は通常の練習、明後日は舞台でのリハーサル、そして土曜が本番である。

 秋は収穫を神に感謝する時期であると同時に、文化活動も最盛期に入る時期なのだ。

 
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我が家に来るお米の故郷

2018-10-16 17:10:29 | 日常あれこれ
 「故郷の米はニッコリ炊き上がる」という句の主人公、米の故郷を覗いてみた。

 南側の里山の中腹にある橋から眺めると、米の故郷が一望できる。

 

 手前が福田・赤井地区で、田んぼを挟んで町の中心部が広がっている。

 左はそのまま熊本市につながり、遠方の山は二の岳・三の岳などの金峰山系である。

 この挟まった田んぼの、こちら側の山際が我が家にやってくるお米の産地である。

 

 農業用水や飲料水にも利用される「ソウメン滝」と呼ばれている場所がある。

 池の向こう側の岩肌の、1メートルにも満たない高さから湧き出した幾筋もの湧水を、ソウメンに見立てての命名なのだろう。

 

 とても浅い池だが枯れることはなく、底の部分からもプクプクと湧き出ている。

 地震のあと擁壁の整備・補修等のため池の中に作業車が入る事態にもなって、天然の水草がほとんど遣られてしまった。

 そのため、あま藻などを元の状態に戻すための植え付けなどが行われている。

 あと何年かすれば元の状態に戻るはずである。

 

 道路の脇の柿の木では、枝の先で残った柿がのんびりぶら下がっていた。

 この辺りは柿の産地でもあって、最近品種改良された大秋柿はブランド柿として高値で取引されている。

 恵まれた自然とのどかな風景のなかで育まれた稲は、刈り取られて籾摺りのあとお米と名前を変える。

 「一輪を見る人も無く稲の花」

 
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あまりに懐かしいプロレス

2018-10-15 19:22:24 | 日常あれこれ
 昨日は、窓の外から変に元気な音楽が聞こえてきたりマイクで喋っているような声が聞こえてきた。

 隣のオヤジさんのカラオケにしては元気が良すぎるし、だいいち声がはるかにデカイ。

 道路の方を覗くと、西側のスーパーの予備駐車場も車が沢山入っている。

 

 何事かと、表に出てみるとどうやら賑やかさの元は、地震で撤退したドラッグストアの後に出来た自動車屋さんらしい。

 のんびり腕組みなどしながら眺めている、若い男性に「何事ですか」と訪ねると、レスリングだという。

 「え~!レスリング?」

 確かに店の前の駐車場にリングが出来ている。

 ただし、リングの上では中学生くらいの女の子が軽快なリズムに乗ってダンスをしている。

 

 いつも饅頭を買う、饅頭屋のオヤジさんに「これって、今日ここでやるって話はあったんですか?」と話しかけると、自分の店の前にテーブルと椅子を持ち出して、甘栗をぽりぽり食べながら「チラシがきましたよ。テレビでも言ってましたよ」と楽しそうにポリポリ。

 「じゃ女子プロレスですか。女の子が踊っているようですが・・」と聞くと、「あれは町内のダンスチームで、試合は後で始まりますよ」とまたポリポリ。

 用事があったのでその場を去った後に、再び覗いてみたら試合が始まろうとしていた。

 タッグマッチらしく、予定通り場外乱闘から始まって、あの懐かしいプロレスシーンが展開しはじめた。

 

 力道山だの、エンリキ・トーレスだのが活躍していた頃、テレビにかじりついて観戦していたものだ。

 いわゆる文字通りの手に汗を握りながら見ていた。

 学校でも友達とプロレスごっこばかりしていたのを思い出す。

 あの頃と比べれば、プロレスも下火にはなったものの、一部の熱烈なファンはちゃんと居て、今日もリングサイドで応援している。

 技の切れもいいし、昔のプロレスに比べれば圧倒的に今の方が技術的にも高度な技を使っているような気がした。

 テレビでは今でも深夜にやっているようだが、生のリングでのファイトを見るのは今日が初めてだった。

 特に、マットに叩きつけたり、ロープから飛び降りたりするときのマットのタ~ンという高い音が迫力があった。

 ただ、どうしても見続けることが出来なかった。

 子供の頃の思い出は、そのままそっとして置きたかった。

 リアルな試合の迫力の前に、以前の英雄たちを置き去りには出来なかったのだ。

 2軒隣が我が家なので、しばらくの間はリングアナウンサーの声やドタン・バタンや激しい音楽が聞こえ続けていた。

 
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故郷の米はにっこり炊き上がる

2018-10-14 10:53:47 | 日常あれこれ
 天高く馬肥ゆる秋、といっても馬はお祭りの飾り馬くらいしか見ることも無くなった。

 阿蘇の牧場に行けば、沢山の牛の放牧の中に数は少ないが馬の放牧も見ることが出来る。

 早場米の地域などを通ると、もう稲刈りはとっくに済んでいる。

 我が家は産地直送というか、地場の米を直接農家から頂いているので、新米の時期になると取り入れの進み具合が気になる。

 毎日の散歩コースからは、里山の船野山とその裾野の田んぼ一帯が見える。

 

 品種改良で風に強い稲になったのか、幾つかの台風が来たわりには倒れている稲は少ない。

 まず今年は豊作といったところか。

 木山川の堤防を越えると、船野山とその手前に益城町の赤井地区が見えてくる。

 

 コンバインが一台だけ稲刈りの作業中だった。

 まだ刈りいれは10%にも満たないほどで、我が家に新米が届くのはもう少し後になる。

 ブランド米もいろいろあるが、食べ比べてもまったく遜色はない。

 むしろ食べる分だけ10キロ程度その都度精米して搗きたてを食べるので、こちらの方がいつも新米の風味で美味しい。

 もう少し稲刈りが進んで、農家の手が少し空けば、電話すると30キロの袋詰めを数個玄関まで運んでくれる。

 阿蘇の外輪山や、付近の里山の伏流水が湧き出ている地域なので、水も綺麗だし田んぼの用水路には水草が茂り夏には螢も飛び交う。

 小魚や水生動物の種類も多く、自然が豊かな地域なのである。

 例によって、鷺などの鳥がコンバインの後ろについてまわっていた。

 穀類を食べる鳥ではないので、出てくる虫などをあてにしているのだろう。

 

 こうした風景が、もう少し彼方こちらで本格的に展開するようになると我が家の食卓に新米が登場することになる。

 実は我が家の米櫃は、昨日最後の精米をしたものが6キロ残っている。

 これを食べてしまう頃には、新米が届けばいいなと思っている。

 「故郷の米はにっこり炊き上がる」

 「里帰りせぬ子に送る里の米」

 
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気ままにお出かけ「南関町」その2

2018-10-13 09:55:14 | おでかけ
 高速道路を挟んで、西側の南関町の中心部に近いところに、国の史跡に指定されている豊前街道「南関御茶屋跡」がある。

 小さな標識なので、見落とさないようにしないとUターンして戻って探すはめになる。

 昔の街道沿いなので道は極めて狭い。

 
 (御茶屋跡入口)

 左前方の建物が2016年に、国の事業として修復された御茶屋の建物。

 右は個人所有であるが、立地位置・建物の形状から歴史的価値があると思われるが未調査。

 
 (修復後の御茶屋)

 修復前の写真も展示されているが、あと一歩遅れると修復不能というギリギリの時期だったことが窺える。

 南関御茶屋は嘉永5年(1852年)に藩主(細川)が参勤交代や領内巡視の際に休憩・宿泊してたもので、担当者の説明によると薩摩藩も参勤交代時の休憩所として使っていたとか。

 
 (茶屋の居間から大津山を望む)

 入館料は大人200円で、抹茶を頂きながら東を望めば、南関富士の別名のある大津山が遠望でき柱や梁が額縁のようで、独特の雰囲気を醸し出している。

 200円で殿様気分になれ、御茶まで頂けるとはまさに気分は最高。

 説明などは教育委員会のOB等、地域の歴史などに詳しい方々がボランティアで交代勤務している様子。

 直ぐ北側に位置する「鷹の原城」跡を案内して説明して頂けることになった。

 
 (鷹の原城址)

 鷹の原城趾は、古文書等はあったものの実際に発掘調査まで行われたのは比較的最近のこと。

 熊本城の支城として北に備えるため、加藤清正が築城を命じたもの。

 熊本県の南の佐敷城や東の内牧城などとともに、幾つかあった支城の一つである。

 標高100m程度の小高い場所に築かれた平山城で、山城だったすぐ東側の大津山城とは異なる。

 徳川時代の一国一城令によって、廃城となり高く積まれていた石垣もすべて堀の中に崩され土で覆われてしまった。

 近年の発掘調査で、往時の様子が垣間見られるようになってきた。

 本丸の付近には、西南戦争時の「官軍墓地」もある。

 
 (大津山阿蘇神社)

 こうして見ると、大津山城や鷹の原城、この他にも幾つかの城址がある。

 阿蘇神社があるということは、古くは阿蘇氏の勢力が及んでいることである。

 南関は街道交通の要衝であることから、古代から近代化の時代まで歴史の息づかいが聞こえるような場所である。

 この他、詩人の北原白秋の母親は、この南関生まれであり白秋も母親の実家で生まれている。

 子供の頃からしばしば母親の生家や親類を訪れていて、福岡の柳川と共に第二の故郷と白秋が言う南関の風土が、彼の作品に影響を及ぼしたであろうことは容易に推測される。

 御茶屋は、廃藩置県のあと廃止され民間の手にわたり、本当の御茶屋としてお客をもてなす場所として大切に使用されてきたため、修復が可能な程度の傷み具合で済んだということらしい。

 「手延べ素麺」や「南関揚げ」などの特産品や、近年クローズアップされてきた竹を利用した産業などについては、次に訪れるときの宿題に残して置くことにする。

 「秋風が出番ですよと呼びに来る」

 
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気ままにお出かけ「南関町」その1

2018-10-12 19:23:13 | おでかけ
 熊日新聞にはタウン情報などを伝える「すぱいす」とか「あれんじ」とかのミニコミ誌がある。

 県内の催し物や観光情報などが掲載されているのだが、数日前の「気まま旅 南関町」という記事は、ちょっと興味を引いたので取って置いた。

 大津山阿蘇神社や、豊前街道南関御茶屋跡などが紹介されていた。

 相方も行ってみたいというので、朝からナビ頼りで出かけることとし、当初の目的地を大津山阿蘇神社にセットした。

 高速を南関で降りてそのままナビに従って一般道を行くと、信号のある交差点の向こうに鳥居が見えたので右に行くべきか左かと迷った挙げ句、真っ直ぐ鳥居を車のままくぐったら、それが正解だった。

 駐車場は神社に限りなく近い。

 
 (楼門)

 阿蘇神社の系統では、国宝の人吉「青井阿蘇神社」が有名だが、この南関町の大津山阿蘇神社もなかなか風格がある神社だった。

 楼門をくぐるって直ぐ手を洗って、見上げると大きな二本の杉の木に挟まれた石段が続いている。

 
 (拝殿に向かう石段)

 この眺めが実に良い。

 標高250mちょっとの大津山の中腹に大津山阿蘇神社は鎮座している。

 頂上は大津山城もあったそうだが、その後群雄割拠の時代を経て清正によってお茶屋跡の直ぐ北側の台上に熊本城の支城が築城されている。

 
 (拝殿及び神殿)

 阿蘇神社は、本殿を一の宮とし、二の宮、三の宮といった順で勢力圏のなかにかなりの数の末社をかかえている。

 この大津山阿蘇神社が何番目の宮になるのかは知らない。

 
 (拝殿から楼門を見下ろす)

 相当に高低差があるので、108段というわれる石段は急勾配でけっこう足に堪える。

 自動車などのお祓いのために車も上れる道があるので、そちらの方から歩いて登ればある程度は楽である。

 相方が石段の下りが急で怖いというので、帰りは自動車用の道路を下った。

 南関は、古代から平安時代にかけ昔のハイウエイとしの官道が整備されていたころ、太宰府~肥後~薩摩などを結んだ西海道の「駅」あるいは、関所、江戸時代以降は宿場町として番所が置かれるなど交通の要所であり、そのことは今も変わりない。

 神社の境内や付近を見回すと、沢山のツツジや桜の樹が目立っていたので、花の時期に再度訪れてみたい。

 大津山も車で上れそうな感じもしたが、とにかく狭い道路で離合は困難な状況なので調べた後再度挑戦することにした。

 このあと豊前街道御茶屋跡に向かうが、御茶屋跡以降の話はまた明日のこころだあ。

 
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