人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

今は草木ものを言う時

2024-10-13 09:10:38 | 雑感
時折、自分の書いた記事を読み返してみて、我ながら驚いてしまうことがあります。
”一体、これは誰が書いたのか!”、と...
”特別な修行も無しに、神の臨在のようなものに与ってしまったのだ、とか意識するだけでそうなってしまうのだ、とか...
これは余程の天才か、ほら吹きにしか書けまい!...
で、書いてるヤツはというと...ふははは!...アイツか、あの半分世捨て人のようなヘタレ、何の取り柄の無い人間ではないか!...ちっとは文章力があるらしいが、一流の宗教家か哲学者気取りでいやがる!...ヤツを見たら分かるではないか?...こいつあ、信用出来ない”、と!...

そうです!...多分、私が自分の分際も弁えず、いつもそのようなことを書いているのは何かの間違いなんでしょう?...
一流の宗教家や哲学者に比べたら、そりゃあ、足下にも及ばないですよ。だから別に信じてもらわなくてもいいのです!
けどね...これは、ただ私の意志だけだったら、そんな世迷い言などやらんでもいいでしょう!
しかし、どうにもこうにも迫られる、促されてしまうんだからしょうがない!
だから、こうして”草木ものを言う”ようなことをして、否やらされている訳なのです!
今のこの時は...草木ものを言っているぞ!、石が叫んでいるぞ!、ハエ取りグモが何かのお告げをしているぞ!...
私は、そういう時代相というものを感じてならないのです。
つまり、今は、偉大な宗教家、哲学者、霊性のマスターといった、特殊な人間だけが何かの真理を語り、それに与る時代では無くなって来た、ということなのです!
全く持って、それはあなたや私に開かれるものでなくて何であろう!
あなたや私が救われずして誰が救われるだろう!
何のための宗教的真理、霊性の教えなのか?
それは、エライ誰かへのお追従を通してしか与ることが出来ないものなのでしょうか?
それには、特定の教えやメソッドに従わないと得られないものなのでしょうか?
私は、草木を代表してかく言わざるを得ない!
”何の取り柄も無い私に、直々に神的なものが臨みたもうた”、と!
だからだから、特に強調したいことはこのこと...神の方が臨んでこられたのです。
人間の都合では間違いとしか思えないことでも、今はこうあるべきという、常識などグラついてしまうことばかり起こっているではないか!
そう、人間の思いを超えたことが始まっているのです!
草木ものを言い、石が叫んだとて多分バチは当たるまい!...
コメント
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