(つづき)
福岡県筑紫郡那珂川町の「道善(どうぜん)二丁目」のバス停。
「道善」とは、かつてこの地区にあった「道善寺」という寺に由来しているそうだ。
岩戸、安徳、不入道、埋金、現人橋、軍誉橋…などなど、那珂川町では、即製ではない長期熟成した感じの地名に出会うことが多い。
右奥に見えるバスが止まっているところは「道善」バス停であり、二つのバス停間の距離がかなり短いが、これらは別々の停留所である。
二つのバス停がある道路が交差する交差点には「道善バス停前」という名前が付けられている。
この交差点から、国道385号を北へ約450m行ったところにある交差点には「道善交差点」という名前が付けられており、こちらの交差点のそばには「道善四角」のバス停がある(ちなみに、「道善バス停前」交差点と「道善交差点」交差点間には西鉄バスの那珂川営業所がある)。
交差点とバス停で、名称を分け合っているというかお互い譲り合っているような感じだが、「道善バス停前」「道善交差点」という名称は、この付近が「道善○丁目」と「丁目」が付く以前の「大字道善」だった頃、交差点の名前を付けるのに苦労した跡なのではないだろうか。
「大字道善字○○」の「○○」の部分、いわゆる「小字(こあざ)」名を付けてもよいのだけど、それだとマイナー過ぎて伝わらないという判断があったのかもしれない(←あくまで想像)。
一方で、「シタカ」「曲り」「貝田」「横枕」…など、交差点名に「小字」名と思われる名称が「全開」のところもある。
交差点ピンポイントでみると、地元の人間でなければいったいここはどこなのかが全くわからないが、「趣」という観点では非常にポイントが高いと思う。
バス停の名称にも、「○丁目」の施行や町名変更によって消えてしまった小字名や旧町名が残っている場合が多い。
「箱崎駅東口」は「前川町」、「大楠」は「永田町」、「東比恵一丁目」は「新町二丁目」、「重留新町」は「新村」、「松島一丁目」は「宮内」…など、一世代前の停留所名を思い出してみて、かつての地名に思いを馳せるのもよいかもしれない。
また、「月見町」「網屋町」「巴町」「瑞穂」「春住町」「扇町」「駄ケ原」「福陵町」「井開」「柿の内」…などなど、バス停名として現役の旧町名や小字名については、なるべく「保存」してもらいたいし、以前書いたような「天神一丁目」のように広いエリアを指すバス停名の弊害を解消する際には、むしろ「活用」してもらいたいものである。
(つづく)
福岡県筑紫郡那珂川町の「道善(どうぜん)二丁目」のバス停。
「道善」とは、かつてこの地区にあった「道善寺」という寺に由来しているそうだ。
岩戸、安徳、不入道、埋金、現人橋、軍誉橋…などなど、那珂川町では、即製ではない長期熟成した感じの地名に出会うことが多い。
右奥に見えるバスが止まっているところは「道善」バス停であり、二つのバス停間の距離がかなり短いが、これらは別々の停留所である。
二つのバス停がある道路が交差する交差点には「道善バス停前」という名前が付けられている。
この交差点から、国道385号を北へ約450m行ったところにある交差点には「道善交差点」という名前が付けられており、こちらの交差点のそばには「道善四角」のバス停がある(ちなみに、「道善バス停前」交差点と「道善交差点」交差点間には西鉄バスの那珂川営業所がある)。
交差点とバス停で、名称を分け合っているというかお互い譲り合っているような感じだが、「道善バス停前」「道善交差点」という名称は、この付近が「道善○丁目」と「丁目」が付く以前の「大字道善」だった頃、交差点の名前を付けるのに苦労した跡なのではないだろうか。
「大字道善字○○」の「○○」の部分、いわゆる「小字(こあざ)」名を付けてもよいのだけど、それだとマイナー過ぎて伝わらないという判断があったのかもしれない(←あくまで想像)。
一方で、「シタカ」「曲り」「貝田」「横枕」…など、交差点名に「小字」名と思われる名称が「全開」のところもある。
交差点ピンポイントでみると、地元の人間でなければいったいここはどこなのかが全くわからないが、「趣」という観点では非常にポイントが高いと思う。
バス停の名称にも、「○丁目」の施行や町名変更によって消えてしまった小字名や旧町名が残っている場合が多い。
「箱崎駅東口」は「前川町」、「大楠」は「永田町」、「東比恵一丁目」は「新町二丁目」、「重留新町」は「新村」、「松島一丁目」は「宮内」…など、一世代前の停留所名を思い出してみて、かつての地名に思いを馳せるのもよいかもしれない。
また、「月見町」「網屋町」「巴町」「瑞穂」「春住町」「扇町」「駄ケ原」「福陵町」「井開」「柿の内」…などなど、バス停名として現役の旧町名や小字名については、なるべく「保存」してもらいたいし、以前書いたような「天神一丁目」のように広いエリアを指すバス停名の弊害を解消する際には、むしろ「活用」してもらいたいものである。
(つづく)