人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

言葉、概念を超えて

2025-01-11 07:23:40 | 求道、探究
いわゆるノンデュアリティと呼ばれる道で、多大な影響をもたらしたマスターにインドのニサルガダッタ.マハラジという人がおりました。
その前のラマナ.マハルシもその系譜で語られることも多いのですが、特にその道の関連でよく引き合いに出されているようです。
二人ともその本は、質問者との対話が主体となっているのですが、ラマナの教えも実に深遠で、ただ言葉、知的概念だけで理解することは困難ですが、このマハラジ(ナチュラルスピリットから二冊出ている)は、さらにぶっきらぼうというか、対手がどう理解しているのか全く無視するかのように、ひたすら自分に示された真理を説いているようなのです。
その点ラマナは、主に質問してくるヨガの修行者などに譲歩して、マントラを唱えるとか、意識を集中する瞑想などにも言及したり、又彼の真我実現に関する主たる道は、ジニャーニ.ヨガ(知識の道)やバクティ.ヨガ(帰依の道)の本質的な部分に触れているようなところも感じます。(ただ私は、それらは通り一辺のその行法の形を超えたもののように理解してますが...)
これに対してマハラジは、もうホントに私には取りつくシマが無いようで、戸惑いを覚えることが多いです。
例えば、ラマナのように“私は在る“という意識の状態を求めなさい、と説いたかと思うと、一方では、“私は在る“というのは概念(?)なのだから、それは超えなければならない、と説いたりしているのです。
意識を超えた絶対的な状態というものがあるんだとか!...ところが意識というのは自然発生するものだと言う...まあ、これは当たり前のことのようですが、少なくとも私には、その無為的なものをどうやって超えていいのか分かりゃしないですよ。勿論、その絶対状態とかもです。
(意識は概念?...何がそう思うのか感じるのか?...意識無しに誰が何を語れようか?)
...と、こう書いているだけで、何を言っているのか分からないと思う方もおられるでしょう?
分からなくていいですよ!(長々とすみません!)...分からないものは分からなくていいのです。
本当に腑に落ちて、得心することも無いのに、頭だけで分かったつもりになるのは、実にナンセンスなことですよ。
霊性の道は、観念のお遊戯でも、常人を超えた境地に至ろうと、エゴマインドをくすぐられることでも無いのです。(悟りマニア多いのお!)
本当には分からないことを分かろうとするのは、そう考えている自分だ、といことを知らねばなりません。
先の例で、仮に意識というのは概念だとすると、その意識を超えた絶対状態というものも、頭脳知にかかれば容易く概念となり得ると言えるでしょう。
言葉、概念というものは、思いを超えたもの無しには超えられないのです。霊性も開かれないのです。
だから、瞑想でもいいですが、祈ったらいいのです。
とにかく自分の思い、力を超えたものに乗っからなければならないでしょう。(マハラジも本当に伝えたいことはそういうことだと思いますよ)
自分を超えたもの、あなたの主なるものにつながることから開かれることなのです。
あーでもない、こーでもないという理屈では通りません。
主にゆだねれば、分かっても分からなくても、“通る“、開かれるものを感じて来るでしょう!...
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