播州高砂の北方に高御位山なる、古来播磨富士とも呼び慣らされている名山あり
その山頂には異様、偉容に巨岩が仁王のように下界を見下ろすようにもそびえている
されど、その南斜面は岩肌ばかり目立つはげ山だった...木はあまり育っていない
神の気、霊気、火の気...水の気が足りないよう...
ここは古来より神の道、修験道の聖地だった
鹿島明神、熊野権現、艮の金神...古伝所縁の道を借りてこそ表れ、開かれる本末の道
古伝侮るなかれ...
神の社は、主神を祀り、主一無適の道を明らかにする場
四体あっても、一体に帰一されるものを欠いては...立たない、開かれない
神は人に鎮まれども人に非ず...本末誤るなかれ...
その南麓にある聖地が設けられ、四面体の角柱があった
銅製であったか、何か文字が刻まれてあったが、錆び付き、色褪せて、判読出来ない
四つの何かのメッセージらしきもの...古色蒼然のうちに消えてしまったのか?
そして、その下には何の変哲もない、一軒家にしてはやや広い、お家があった
そこが、"人類の帰り場所"なのだ、と言う
私はそこを訪れる度に聞かされた..."お帰りなさいi"
"今、帰りましたi"、と言うべきなのか?...一度も言ったことはない気がするが...
そこが、"人類の、世界の歴史開顕の時を告げる"場なのだ、と言う
時の声侮るなかれ...
今、時の人たちは何を求め、何を望み、どこへ向かおうとしているのか?
その言葉にならない叫びに耳を傾けなければならない...
その口を塞ぐようなマネをしたら、開かれるものも閉ざしてしまうだろう...
されど、なるようにしかならないのも時の定め...
みんな、どこへ行ってしまったのだろう...
新しい人類...
高御位山に日が落ちる...
すべては過ぎ去ってゆく...
されど...たとへ誰も居なくなったとしても...私の書かれざる聖典には、ハッキリとずっと記されている...
"ときのひと"
秋から冬へ、花は散り、木は枯れて景色は移りゆけども...
石が叫ぶ時が来ることもあろうことなど、誰に知り得ようか?
見える火は消え去ろうとも、内なる火は燃え続ける...
どこかで、人知れずその火種は絶やせず受け継がれているのだろう...
その山頂には異様、偉容に巨岩が仁王のように下界を見下ろすようにもそびえている
されど、その南斜面は岩肌ばかり目立つはげ山だった...木はあまり育っていない
神の気、霊気、火の気...水の気が足りないよう...
ここは古来より神の道、修験道の聖地だった
鹿島明神、熊野権現、艮の金神...古伝所縁の道を借りてこそ表れ、開かれる本末の道
古伝侮るなかれ...
神の社は、主神を祀り、主一無適の道を明らかにする場
四体あっても、一体に帰一されるものを欠いては...立たない、開かれない
神は人に鎮まれども人に非ず...本末誤るなかれ...
その南麓にある聖地が設けられ、四面体の角柱があった
銅製であったか、何か文字が刻まれてあったが、錆び付き、色褪せて、判読出来ない
四つの何かのメッセージらしきもの...古色蒼然のうちに消えてしまったのか?
そして、その下には何の変哲もない、一軒家にしてはやや広い、お家があった
そこが、"人類の帰り場所"なのだ、と言う
私はそこを訪れる度に聞かされた..."お帰りなさいi"
"今、帰りましたi"、と言うべきなのか?...一度も言ったことはない気がするが...
そこが、"人類の、世界の歴史開顕の時を告げる"場なのだ、と言う
時の声侮るなかれ...
今、時の人たちは何を求め、何を望み、どこへ向かおうとしているのか?
その言葉にならない叫びに耳を傾けなければならない...
その口を塞ぐようなマネをしたら、開かれるものも閉ざしてしまうだろう...
されど、なるようにしかならないのも時の定め...
みんな、どこへ行ってしまったのだろう...
新しい人類...
高御位山に日が落ちる...
すべては過ぎ去ってゆく...
されど...たとへ誰も居なくなったとしても...私の書かれざる聖典には、ハッキリとずっと記されている...
"ときのひと"
秋から冬へ、花は散り、木は枯れて景色は移りゆけども...
石が叫ぶ時が来ることもあろうことなど、誰に知り得ようか?
見える火は消え去ろうとも、内なる火は燃え続ける...
どこかで、人知れずその火種は絶やせず受け継がれているのだろう...
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