3年連続での師弟対決となった女流王位戦五番勝負第一局。
振駒で先手は石橋幸緒女流王位。▲7六歩△3四歩に対する▲6六歩を見て,後手の清水市代女流二冠は真直ぐに右四間飛車に。先手の3手目▲6六歩に,飛車先を突かずに腰掛け銀から右四間飛車を目指すのは,第16期銀河戦決勝トーナメント準決勝で佐藤康光棋王も用いている作戦で,有力な選択肢のひとつ。その将棋は先手の振飛車になりましたが,石橋女流王位は居飛車を選択したので,14手目には△6五歩と早くも後手から仕掛けました。

第1図以下,▲7八金△6六歩に▲同金。ここで△6五銀だと一気に終盤ですが△6五歩。これには▲5五金と出て,一応は落ち着きました。先手としてもいい形とはいえないかもしれませんが▲6七歩が打てて一安心だったかもしれません。
おそらくこの将棋の勝着となったのは第2図の▲2四銀でしょう。

ここから△3二玉▲3三銀成△同金となりましたが,この駒得は大きい感じです。してみると▲2四銀の直前,△4三銀と上がったのはやや疑問だったかもしれません。
この後,後手は先手の飛車を攻めてこれを取ることには成功しました。

第3図から▲5三歩成△同銀▲4五桂△4四銀▲3三桂成が先手からの気持ちのいい攻め。△同銀に▲5四角と打ち,△2二玉に▲2一角成と切って△同玉▲3三角成も素早い寄せで先手の勝勢。そのまま押し切っています。
石橋王位は今期の成績が奮わず,僕が見にいった8月の京急将棋祭りの席上対局のときには「このままでは女流王位戦も危ないでしょう」と解説の渡辺明竜王に言われていましたが,その後,公務を減らしてここに臨んでいたようで,この内容ならば文句なしに楽しみです。
明日は共同通信社杯競輪の2日目で,久留米つつじ賞がメーンとして行われます。並びは山崎-佐藤-伏見で北日本,石橋-海老根で南関東,小嶋には神山,石丸-豊田の岡山。北日本で。
人間の身体が排尿という運動をしないようにすること,いい換えれば排尿を我慢するような運動をなすこと。これは一般的な意味での人間の身体の本性に含まれるような力であると考えることはできないと僕は思います。なぜなら,すでにみたように,排尿という運動自体は,たとえそれが客観的要件によって放尿とみられようと失禁とみられようと,それ自体で一般的な人間の身体の力である,すなわち,それがどんな人間の身体であっても,その人間の身体の実在性を維持するような運動であるとみなすことができるわけです。これで考えれば,排尿を我慢するような運動は,むしろこの意味では人間の身体の実在性すなわち完全性の維持を阻害するような運動であると考えられるべきであって,これを人間の身体に一般の力であると主張することは,明らかに第三部定理七に反することであると考えられるからです。実際,僕たちは,排尿という運動を過剰に我慢することについては,そういうことをしないように教えられますが,それはこのことを経験的に裏付けているのではないかと思います。
よって,排尿を我慢するような力というのは,仮にそういう力というものがあるのだとすれば,あるいはそれを力といい得るのであるとすれば,人間の身体に一般の力としてではなく,むしろ個人個人の身体に備わる力であると考えられなければなりません。そしてこのとき重要なことは,個人の身体に属するような力というものは,個人の身体の本性に属するのですから,個人の身体の本性が異なっているのに比例して,この力もまた異なると考えなければならないということです。
振駒で先手は石橋幸緒女流王位。▲7六歩△3四歩に対する▲6六歩を見て,後手の清水市代女流二冠は真直ぐに右四間飛車に。先手の3手目▲6六歩に,飛車先を突かずに腰掛け銀から右四間飛車を目指すのは,第16期銀河戦決勝トーナメント準決勝で佐藤康光棋王も用いている作戦で,有力な選択肢のひとつ。その将棋は先手の振飛車になりましたが,石橋女流王位は居飛車を選択したので,14手目には△6五歩と早くも後手から仕掛けました。

第1図以下,▲7八金△6六歩に▲同金。ここで△6五銀だと一気に終盤ですが△6五歩。これには▲5五金と出て,一応は落ち着きました。先手としてもいい形とはいえないかもしれませんが▲6七歩が打てて一安心だったかもしれません。
おそらくこの将棋の勝着となったのは第2図の▲2四銀でしょう。

ここから△3二玉▲3三銀成△同金となりましたが,この駒得は大きい感じです。してみると▲2四銀の直前,△4三銀と上がったのはやや疑問だったかもしれません。
この後,後手は先手の飛車を攻めてこれを取ることには成功しました。

第3図から▲5三歩成△同銀▲4五桂△4四銀▲3三桂成が先手からの気持ちのいい攻め。△同銀に▲5四角と打ち,△2二玉に▲2一角成と切って△同玉▲3三角成も素早い寄せで先手の勝勢。そのまま押し切っています。
石橋王位は今期の成績が奮わず,僕が見にいった8月の京急将棋祭りの席上対局のときには「このままでは女流王位戦も危ないでしょう」と解説の渡辺明竜王に言われていましたが,その後,公務を減らしてここに臨んでいたようで,この内容ならば文句なしに楽しみです。
明日は共同通信社杯競輪の2日目で,久留米つつじ賞がメーンとして行われます。並びは山崎-佐藤-伏見で北日本,石橋-海老根で南関東,小嶋には神山,石丸-豊田の岡山。北日本で。
人間の身体が排尿という運動をしないようにすること,いい換えれば排尿を我慢するような運動をなすこと。これは一般的な意味での人間の身体の本性に含まれるような力であると考えることはできないと僕は思います。なぜなら,すでにみたように,排尿という運動自体は,たとえそれが客観的要件によって放尿とみられようと失禁とみられようと,それ自体で一般的な人間の身体の力である,すなわち,それがどんな人間の身体であっても,その人間の身体の実在性を維持するような運動であるとみなすことができるわけです。これで考えれば,排尿を我慢するような運動は,むしろこの意味では人間の身体の実在性すなわち完全性の維持を阻害するような運動であると考えられるべきであって,これを人間の身体に一般の力であると主張することは,明らかに第三部定理七に反することであると考えられるからです。実際,僕たちは,排尿という運動を過剰に我慢することについては,そういうことをしないように教えられますが,それはこのことを経験的に裏付けているのではないかと思います。
よって,排尿を我慢するような力というのは,仮にそういう力というものがあるのだとすれば,あるいはそれを力といい得るのであるとすれば,人間の身体に一般の力としてではなく,むしろ個人個人の身体に備わる力であると考えられなければなりません。そしてこのとき重要なことは,個人の身体に属するような力というものは,個人の身体の本性に属するのですから,個人の身体の本性が異なっているのに比例して,この力もまた異なると考えなければならないということです。