ベルジャーエフは、随所で”自由”ということを高調しました。
その「自由は霊からくる」と言う。...
真に然り!...霊、霊性は思いを超えたところからくる。いつも言うように、思いに囚われていることが不自由なことなんです!
その宗教、霊性の道は何とトラワレで溢れていることか!
悟りを開くには、その思考マインドを無くさなければならない、欲望を、肉体を(狂気の沙汰ではないか!)無くさなければならない!...それにはチャクラをすべて開かなければならない、前世のカルマもすべて清算しなければならない!...
どこにも根拠などない不確かなことを信じ込む...そうして何十年も修行してどうなったというのでしょうか?...
覚醒、解脱とか言う。そういう思いに囚われた人は、それが本当はどういうものか分からないらしいです。
常人を超えた、高い次元に進化した境地?、カルマからの解脱?...普通に考えれば分かるでしょう。それは、そういう境地に肖りたいエゴを満たすものでしか無いのです。
つまり、モロ思考、欲望から自由でない心的状態ということではありませんか?、解脱とは、肥大するばかりの自我意識からの解放でなくて何であろう!
このトラワレとは、ほとんどが他人の言葉に支配されている状態と言ってもいいでしょう。裏を返せばそれは、自己信頼の欠如ということです。
自分は自分のままでいい!...そう、それが自由であるということなんだ!
宗教の狂信者、容易くカルトにハマる者...他人の言葉に支配されている限り、覚醒などあり得ないのです。何故ならば、それは催眠術にかかっていることと同じだから!...
自由であることは、神からも自由ということなんですよ。とはいえ、それは神にまつわる
他人、集団の言葉から...ということなのですが...あなたは神に上から支配されているのか?、欲望や邪念を捨てないと、悪い行為を改めないと裁きを受けなければならないのか?
こういう思いに支配されるほどナンセンスなことはありません。
何故ならば、自由は神からくるのだから!...神という言葉がイヤなら、法(ダンマ)でも、妙智力でも、高次元パワーでも何でもいいでしょう。要するに思いを超えたもの、霊なるもののことです。
人が言ってる神、どっかのエライ人からの支配、トラワレがどこから来るのか?...この自分が、”信じ、従い、為さなければならない”、という風に刷り込まれてしまうからです。
そういう思いを超えたもの、真の解放者である、神に意識が向けられないから...これは、ありのままの自分を受け入れられないということでもあります。
あなたが心底自由であることを望むのなら、ソクソクと何かが来たる(如来といわんか?)のを、それがあなたに直に臨むのが感じられて来る...かもしれない。
もし、それがあなたを捉えたなら、あなたはもう受け入れるしかありません。それはそのままのあなたを受け入れることなのです。
神の手に捉えられる...思考も為そうとする力も自由が利かなくなる。神は強制を持って支配するものなのか!
これは、私もどう説明していいか分かりませんが、それは、心の底で望んでいたことはハッキリ分かるのです。
そして、私は初めて光が私の実存に差し込んだその時、本当の自由、全き自由というものを実感したのでした。
私は如何に自分の思いによって支配され、苦しみ続けて来たかを、そして自由なる、愛なる神を裁き主のように恐れていたことが如何に誤ったものであるかを思い知ったのです。
その「自由は霊からくる」と言う。...
真に然り!...霊、霊性は思いを超えたところからくる。いつも言うように、思いに囚われていることが不自由なことなんです!
その宗教、霊性の道は何とトラワレで溢れていることか!
悟りを開くには、その思考マインドを無くさなければならない、欲望を、肉体を(狂気の沙汰ではないか!)無くさなければならない!...それにはチャクラをすべて開かなければならない、前世のカルマもすべて清算しなければならない!...
どこにも根拠などない不確かなことを信じ込む...そうして何十年も修行してどうなったというのでしょうか?...
覚醒、解脱とか言う。そういう思いに囚われた人は、それが本当はどういうものか分からないらしいです。
常人を超えた、高い次元に進化した境地?、カルマからの解脱?...普通に考えれば分かるでしょう。それは、そういう境地に肖りたいエゴを満たすものでしか無いのです。
つまり、モロ思考、欲望から自由でない心的状態ということではありませんか?、解脱とは、肥大するばかりの自我意識からの解放でなくて何であろう!
このトラワレとは、ほとんどが他人の言葉に支配されている状態と言ってもいいでしょう。裏を返せばそれは、自己信頼の欠如ということです。
自分は自分のままでいい!...そう、それが自由であるということなんだ!
宗教の狂信者、容易くカルトにハマる者...他人の言葉に支配されている限り、覚醒などあり得ないのです。何故ならば、それは催眠術にかかっていることと同じだから!...
自由であることは、神からも自由ということなんですよ。とはいえ、それは神にまつわる
他人、集団の言葉から...ということなのですが...あなたは神に上から支配されているのか?、欲望や邪念を捨てないと、悪い行為を改めないと裁きを受けなければならないのか?
こういう思いに支配されるほどナンセンスなことはありません。
何故ならば、自由は神からくるのだから!...神という言葉がイヤなら、法(ダンマ)でも、妙智力でも、高次元パワーでも何でもいいでしょう。要するに思いを超えたもの、霊なるもののことです。
人が言ってる神、どっかのエライ人からの支配、トラワレがどこから来るのか?...この自分が、”信じ、従い、為さなければならない”、という風に刷り込まれてしまうからです。
そういう思いを超えたもの、真の解放者である、神に意識が向けられないから...これは、ありのままの自分を受け入れられないということでもあります。
あなたが心底自由であることを望むのなら、ソクソクと何かが来たる(如来といわんか?)のを、それがあなたに直に臨むのが感じられて来る...かもしれない。
もし、それがあなたを捉えたなら、あなたはもう受け入れるしかありません。それはそのままのあなたを受け入れることなのです。
神の手に捉えられる...思考も為そうとする力も自由が利かなくなる。神は強制を持って支配するものなのか!
これは、私もどう説明していいか分かりませんが、それは、心の底で望んでいたことはハッキリ分かるのです。
そして、私は初めて光が私の実存に差し込んだその時、本当の自由、全き自由というものを実感したのでした。
私は如何に自分の思いによって支配され、苦しみ続けて来たかを、そして自由なる、愛なる神を裁き主のように恐れていたことが如何に誤ったものであるかを思い知ったのです。
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