前回の続きから私は、何故京都に来ていたのか?
はっきり覚えていることは、山陰線をずっと上って豊岡へ行こうと計画していたことです。
それは、そこに連日のように自動書記による神示を降ろしている、大本教系の秘教団体?が存在するという情報を得ていたからに他なりません。
そのことは、西村忠義さんの「人類の復活」にも載っていたし、その行脚中でも、「神政龍神会」において、何でもその団体とは時折神業を共にする関係にある、というようなことも聞いていたのです。
そこは、その昭和53年当時は、「太弥勒神光協会」と名乗っていました。
その時はまだ、その神示をまとめた冊子「神聖神言録」、新聞状のもの「光音霊之道」は、そこから取り寄せていなかったのですが、もし、その僅か一月後のことが、その盆の頃だったら、私は万難を排してそこを訪れていただろうと思われるのです。
そう、当時の私は、そのオカルティック?な神界情報とかにも多大な関心を持っていたのですから!...
しかし、そういう雑多な、いたずらに知的好奇心を満たすようなことなど、ほとんど私の内的世界には残ってなど居ないのですよ!...そういう神のお告げのようなものなど今では忘れ...られる訳が無いじゃありませんか!
「真実、真の大本とは何か、元伊勢、出雲より立ち起こるその元の仕組み、信者を集めることが大本の仕組みではない…それぞれの直霊の神霊ある故に天地経綸の主体として甦えらねばならぬ道、そこに大本の三千年の仕組みの実りがあるのであるぞ 」(神聖神言録103号)
真の大本とは、本心の座、直霊を開くこと...これによらねば神の世界のことも観念ごとに浮くばかり、宗教宗派は分離、相克を繰り返すばかり...真に、それぞれに鎮まる直霊こそ、神と真我をつなぐ要であり、その目覚めにより、その縦の自己の大本とつながり、横の人類とつながる道が開かれて来るのではなかろうか!
この昭和53年から55年頃にかけて、私の霊性の道において、重要な指針となる書物に相次いで巡り会うことが出来ましたが、この知られざる神示類もその一つであるのは言うまでもありません。
(これが今もなお、丹後に拠点を移して続いている、「三六九神示」の前身なのですが、後のものには、この時たたみかける告げられていた、本心、直霊の目覚めを促す内容にはあまり触れなくなったのは一寸残念に思います)
そんな訳で、その時は一寸日程的にも、所持金の関係でも、豊岡行きは断念して、山陰線(多分、今はトンネル化して見ることは出来なくなっているであろう)保津峡の険しく、美しい川と巨岩の間を曲がりくねりながら通って、初めて亀岡の大本教本部へ行って、出口王仁師の発案による、月宮宝座などを見ました。
この数個の玉からフラクタルに成る一つの神玉のオブジェよ!
これこそは、私の内部にずっと映じている真我、直霊の型取りではないか!
そおして、やはり格安という理由から、私は如何にも大本の信徒に成りすまし、前日よりはいくらかマシでしたが、やはり冷房の無い大部屋に泊まったのでした...。
はっきり覚えていることは、山陰線をずっと上って豊岡へ行こうと計画していたことです。
それは、そこに連日のように自動書記による神示を降ろしている、大本教系の秘教団体?が存在するという情報を得ていたからに他なりません。
そのことは、西村忠義さんの「人類の復活」にも載っていたし、その行脚中でも、「神政龍神会」において、何でもその団体とは時折神業を共にする関係にある、というようなことも聞いていたのです。
そこは、その昭和53年当時は、「太弥勒神光協会」と名乗っていました。
その時はまだ、その神示をまとめた冊子「神聖神言録」、新聞状のもの「光音霊之道」は、そこから取り寄せていなかったのですが、もし、その僅か一月後のことが、その盆の頃だったら、私は万難を排してそこを訪れていただろうと思われるのです。
そう、当時の私は、そのオカルティック?な神界情報とかにも多大な関心を持っていたのですから!...
しかし、そういう雑多な、いたずらに知的好奇心を満たすようなことなど、ほとんど私の内的世界には残ってなど居ないのですよ!...そういう神のお告げのようなものなど今では忘れ...られる訳が無いじゃありませんか!
「真実、真の大本とは何か、元伊勢、出雲より立ち起こるその元の仕組み、信者を集めることが大本の仕組みではない…それぞれの直霊の神霊ある故に天地経綸の主体として甦えらねばならぬ道、そこに大本の三千年の仕組みの実りがあるのであるぞ 」(神聖神言録103号)
真の大本とは、本心の座、直霊を開くこと...これによらねば神の世界のことも観念ごとに浮くばかり、宗教宗派は分離、相克を繰り返すばかり...真に、それぞれに鎮まる直霊こそ、神と真我をつなぐ要であり、その目覚めにより、その縦の自己の大本とつながり、横の人類とつながる道が開かれて来るのではなかろうか!
この昭和53年から55年頃にかけて、私の霊性の道において、重要な指針となる書物に相次いで巡り会うことが出来ましたが、この知られざる神示類もその一つであるのは言うまでもありません。
(これが今もなお、丹後に拠点を移して続いている、「三六九神示」の前身なのですが、後のものには、この時たたみかける告げられていた、本心、直霊の目覚めを促す内容にはあまり触れなくなったのは一寸残念に思います)
そんな訳で、その時は一寸日程的にも、所持金の関係でも、豊岡行きは断念して、山陰線(多分、今はトンネル化して見ることは出来なくなっているであろう)保津峡の険しく、美しい川と巨岩の間を曲がりくねりながら通って、初めて亀岡の大本教本部へ行って、出口王仁師の発案による、月宮宝座などを見ました。
この数個の玉からフラクタルに成る一つの神玉のオブジェよ!
これこそは、私の内部にずっと映じている真我、直霊の型取りではないか!
そおして、やはり格安という理由から、私は如何にも大本の信徒に成りすまし、前日よりはいくらかマシでしたが、やはり冷房の無い大部屋に泊まったのでした...。
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