今年は園田で開催されるJBC。そのうちJBCスプリントの最大の前哨戦といえるのが今夜の東京盃です。
タイセイアトムが大きく出遅れ。ヴァンクルタテヤマが難なくハナを奪って逃げ,チヨノドラゴン,キングオブライヒといった伏兵がこれを追いかけていく展開に。前半の600メートルは34秒3。コース形態上どうしてもハイペースになりますが,箆棒なペースではないと思います。
直線に入るところで一旦は後ろとの差を広げたヴァンクルタテヤマですが,伏兵に絡まれたのが応えたか残り200メートルほどで一杯に。好位の内からスムーズに馬群を捌いてきたフジノウェーブがあっさりとこれを捕えて優勝。おっつけながらもやや後ろからの競馬になったディープサマーは,かなり外に持ち出してきましたがこちらもゴール前でヴァンクルタテヤマを交わして2着に入り,ヴァンクルタテヤマは3着まで。
優勝したフジノウェーブは昨年のJBCスプリント以来の勝利で重賞2勝目。そのJBCスプリントも今日も休養明けの競馬で,フレッシュな状態の方が好走できるタイプなのかもしれません。また,時計は少し掛かる方がよいようです。大レース勝ちがフロックではなかったことを示す快勝でした。
鞍上は大井の御神本訓史騎手。コンスタントに勝ち鞍を上げていますが,重賞・南関東重賞勝ちはJBCスプリント以来。東京盃は初制覇。管理するのは大井の高橋三郎調教師で,2003年以来の東京盃2勝目となっています。
明日は引き続き大井で東京記念。これはルースリンド◎が中心。相手筆頭がマズルブラスト○で,ショーターザトッシ△,ケイアイプラネット△,ブルーライン△,ロングウェーブ△まで。
第三部定理七から分かることは,人間の身体は諸々の運動ないしは静止をなす力を有するわけですが,もしもその運動ないしは静止が,その人間の身体の完全性すなわち実在性を,一般的な意味で維持するような運動であり静止であるならば,その運動や静止は一般的な意味で人間の身体の本性に属する力とみなすことができるであろうということです。そこでもしも逆に,ある人間の身体の運動が,こうした観点からは人間の身体の実在性を維持することに有益であるとはいえないならば,それはむしろその個人の身体の本性に属する力であるとみなされるべきであるということになります。
そこでこうしたことから人間の身体の排尿という運動について考えてみるならば,これはもう一般的な意味で人間の身体の本性に属するといっていいのではないかと思います。膀胱に溜まった尿を身体の外に排出するという運動が,排尿の定義であるかどうかは争いませんが,少なくともこうした運動が,人間の身体の実在性を維持するために有益であること,あるいは不可欠でさえあるということには,異論の余地はないであろうと思います。実際にこれは逆に考えてみれば理解しやすく,もしも何らかの外的原因により,ある人間の身体が排尿という運動をなし得なくなった場合には,それをそのまま放置する限り,その人間の身体は徐々に破壊され,ついにはその人間は死に至るでしょう。第三部定理四が示しているのは,具体的にはそのようなことであって,このことからも排尿という運動が,スピノザの哲学においては,一般的な意味で人間の身体の本性に属するということが理解できるのではないかと思います。
タイセイアトムが大きく出遅れ。ヴァンクルタテヤマが難なくハナを奪って逃げ,チヨノドラゴン,キングオブライヒといった伏兵がこれを追いかけていく展開に。前半の600メートルは34秒3。コース形態上どうしてもハイペースになりますが,箆棒なペースではないと思います。
直線に入るところで一旦は後ろとの差を広げたヴァンクルタテヤマですが,伏兵に絡まれたのが応えたか残り200メートルほどで一杯に。好位の内からスムーズに馬群を捌いてきたフジノウェーブがあっさりとこれを捕えて優勝。おっつけながらもやや後ろからの競馬になったディープサマーは,かなり外に持ち出してきましたがこちらもゴール前でヴァンクルタテヤマを交わして2着に入り,ヴァンクルタテヤマは3着まで。
優勝したフジノウェーブは昨年のJBCスプリント以来の勝利で重賞2勝目。そのJBCスプリントも今日も休養明けの競馬で,フレッシュな状態の方が好走できるタイプなのかもしれません。また,時計は少し掛かる方がよいようです。大レース勝ちがフロックではなかったことを示す快勝でした。
鞍上は大井の御神本訓史騎手。コンスタントに勝ち鞍を上げていますが,重賞・南関東重賞勝ちはJBCスプリント以来。東京盃は初制覇。管理するのは大井の高橋三郎調教師で,2003年以来の東京盃2勝目となっています。
明日は引き続き大井で東京記念。これはルースリンド◎が中心。相手筆頭がマズルブラスト○で,ショーターザトッシ△,ケイアイプラネット△,ブルーライン△,ロングウェーブ△まで。
第三部定理七から分かることは,人間の身体は諸々の運動ないしは静止をなす力を有するわけですが,もしもその運動ないしは静止が,その人間の身体の完全性すなわち実在性を,一般的な意味で維持するような運動であり静止であるならば,その運動や静止は一般的な意味で人間の身体の本性に属する力とみなすことができるであろうということです。そこでもしも逆に,ある人間の身体の運動が,こうした観点からは人間の身体の実在性を維持することに有益であるとはいえないならば,それはむしろその個人の身体の本性に属する力であるとみなされるべきであるということになります。
そこでこうしたことから人間の身体の排尿という運動について考えてみるならば,これはもう一般的な意味で人間の身体の本性に属するといっていいのではないかと思います。膀胱に溜まった尿を身体の外に排出するという運動が,排尿の定義であるかどうかは争いませんが,少なくともこうした運動が,人間の身体の実在性を維持するために有益であること,あるいは不可欠でさえあるということには,異論の余地はないであろうと思います。実際にこれは逆に考えてみれば理解しやすく,もしも何らかの外的原因により,ある人間の身体が排尿という運動をなし得なくなった場合には,それをそのまま放置する限り,その人間の身体は徐々に破壊され,ついにはその人間は死に至るでしょう。第三部定理四が示しているのは,具体的にはそのようなことであって,このことからも排尿という運動が,スピノザの哲学においては,一般的な意味で人間の身体の本性に属するということが理解できるのではないかと思います。