人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

段階を超えて

2024-07-20 09:28:14 | 覚醒
悟りや精神的覚醒を求めて探求、修行などに打ち込む...
自分は、まだそれに与るにはまだ早いと感じてか、その理論的なものを理解しようと、色々思考を巡らす、又はそれに見合うよう善行に励み、道徳性を身につける...あるいは身体的鍛錬に取り組んだりする...
その境地に至るには幾つか段階があると踏んでいる訳ですね。
しかし、そうしている間に、神の方からそのみ手が迫ってきたらどうするのですか?
神の手に捉えられてしまうのですよ!
“自分にはまだ早いからも少し、そう、あと2.3年くらい待って下さい!“、とその声なき声の主に訴えるのですか?
こんなナンセンスなことは無い!...一体何のための探求、修行なのでしょうか?
こういう人は、その前段階的な探求、信仰、信念、修行などにご執心なだけで、その実それに与ることなど望んでなどいないのでしょう!
つまり、悟りに至る諸々の段階というものは、ただそのように考えられているだけ、ということなのです。つまりこれは、全く思慮分別を超えているということなんだってば!
神の手に捉えられるということは、段階もヘチマもなく、それを受け入れるか、どうかだけしかありません。それがあなたの神の時なんです!
もし、先のように神に訴えるとしたら、その時を逸してしまうことになるでしょう。
今生でそれに巡り会うのか、何度生まれ変わっても巡り会わないかもしれないのですよ!
だから、そんなナンセンスなことは無い、と言うのです!
現実的には、もし、神の手の迫りを感じたなら...ジンジンと心身に何かが浸透して、震えてくるような感じ、意識が何かの中心に集まってくるような感じ、何も考えられなくなるような感じを覚え始めたら...
まだ思考は働いている...一体何が迫っているのか?、神か悪魔か?、自分のような人間に関わるのだからきっと低級霊の類に違いない?...しかし、その迫り来るものの向こうに感じられるものは何だろう?...何か人生で経験したことの無い、とても喜ばしきものなんじゃないだろうか?...
この最後のものが感じられたなら、もはや手遅れでしょう!
それで、一気に“意識は持って行かれ“てしまうのです!
人生で経験したことの無い、愛、平安、リアリティ...この前にはどうしたって抵抗出来ません!
抵抗する人間は、さっさと人間をヤメるべきです!
...というようなことを書いて、始めて神の手に捉えられた数十年前、私はやっぱり人間として未熟だった、と思わざるを得ません。
でも、それに与るに際して、幾つか段階を踏まなきゃ、と思ったことはありませんでした。
どこかで、“神に出会う段階“は、人間が歩む段階を全く超えていると感じていたようでした。...





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