阪神コースが改装されてから,ややそれまでとは違った傾向が出つつあるように僕には感じられるのが今日の阪神ジュベナイルフィリーズです。
2歳戦にしては逃げていた馬が少なく,展開の予想は困難でしたが,シゲルキリガミネの先導になりました。ただ,ショウナンカッサイ,ルシュクル,コウエイハートなど,先団は一団。前半の800メートルは47秒3のミドルペース。
1番人気のブエナビスタは後方からのレースとなりましたが,3コーナー過ぎから外を回って追い上げると,直線の入口ではほぼ前を射程圏内に。その後もあまり強くは追われなかったのですが,残り200メートル辺りでは早くも先頭に立つと,あとは突き放すだけ。ゴール前は抑えるほどの余裕で楽勝しました。勝ち馬より前でレースをして,一旦は先頭に立つシーンのあったダノンベルベールが2着,勝ち馬のさらに後ろから大外を追い込んだミクロコスモスが3着。
優勝したブエナビスタは新馬3着の後,未勝利を楽勝して今日が3戦目。賞金的に出走は確実ではなかったのですが,今日のレース振りを見ると最大の勝因は抽選で出走権を得たことだとさえいえそうです。タイムはここ2年よりかなり遅くなりましたが,逆にいえばそれだけ楽に勝てたということで,疲労などの面ではかえってよかったかもしれません。無事にいけば今後も多くの大レースを勝てそうです。父はスペシャルウィーク。馬名はスペイン語で素晴らしい眺め。
鞍上の安藤勝己騎手で昨年のマイルチャンピオンシップ以来,管理する松田博資調教師は昨年のジャパンカップ以来の大レース優勝。このレースは共に初制覇です。
明日は女流名人位戦挑戦者決定戦。対戦成績は清水市代女流王将が5勝,里見香奈倉敷藤花が2勝です。
それでは人間の精神による諸々の事物の想像についていよいよ本格的に考えていきますが,まずは表象の種類としての想像ということを,僕がどのように分類しているのかということを,その他の表象との関係から明らかにしておくことにします。
知覚と想起とを僕が分類するとき,両者の最大の相違点は何であったかといえば,同じようにある人間の精神がAを現実的に観想するのでも,Aがこの人間に対して実際に現前しているのかどうかという点であるといえます。いうまでもなく,現前している場合が知覚で,現前していない場合が想起です。そしてこの分類でいうなら,想像は知覚よりも想起に類似しているということになります。すなわち想像も,想像をするある人間に対して,Aが現前していない場合に,この人間がAを現実的に存在すると観想するような表象であるということになるでしょう。
では想起と想像とではどう違うのか。それは一言で示すなら,想起というのがかつてその本性を含むような仕方で刺激されたAに関する表象,いい換えれば,かつて知覚したことがあるAについての表象であるとしたら,想像というのは,まだその本性を含む仕方で刺激されたことがないAに関する表象,つまりまだ知覚したことがないAを表象することであるといえるでしょう。一般的に何を想起といい,また何を想像するというかという観点からしても,このように想起と想像とを分節することは,少なくともそれに原則的には適合しているといえるのではないかと思います。
2歳戦にしては逃げていた馬が少なく,展開の予想は困難でしたが,シゲルキリガミネの先導になりました。ただ,ショウナンカッサイ,ルシュクル,コウエイハートなど,先団は一団。前半の800メートルは47秒3のミドルペース。
1番人気のブエナビスタは後方からのレースとなりましたが,3コーナー過ぎから外を回って追い上げると,直線の入口ではほぼ前を射程圏内に。その後もあまり強くは追われなかったのですが,残り200メートル辺りでは早くも先頭に立つと,あとは突き放すだけ。ゴール前は抑えるほどの余裕で楽勝しました。勝ち馬より前でレースをして,一旦は先頭に立つシーンのあったダノンベルベールが2着,勝ち馬のさらに後ろから大外を追い込んだミクロコスモスが3着。
優勝したブエナビスタは新馬3着の後,未勝利を楽勝して今日が3戦目。賞金的に出走は確実ではなかったのですが,今日のレース振りを見ると最大の勝因は抽選で出走権を得たことだとさえいえそうです。タイムはここ2年よりかなり遅くなりましたが,逆にいえばそれだけ楽に勝てたということで,疲労などの面ではかえってよかったかもしれません。無事にいけば今後も多くの大レースを勝てそうです。父はスペシャルウィーク。馬名はスペイン語で素晴らしい眺め。
鞍上の安藤勝己騎手で昨年のマイルチャンピオンシップ以来,管理する松田博資調教師は昨年のジャパンカップ以来の大レース優勝。このレースは共に初制覇です。
明日は女流名人位戦挑戦者決定戦。対戦成績は清水市代女流王将が5勝,里見香奈倉敷藤花が2勝です。
それでは人間の精神による諸々の事物の想像についていよいよ本格的に考えていきますが,まずは表象の種類としての想像ということを,僕がどのように分類しているのかということを,その他の表象との関係から明らかにしておくことにします。
知覚と想起とを僕が分類するとき,両者の最大の相違点は何であったかといえば,同じようにある人間の精神がAを現実的に観想するのでも,Aがこの人間に対して実際に現前しているのかどうかという点であるといえます。いうまでもなく,現前している場合が知覚で,現前していない場合が想起です。そしてこの分類でいうなら,想像は知覚よりも想起に類似しているということになります。すなわち想像も,想像をするある人間に対して,Aが現前していない場合に,この人間がAを現実的に存在すると観想するような表象であるということになるでしょう。
では想起と想像とではどう違うのか。それは一言で示すなら,想起というのがかつてその本性を含むような仕方で刺激されたAに関する表象,いい換えれば,かつて知覚したことがあるAについての表象であるとしたら,想像というのは,まだその本性を含む仕方で刺激されたことがないAに関する表象,つまりまだ知覚したことがないAを表象することであるといえるでしょう。一般的に何を想起といい,また何を想像するというかという観点からしても,このように想起と想像とを分節することは,少なくともそれに原則的には適合しているといえるのではないかと思います。