昨日は、好天に恵まれたので、久しぶりに板橋~北区にまたがる石神井川下流の遊歩道に散策に行きました。
この辺りは、江戸の昔から安藤広重の江戸名所図会でも描かれているように紅葉の名所で知られています。
確か私が関西在住だった、平成5年でしたか、東京駅に着くや否や、”一刻も早くそこへ行かねばならない”と馳せて向かった事が有ります。
何故そんなに急いでいたかというと、日が落ちかかっていたからです!
誰が何と言っても、この辺(観音橋とか、その名も紅葉橋の上とか)から望む夕日は”百万ドルの夕日”なのです!
日が暮れたら元もコも無い…”何時だって夕日は見られるよ”ですって…冗談じゃありません!
なーんにも分かっちゃいない…今日、この日、この時の夕日というのは、その時しか無いんです!
それにしてもこの石神井川下流地域、都会のど真ん中にあって、何とも得難い渓谷美を醸し出しているではありませんか…
こういう風に書いていて、中には奇妙な事を言っていることに気付いた人も居られるかも知れません。
”渓谷というのは川の上流にあるものじゃないの?”と…これが石神井川流域の不思議さを物語っているのです。
上流部の西武線沿線の”東伏見”辺りなど、水面と地表がずっと低く、実際はかなりの高低差が有るにも関わらず、流れを下るにつれて、だんだん崖が高くなり、低地から台地へと流れているみたいに錯覚しそうです。
そもそもの水源というものが石神井公園の池とか、西武線の武蔵関近くの富士見池とか、小金井公園のらしき所とか、いくつもある、というのが不思議です。
これには東京の断層構造と密接な関係が有るのですが、川の流れによる浸食だけでなく、強く、突発的な土地の隆起の影響も考えられることです。
そんな物騒な地殻活動とは無縁のように、ここで水面に遊ぶカモたち…結構人馴れしているようです。
平成5年といえば、矢ガモ事件がありました。覚えていますか?
”たかがカモ、されどカモ”…東京都民ばかりか、全国で一匹の無残にも矢が突き刺さったまま懸命に生きようとしているカモに関心が集められたのでした。私はこの模様を良くも悪くも東京の人たちの命に対する心性を映し出しているものと、注目して見続けていたのでした。その頃から無性にここを訪れたいと感じていたのです。
この矢ガモ、この石神井川と上野の不忍池を往来していたらしいです。もしかして見えない流路を辿っていたのでしょうか?
石神井川は、今では王子から東へと流れ、隅田川に注いでいますが、かつては南下して不忍通りに沿うように不忍池を経て東京湾に注いでいたのです。
同じように流れていた川に谷田川(谷中よみせ通りの下を流れていた)が有りましたが、これと旧石神井川というのが同じなのか違うのか、意見が分かれているようです。谷田川というのは明らかに別の水源(染井霊園付近)が有るのですが、自然と合流したか、人工的につなげられたかしたらしいです。
それとも記録から消えたもう一つの”源流”があったのか?
真実のことは、昔の人か超能力ガモに聞かなきゃ分からないでしょう…。
そして、今目に見えている王子から先の最下流部(景観はそれまでと一変していかにも下町の川という風情になります)も、自然作用による流路の変化なのか、人工による治水工事によるものなのか、これまた定説が無いのです。
人工河川にしては、蛇行が目立つし、反面あまりにも地形が人工の手を加え安く、平板になってやしまいか、とも思えるのです。
私の推測では…多分、両方正しいでしょう…もっとも真実は昔の人か超能力ガモに聞かなきゃ分からないでしょう。
何にせよ、石神井川の水は今も昔も(今は隅田川を経て)東京湾に注いでいたのです。そしてそれは太平洋につながっているのです。
だが、ここ今も伝わる紅葉の名所付近の風情は、ここだけしか味わえない、他に代えることの出来ないユニークなものに違いないものです…。
矢ガモばかりか、ワニやアライグマも出現…神秘をたたえ、流域のアチコチに散在する古代遺跡に見るように、古代人も愛した石神井川、私の東京をいつも彩っています。
この辺りは、江戸の昔から安藤広重の江戸名所図会でも描かれているように紅葉の名所で知られています。
確か私が関西在住だった、平成5年でしたか、東京駅に着くや否や、”一刻も早くそこへ行かねばならない”と馳せて向かった事が有ります。
何故そんなに急いでいたかというと、日が落ちかかっていたからです!
誰が何と言っても、この辺(観音橋とか、その名も紅葉橋の上とか)から望む夕日は”百万ドルの夕日”なのです!
日が暮れたら元もコも無い…”何時だって夕日は見られるよ”ですって…冗談じゃありません!
なーんにも分かっちゃいない…今日、この日、この時の夕日というのは、その時しか無いんです!
それにしてもこの石神井川下流地域、都会のど真ん中にあって、何とも得難い渓谷美を醸し出しているではありませんか…
こういう風に書いていて、中には奇妙な事を言っていることに気付いた人も居られるかも知れません。
”渓谷というのは川の上流にあるものじゃないの?”と…これが石神井川流域の不思議さを物語っているのです。
上流部の西武線沿線の”東伏見”辺りなど、水面と地表がずっと低く、実際はかなりの高低差が有るにも関わらず、流れを下るにつれて、だんだん崖が高くなり、低地から台地へと流れているみたいに錯覚しそうです。
そもそもの水源というものが石神井公園の池とか、西武線の武蔵関近くの富士見池とか、小金井公園のらしき所とか、いくつもある、というのが不思議です。
これには東京の断層構造と密接な関係が有るのですが、川の流れによる浸食だけでなく、強く、突発的な土地の隆起の影響も考えられることです。
そんな物騒な地殻活動とは無縁のように、ここで水面に遊ぶカモたち…結構人馴れしているようです。
平成5年といえば、矢ガモ事件がありました。覚えていますか?
”たかがカモ、されどカモ”…東京都民ばかりか、全国で一匹の無残にも矢が突き刺さったまま懸命に生きようとしているカモに関心が集められたのでした。私はこの模様を良くも悪くも東京の人たちの命に対する心性を映し出しているものと、注目して見続けていたのでした。その頃から無性にここを訪れたいと感じていたのです。
この矢ガモ、この石神井川と上野の不忍池を往来していたらしいです。もしかして見えない流路を辿っていたのでしょうか?
石神井川は、今では王子から東へと流れ、隅田川に注いでいますが、かつては南下して不忍通りに沿うように不忍池を経て東京湾に注いでいたのです。
同じように流れていた川に谷田川(谷中よみせ通りの下を流れていた)が有りましたが、これと旧石神井川というのが同じなのか違うのか、意見が分かれているようです。谷田川というのは明らかに別の水源(染井霊園付近)が有るのですが、自然と合流したか、人工的につなげられたかしたらしいです。
それとも記録から消えたもう一つの”源流”があったのか?
真実のことは、昔の人か超能力ガモに聞かなきゃ分からないでしょう…。
そして、今目に見えている王子から先の最下流部(景観はそれまでと一変していかにも下町の川という風情になります)も、自然作用による流路の変化なのか、人工による治水工事によるものなのか、これまた定説が無いのです。
人工河川にしては、蛇行が目立つし、反面あまりにも地形が人工の手を加え安く、平板になってやしまいか、とも思えるのです。
私の推測では…多分、両方正しいでしょう…もっとも真実は昔の人か超能力ガモに聞かなきゃ分からないでしょう。
何にせよ、石神井川の水は今も昔も(今は隅田川を経て)東京湾に注いでいたのです。そしてそれは太平洋につながっているのです。
だが、ここ今も伝わる紅葉の名所付近の風情は、ここだけしか味わえない、他に代えることの出来ないユニークなものに違いないものです…。
矢ガモばかりか、ワニやアライグマも出現…神秘をたたえ、流域のアチコチに散在する古代遺跡に見るように、古代人も愛した石神井川、私の東京をいつも彩っています。
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