3歳牝馬三冠のラストレースとなる秋華賞。
逃げたのはエアパスカル。これをプロヴィナージュ,ブライティアパルス,カレイジャスミン,ユキチャンなど,伏兵が追っていくという展開に。前半の1000メートルは58秒6で,これはハイペースでしょう。
このペースをプロヴィナージュは3コーナー入口直前でエアパスカルを交わして先頭に立ち,そのまま後続との差をむしろ開き加減に直線へ。わりと前にいたエフティマイア,後ろから外を追ってきたトールポピーやレジネッタはあまり伸びず,見せ場も作れませんでした。伸びてきたのは2頭で,好位のインにいたブラックエンブレムと後方のインにいて,外に出てきたムードインディゴ。この2頭がプロヴィナージュを交わしての争いになりましたが,先に抜けていたブラックエンブレムが凌いで優勝。ムードインディゴが2着,プロヴィナージュが3着で,大波乱の結末になりました。
優勝したブラックエンブレムは3月のフラワーカップ以来の勝利で大レース初制覇。桜花賞は直前に調教ができずに大敗,また前哨戦のローズステークスも大敗しましたが,これは重馬場の影響。オークスは4着でしたから,勝っても不思議のない力はありました。ただ今日は,ほかが動き出したときにもじっと内で控えていた岩田康誠騎手の好プレーが最大の勝因という気がします。
その岩田康誠騎手は6月の安田記念以来の大レース制覇で,秋華賞は初優勝。管理するのは小島茂之調教師で,こちらはこれが大レース初制覇となりました。
竜王戦は先手の渡辺明竜王が棒銀に出ると後手の羽生善治名人は右玉に。先手は銀を繰り替えてから穴熊に。封じ手から本格的な戦いに入りました。詳細は明日。
しかしこのような仕方で排尿が善であり,また排尿を我慢することは悪であるということには,いくらかの問題が残ります。というのは,善と悪を定義している第四部定義一と第四部定義二にしろ,また,こうした善悪が諸個人の喜びないしは悲しみという感情と関係していることを示している第四部定理八にしろ,善悪というのは人間の精神の外に形相的にあるようなものではなく,人間の精神のうちにある,認識されるものであるとスピノザは示しているからです。したがって,たとえば人間の身体による排尿という運動が善であるというならば,それは人間が排尿という運動を善であると認識するということでなければならないわけです。しかもそれは,この考察において示したように,それが人間の身体の完全性を促進するような運動であるから善であると,いわば理性的にみなすのではなくて,むしろスピノザが示していることに従う限り,人間が排尿という運動をなすことによって,喜びを感じるのでなければならないのです。しかるにこれを経験論的に考えてみるならば,僕たちが排尿という運動をなすことによって喜びを感じるか,あるいは別のいい方をするならば喜びを意識するかといったら,必ずしもそうではないように僕には思えます。少なくとも僕自身のことについていえば,僕が排尿という運動をするたびごとに喜びを意識しているかと問われるならば,それを否定します。
しかし一方で,このことについては,なぜそうであるのかという理由もいくつか考えられます。実際,排尿というのが善であり,それを我慢することが悪であるということは,放尿であるか失禁であるかということには関係なく,スピノザの哲学の考え方からしてその基本的なベースとならなくてはならない考え方であると僕は思いますので,その理由というのをいくつか考えてみることにします。
逃げたのはエアパスカル。これをプロヴィナージュ,ブライティアパルス,カレイジャスミン,ユキチャンなど,伏兵が追っていくという展開に。前半の1000メートルは58秒6で,これはハイペースでしょう。
このペースをプロヴィナージュは3コーナー入口直前でエアパスカルを交わして先頭に立ち,そのまま後続との差をむしろ開き加減に直線へ。わりと前にいたエフティマイア,後ろから外を追ってきたトールポピーやレジネッタはあまり伸びず,見せ場も作れませんでした。伸びてきたのは2頭で,好位のインにいたブラックエンブレムと後方のインにいて,外に出てきたムードインディゴ。この2頭がプロヴィナージュを交わしての争いになりましたが,先に抜けていたブラックエンブレムが凌いで優勝。ムードインディゴが2着,プロヴィナージュが3着で,大波乱の結末になりました。
優勝したブラックエンブレムは3月のフラワーカップ以来の勝利で大レース初制覇。桜花賞は直前に調教ができずに大敗,また前哨戦のローズステークスも大敗しましたが,これは重馬場の影響。オークスは4着でしたから,勝っても不思議のない力はありました。ただ今日は,ほかが動き出したときにもじっと内で控えていた岩田康誠騎手の好プレーが最大の勝因という気がします。
その岩田康誠騎手は6月の安田記念以来の大レース制覇で,秋華賞は初優勝。管理するのは小島茂之調教師で,こちらはこれが大レース初制覇となりました。
竜王戦は先手の渡辺明竜王が棒銀に出ると後手の羽生善治名人は右玉に。先手は銀を繰り替えてから穴熊に。封じ手から本格的な戦いに入りました。詳細は明日。
しかしこのような仕方で排尿が善であり,また排尿を我慢することは悪であるということには,いくらかの問題が残ります。というのは,善と悪を定義している第四部定義一と第四部定義二にしろ,また,こうした善悪が諸個人の喜びないしは悲しみという感情と関係していることを示している第四部定理八にしろ,善悪というのは人間の精神の外に形相的にあるようなものではなく,人間の精神のうちにある,認識されるものであるとスピノザは示しているからです。したがって,たとえば人間の身体による排尿という運動が善であるというならば,それは人間が排尿という運動を善であると認識するということでなければならないわけです。しかもそれは,この考察において示したように,それが人間の身体の完全性を促進するような運動であるから善であると,いわば理性的にみなすのではなくて,むしろスピノザが示していることに従う限り,人間が排尿という運動をなすことによって,喜びを感じるのでなければならないのです。しかるにこれを経験論的に考えてみるならば,僕たちが排尿という運動をなすことによって喜びを感じるか,あるいは別のいい方をするならば喜びを意識するかといったら,必ずしもそうではないように僕には思えます。少なくとも僕自身のことについていえば,僕が排尿という運動をするたびごとに喜びを意識しているかと問われるならば,それを否定します。
しかし一方で,このことについては,なぜそうであるのかという理由もいくつか考えられます。実際,排尿というのが善であり,それを我慢することが悪であるということは,放尿であるか失禁であるかということには関係なく,スピノザの哲学の考え方からしてその基本的なベースとならなくてはならない考え方であると僕は思いますので,その理由というのをいくつか考えてみることにします。