INSIDE SORAMAME

福岡のバスのことなど・・

お宝?(12)

2009年03月14日 | マスコミ
(つづき)
かなり久しぶりの「お宝?

KBCラジオ「ナカジー・けいすけのゲバゲバサタデー」内の「ゲバサタ本日のお取り寄せ」にてヨーグルトが当選した。

新潟県妙高市の「クビキ酪乳」が製造した「淡雪ヨーグルト」である。

送られてくるのはちょっとだけかと思っていたが、200グラムが10パックとかなり大量であった。
しばらくは家族全員おなかの調子が良い日々が続きそうである。
どうもありがとうございました。美味しくいただきます。

今後とも、KBCラジオと淡雪ヨーグルトへのご愛顧をよろしくお願いします。
(つづく)
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お役所前の風景(76)

2009年03月13日 |   ┣ お役所前の風景
(つづき)
「大野城(おおのじょう)市役所前」のバス停。
西鉄とコミュニティバス「まどか号」のバス停が並んで建っている。

かつては下大利地区の「21番」の一部がここを終点としていたが、現在はひとつ先の「大野城サティ」まで延長されている。
またかつては、現在「二日市~朝倉街道~甘木~杷木」を走っている「40番」も、このバス停前の道路(県道福岡日田線、旧国道3号)を通って、博多駅、天神方面に向かっていた。
「40番」が二日市までの運行となった際、その代替として、現在の「41番」の一部が朝倉街道まで延長されたが、それもすぐに廃止となった。
この廃止により、太宰府市の水城・国分地区が「バス空白地帯」となったことで、コミュニティバス「まほろば号」の出現へとつながっていく訳だが、もし仮に「41番 朝倉街道行き」が細々とでも運行を継続していたとしたら、こういった展開にはならなかった可能性もある。
今から振り返ってみると、「41番 朝倉街道行き」の廃止が、その後の県内のコミュニティバス発展に与えた影響は実に大きかったと言えるかもしれない。

話は変わって、市役所前の西鉄のバス停の英字表記は「OHNOJYO CITY OFFICE」となっている。

「OHNOJYO」という表記に違和感があったので、公式にはどういう表記なのかを調べてみたところ、公式には「ONOJO」が用いられている。

県内の他の自治体の正式な英字表記を調べてみると、
 北九州市(きたきゅうしゅう) …KITAKYUSHU
 中央区(ちゅうおう) …CHUO
 城南区(じょうなん) …JONAN
 大川市(おおかわ) …OKAWA
 大牟田市(おおむた) …OMUTA
 大木町(おおき) …OKI
 大任町(おおとう) …OTO
 築上町(ちくじょう) …CHIKUJO
 上毛町(こうげ) …KOGE
となっている。

カナをそのままローマ字にしたときに、
 「~UU」となるときの2文字目の「U」
 「~OU」となるときの2文字目の「U」
 「~OO」となるときの2文字目の「O」
については、いずれも省略することになっているようだ。

一方で、飯塚市(いいづか)は「IIZUKA」であり、「~II」となるときの2文字目の「I」は省略しないようだ。

考えてみれば「東京」を「TOUKYOU」と書いたらやはりヘンなので、上記のような決まりはある意味合理的なのかもしれない。
23番」の「大蔵(おおぞう)」行きが、幕式の行先表示で「OZO」と表示されているのを見て「違和感がある」と書いたことがあるが、実は「正しい」表示だったということになる(おそらく製作者はそこまで意識してなさそうだが)。

でも大任が「OTO」、大木が「OKI」…など、文字数が少なくなるにつれ、「違和感」が増してくる気がする。
もし大町(おお・まち)という自治体があったとすると、「O TOWN」となる訳で、それはちょっとかわいそうだ。
「大野城市」の「ONOJO」についても、単純に読むと「おのじょ」だし、もし仮に「王野助尾市」(おうのじょおし)という市があったとしても、「ONOJO」が使われることになる…。
まあ、仮定の話をしてもしょうがないのだけど。

私もたまに、小倉北区の「到津」が、「いとうず」か「いとおず」か「いとおづ」か「いとうづ」かわからなくなるときがある。

日本語は難しい(こんな結論でいいのか?)。
(つづく)
コメント (4)
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チラシのオモテ(42)

2009年03月12日 |    ┣ チラシとキロク
(つづき)
今回も私が勝手に作ったものである。
今から4年前、北九州の小倉と門司港地区を結ぶ路線に新たに「73番」「83番」「170番」が仲間入りした時に製作したもの。

普段からよく利用している路線という訳でもないため、個人的には同じような路線がたくさんあるように見えてしまい、「原町経由か社ノ木二丁目経由か」「門司港駅に乗り入れるか否か」「海岸経由か山手経由か」…などが、なかなか頭に入ってこないことから、勝手に整理してみたものである。
ただ、整理したところで、「いろんな組み合わせがあるなぁ」という感想を持つ程度であり、やはり福岡地区の路線ほどは頭に入ってこない…。

なおその後、特快がなくなったり、八幡東ニュータウン行きが「76番」になったりと、現在までの間にまたいろいろと変わっており、この表は実態を反映していないのでご注意を。
(つづく)
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ぐりーんぐりーん(9)

2009年03月11日 |    ┣ colors&ぐりーん
(つづき)
福岡シティループバス『ぐりーん』」……かと思ったら違って、一般の路線バスだった。

またまたまた「偽ぐりーん」である…。
でも半分だけなので「半偽ぐりーん」、自社の広告なので「セルフ半偽ぐりーん」としておこう。

ちなみに、運行エリアはかぶっていないとはいえ、千早駅と照葉地区を結ぶシャトルバスも、かなり「偽ぐりーん度」が高い。

私の場合、本物の「ぐりーん」を目にする機会はほとんどが平日なので休日のことはわからないのだが、お客さんを3人以上乗せた「ぐりーん」を目にする確率は内閣支持率よりも低い。

「偽ぐりーん」を多く目にするという現状は、「ぐりーん」の観光客への「わかりやすさ」という点からするとかなりマイナスと言えそうだ。
だからといって、一般のラッピングバスの広告主になってくれそうな会社に「緑色はなるべく避けてください」なんてことは絶対言えないだろうから、もともとのデザインをもっと工夫すべきだったのかもしれない(まあ、結果論といえばそうだけど)。
(つづく)
コメント (2)
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キロクのカケラたち(1)

2009年03月10日 |    ┣ チラシとキロク
西鉄バスのサイトの過去の「ダイヤ改正情報」を保存したものが出てきたので、少しずつ紹介していくことにする。
ただし、すべてを保存している訳ではない(というより、保存しているのはごくごくわずかしかない)ため、かなり断片的になる点はご容赦を。

まずは1998年(平成10年)6月1日の改正から…。
-----------------------------
1998.6.1(月)改正
福岡地区において路線延長、ダイヤ変更および天神地区の停留所の変更をいたします。

【みどりヶ丘(都市高速)天神線(27B)】
みどりヶ丘団地入口から久山町内を経由してJR篠栗駅まで路線を延長し、平日19往復(土曜16往復、日祝日15往復)運行して、久山町から福岡市東区香椎、粕屋郡篠栗町においでのお客様の利便をはかります。
新設停留所
上山田南、久山役場前、久山、東久原、ピアジェ久山、大浦、篠栗霊園、篠栗駅前
運賃
久山~香椎参道 330円
久山~篠栗駅前 180円

【多々良線(72)の経路変更】
長谷橋~上山田間の運行経路を変更いたします。
新設停留所  
片山橋、古賀橋
休止停留所
伏谷道
「下山田」は、新道上に移動いたします
「伏谷道」からの定期券をお持ちのお客様は、通用期間中に限り「片山橋」、「古賀橋」で乗降のお取扱いをいたします。

【長住~天神線(55)天神起終点の延長】
天神での起終点をバスセンター前から天神北へ延長して運行いたします。

【天神地区ののりば変更】
「天神コア前」(7Cのりば)、「天神大丸前」(4Cのりば)を新設し、「愛眼前」(6のりば)、「信用金庫前」(5ABのりば)を廃止いたします。
「天神コア前」(7Cのりば)に停車  20 25 59
「天神大丸前」(4Cのりば)に停車  55 60 61 63 151 152 161

【ダイヤ変更】
次の路線の運行時刻の一部変更がございます。
野方~姪浜(1・1-2・97) 土曜・日祝日
福重~博多駅(204・205) 平日・土曜・日祝日
金武(2) 土曜・日祝日、 脇山 (3) 土曜
荒江(200) 土曜、片江(城南)博多駅 平日
桧原循環線(60)平日、屋形原急行 (161) 土曜
那珂川(62) 平日・土曜・日祝日
-----------------------------

27B」の篠栗駅までの延長、下山田付近の旧道から新道への乗せ換え、天神愛眼前や信用金庫前の廃止など、いずれもつい最近の出来事のような気がしていたが、もう10年以上が経過しているなんて、時の流れの速さを実感してしまう…。

なお、久山~篠栗駅間には、JR九州バスも走っていたが、「27B」が篠栗駅にくるようになってしばらくして廃止となった(ただし、東久原の住宅地を複乗するルートが辛うじて残っている)。

新設された「古賀橋」停留所は、トリアス久山(現トリアス)がこの翌年に開業したため、現在は「古賀橋トリアス前」となっている。

天神地区の乗り場変更は、バス乗り場集約とタクシー乗り場確保による渋滞緩和を期待して行われたと記憶しているが、実際のところ効果はあったのだろうか?
かつては、「25番」や「85番」の南行きは、天神地区で、「天神ショッパーズ前」(現在の「天神北」)、「天神愛眼前」、「天神大丸前」(現在の「天神バスセンター大丸前」)…と、かなりこまめに停車していた。
現在は「天神新天町入口」(かつての「天神岩田屋前」)や「天神協和ビル前」を始発としている便も、かつては「天神ショッパーズ前」を始発としていた。
また、昭和通りの西行きで、「天神四丁目」と「天神郵便局前」に停車するバスの整理が行われたこともある。
こう考えると、以前に比べれば、天神地区でのバスの停車停留所は全体的に少なくなったといえると思う。
ただ、全体の便数やバス以外の車両は増えているだろうから、「小手先の」対応では追いつかないというのが現実なのかもしれない。
それでも、関係各所の思惑を考えれば、「小手先ではない」対応というのはなかなか期待できそうもない。
当面は、「小手先の」対応を積み重ねざるを得ないというのも、また現実といえそうだ。
(つづく)
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チラシのオモテ(41)

2009年03月07日 |    ┣ チラシとキロク
(つづき)
平成6年12月21日現在の、桜ケ丘地区と都心部を都市高速経由で結ぶ「無番」の路線図及び時刻表の一部。

路線図のほうは一見かっこいいが、よくみると「四王子坂1丁目」「空港ランプ」「千代町ランプ」など、けっこういい加減である。

この当時の系統と平日の運行本数は以下の通りである(ちなみに画像にあるのは土曜日の時刻表)。

 ひばりが丘→空港通ランプ→天神→空港通ランプ→桜ケ丘第四   … 3本
 桜ケ丘第五→空港通ランプ→天神→空港通ランプ→桜ケ丘第四 … 1本
 桜ケ丘第四→空港通ランプ→天神→空港通ランプ→桜ケ丘第四  … 4本
 ひばりが丘→月隈ランプ→天神→月隈ランプ→ひばりが丘    … 8本
 四王子坂→月隈ランプ→天神→月隈ランプ→宇美営業所     … 1本
 四王子坂→月隈ランプ→天神→月隈ランプ→四王子坂      … 1本

上記のうち、月隈ランプ経由の便が、現在の「390番」の原型といえるだろう。
当時はまだ「38番」と「39番」も天神までやってきていたので、都市高速系統はあくまで「おまけ」的な位置付けだったように思える。
平成8年の大改正で、「37番」とともに「39番」が呉服町ランプから福岡タワー方面に行くようになり、「38番」も実質免許維持路線化に伴い博多駅止めとなったことで、それ以降、天神と桜ケ丘地区を結ぶ路線は都市高速経由のみという状態が続いている。

また、上記系統とは別に、極楽寺や原田橋方面から「→亀山→空港通ランプ→天神北ランプ→天神→千代ランプ→空港通ランプ→亀山方面へ」という系統も運行されていたが、現在は下志免以北の県道福岡太宰府線から都市高速に乗る路線はなくなっている。
下志免以南については、その後にできた「370番」で代替しているとみることもできる。

当時は、現在とは違い循環運行が行われていた。
都市高速を天神北ランプで降りて、都心部を通って、再び千代ランプから都市高速に乗るという、現在、500番台東部地区からの「直行」で採用されている手法の先駆けということができる(500番台は双方向の運行、かつ、一般道路経由と都市高速経由の組み合わせのため、まったく同じパターンという訳ではないが)。
天神から北・東・西方向には折り返し場があるが(北…那の津口や那の津四丁目など、東…吉塚営業所など、西…西公園など)、南方向にはなかなか適切な場所がないため、天神北ランプで都市高速を降りて都心部に入ってきたバスが循環運行となることは、ある意味必然なのかもしれない。

糟屋郡南部(志免町宇美町)と都心部を都市高速道路経由で結ぶ路線は、現在のように「370番」「390番」という番号が与えられるまでは、長らく「無番」であった。
番号が固定されない自由度からか、ルートの変化も目まぐるしく、私も、全ての過程を押さえきれていないというのが正直なところである。
ご存知の方がいらっしゃれば、教えていただけたら幸いです。
(つづく)
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近い遺産(18)

2009年03月06日 |    ┣ 近い遺産
(つづき)
福岡市中央区舞鶴三丁目の、昭和通りの一本北側の道。
バス停では「法務局前」が最寄りである。
私も福岡法務局に行く際に、この道をよく通る。

街路灯の柱の「寄贈 西鉄高速バス」という文字が、かつてここにバスの営業所があったことの証人となっている。

さっき気づいたのだが、今回が「INSIDE SORAMAME」800件目の記事であった。
今まで記事の「数」については全く意識していなかったのだが、「800」という数字を目にするとちょっと驚きである。
このブログも、「遺産」になってしまわないように、なるべく更新を続けていくつもりです…。
(つづく)
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く・ふ・う(5)

2009年03月05日 |   ┣ 工夫とSWEET NAIL
(つづき)
先日取り上げた四箇田団地バス停前の看板から、道路を挟んで斜め向かい側のバス停に掲示されている路線図である。

「キャナルシティ博多前」の例とは異なり、路線図は、右から左に向かって描かれている。
ただ、もう少し「く・ふ・う」というか、わかりやすく描ける余地はあったのではないだろうか…などと考えてしまう。
四箇田団地~金武営業所(イトーピア室見が丘)間のルートは、狭いエリアの割に意外と複雑なのは確かなのだけど。

「く・ふ・う」つながりでもう一つ。
少し前に取り上げた「23-1番」の新たなLED表示だが、正しくは、「箱崎埠頭」ではなく「箱崎ふ頭」という表示であった。

実際、箱崎埠頭地区のバス停の名称も「ふ頭一丁目」「ふ頭西」「ふ頭中央」…など、「埠頭」ではなく「ふ頭」なのだが、別にそこまで読みにくい漢字でもないし、「ふ頭」というどこか間の抜けた表示よりも、「埠頭」という表示で何の問題もないのではないだろうか。
これもゆとり教育の弊害なのかな??

なお、新表示に関して、"法務局前や天神の時点で「昭和通」の文字が果たして必要なのか?という問題は依然残る"と書いていたが、天神の時点では「昭和通」の表示はなく、以前提案したものにやや近いものとなっていた。
(つづく)
コメント (3)
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colors(18)

2009年03月04日 |    ┣ colors&ぐりーん
(つづき)
色付きのバス停、今回は前原市コミュニティバスの「JA伊都菜々前」。
…んっ?色が付いていない。

このバス停の前には「JA糸島産直市場・伊都菜彩」という施設があり、たしかに「彩(いろどり)」の字が入っているのだが、バス停には色が付いていない。

以前、「黄金町」で2色進んだことで、それ以降、記事のタイトルと色の数にズレが生じていたので、今回を「調整区界」とさせていただくことにする。
(つづく)
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昭和の末期 それから(5)

2009年03月03日 |   ┣ 宮地岳と昭和
(つづき)
昭和バスのサイトからダウンロードした、平成15年4月1日改正分の時刻表が出てきた。

「今宿~今宿野外活動センター」「今宿~福岡歴史の町」「今宿~三陽高校」、そして「野河内~博多駅」…いずれも現在は運行されていない。

上の原線(今宿野外活動センター発着)は2006年10月末に、城の原線とともに廃止され、現在は姪浜タクシーのマイクロバスが「今宿野外活動センター~今宿~姪浜駅」というルートで運行している。
西鉄は、城の原線の代替路線を運行しているが、上の原線には手を差し伸べなかった。

「今宿~三陽高校」というルートは、今から考えれば、「ネットワーク」という観点からすると、非常に重要な路線だったように思える。
この路線をベースとして、ウエストヒルズ、生の松原団地あたりから、九大学研都市駅(イオン伊都SC)への路線なども考えることができたのではないだろうか…。

野河内線は、何度か利用したことがあるが、あるときは、上りで、西鉄と重複する区間のバス停から乗ってこようとするお客さんに対し「昭和バスですけどいいですか?」と確認していた。
「“バスカードや各種パスは使えないし、停車するバス停も西鉄よりも少なかったりしますけど、それでも”いいですか?」という意味なのだろうが、「昭和バスですけどいいですか?」というかなり自虐的な問いかけに驚いたものだった…。
なお、当路線が走っていた内野から西入部五丁目(現在の西鉄のバス停。昭和バス時代は「浦江」と「西入部」の間)までは、現在バスが走っていない。
(つづくかも)
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