都心では連日真夏日が続いています。
熱中症にはくれぐれも気を付けましょう。
どんなにガンバっても、体も心も"超特大ヒーター"の前には無力なんですからね...。
私は二度ばかしそれになったことありますが、手足や特に後頭部から首にかけて"ひきつり"みたいなのを感じたら、その徴候と思った方がいいです。
そして手足がシビれてきて、思考力も弱まってきたら...もう手遅れかもしれません。
とにかくそうなったら横にならないと絶対によくなりません。全身の血流が登らなくなるためです。
そして大抵自動的に眠たくなるのがフツーで、寝て起きたら大分マシになってることでしょう。
私がしばしば言及している"現臨に捉えられる"ーそれは意識の目覚めを伴うものですがーという事態は、その最初は実にこの熱中症とよく似ているのです。
"ジンジンしてきたあ"というのがその徴候の一つですが、そういう前触れ無しに"いきなり"という場合もあります。
そして手足というか、もう全心身にシビレを感じ、思考機能がマヒしてしまうような事態になることを私は"神の手がかかる"と言っています。
ある抗し難いエネルギー、ハタラキとの交換が始まるのです。
こうなるともう手遅れ...ジタバタしたってもう逃げられませんぞi 降参なさいi それしか道は無いのですi
熱中症の場合、心身の重さ、シンドさというのは取れなくて横になってるしか無いのですが、こっちは身体とか思考など表層部分が弱まるに比して隠れた別の部分が...そうです、目覚めるのですi 寝てなど居られませんi
又、何か、こう...ぎゅーっ、と自分の全存在を中心に世界が収斂してくる感じになる..."惹き付けてやまない"とか言いますが、文字通り惹き付けられてしまうのですi
思考機能がマヒするということに関してですが、それは完全に空無になってしまうことじゃなくて、思考とは別にその元の意識というのは保たれているのです。アレコレ思いを巡らしたりすることなどが出来なくなるということです。
そこでは、それまで信じ込んでいたある信仰とか信念とかは一端手放しとなり、思考というフィルターを通さないものに直に目の当たりにされるのです。(もっともこの"目覚めから覚めた"後、そのままその信仰なりを捨て去ってしまうか、どうかはその人次第ですが...)
このように、自分の思いを超えて起きるような事態についてどう感じてきますか?
そうなろうと思っていても、修行とかに取り組んでみても、一向にそうならないものが、"ああっ"という間にそうなる...これを恩寵と言わずして何であろう...。
それとも...自分がそれまで信じ込んでいたもの、後生大事にしてきたものを手放すことになるなんて..."裁き"以外の何ものでもないと思いますか?
ただ私は、この連日の猛暑の中で感じています。
見えざる熱射光はいよいよ強く我々を照らし、いよいよ深く浸透していくのを...我々の思いを超えて...
それを神の恩寵と取るか、裁きと取るかはあなた次第ですi
熱中症にはくれぐれも気を付けましょう。
どんなにガンバっても、体も心も"超特大ヒーター"の前には無力なんですからね...。
私は二度ばかしそれになったことありますが、手足や特に後頭部から首にかけて"ひきつり"みたいなのを感じたら、その徴候と思った方がいいです。
そして手足がシビれてきて、思考力も弱まってきたら...もう手遅れかもしれません。
とにかくそうなったら横にならないと絶対によくなりません。全身の血流が登らなくなるためです。
そして大抵自動的に眠たくなるのがフツーで、寝て起きたら大分マシになってることでしょう。
私がしばしば言及している"現臨に捉えられる"ーそれは意識の目覚めを伴うものですがーという事態は、その最初は実にこの熱中症とよく似ているのです。
"ジンジンしてきたあ"というのがその徴候の一つですが、そういう前触れ無しに"いきなり"という場合もあります。
そして手足というか、もう全心身にシビレを感じ、思考機能がマヒしてしまうような事態になることを私は"神の手がかかる"と言っています。
ある抗し難いエネルギー、ハタラキとの交換が始まるのです。
こうなるともう手遅れ...ジタバタしたってもう逃げられませんぞi 降参なさいi それしか道は無いのですi
熱中症の場合、心身の重さ、シンドさというのは取れなくて横になってるしか無いのですが、こっちは身体とか思考など表層部分が弱まるに比して隠れた別の部分が...そうです、目覚めるのですi 寝てなど居られませんi
又、何か、こう...ぎゅーっ、と自分の全存在を中心に世界が収斂してくる感じになる..."惹き付けてやまない"とか言いますが、文字通り惹き付けられてしまうのですi
思考機能がマヒするということに関してですが、それは完全に空無になってしまうことじゃなくて、思考とは別にその元の意識というのは保たれているのです。アレコレ思いを巡らしたりすることなどが出来なくなるということです。
そこでは、それまで信じ込んでいたある信仰とか信念とかは一端手放しとなり、思考というフィルターを通さないものに直に目の当たりにされるのです。(もっともこの"目覚めから覚めた"後、そのままその信仰なりを捨て去ってしまうか、どうかはその人次第ですが...)
このように、自分の思いを超えて起きるような事態についてどう感じてきますか?
そうなろうと思っていても、修行とかに取り組んでみても、一向にそうならないものが、"ああっ"という間にそうなる...これを恩寵と言わずして何であろう...。
それとも...自分がそれまで信じ込んでいたもの、後生大事にしてきたものを手放すことになるなんて..."裁き"以外の何ものでもないと思いますか?
ただ私は、この連日の猛暑の中で感じています。
見えざる熱射光はいよいよ強く我々を照らし、いよいよ深く浸透していくのを...我々の思いを超えて...
それを神の恩寵と取るか、裁きと取るかはあなた次第ですi
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