どうも第53回有馬記念が終らないと年末という気分になりません。しかし今年は28日の開催なので明日から大変。こんな競馬ファンは意外にいるのではないでしょうか。
ダイワスカーレットの逃げ。それほど速いペースではありませんでしたが,後ろとは常に一定以上の差がついていました。追いかけていたのはカワカミプリンセス,メイショウサムソン,アサクサキングスなど。マツリダゴッホは作戦であったかどうか分かりませんが,かなり後ろの位置取り。3コーナー過ぎから外を捲ってはいきましたが,そこで見せ場を作っただけというようなレースでした。
称えられるべきはダイワスカーレットの強さ。追いかけていた馬も弱い馬ではない筈ですが,すべて潰されてしまいました。ほかの馬とは関係なく,最後尾からレースを進めたアドマイヤモナークが2着,中団で控えていたエアシェイディが3着と,波乱の結末になっています。
優勝したダイワスカーレットは4月の大阪杯以来の勝利。大レースは昨秋のエリザベス女王杯以来の4勝目。父はアグネスタキオン,母系はスカーレットインク一族。今日のレースを見る限り,このメンバーでは圧倒的な力があったとしかいいようがない感じです。
安藤勝己騎手は阪神ジュベナイルフィリーズに続いて,今月は大レース2勝。松田国英調教師はこの馬のエリザベス女王杯以来の大レース優勝。有馬記念は共に初制覇です。
明日は東京大賞典。ヴァーミリアン◎,フリオーソ○,カネヒキリ▲。あとサクセスブロッケン△とボンネビルレコード△。
平塚ではSSカップみのり。並びは武田ー神山ー手島の関東,海老根ー新田の南関東に山口,石丸ー紫原ー合志で西日本。関東から。
よく考えてみれば,僕たちが初体験の出来事に出会うたびごとに驚異を表象したり,表象の動揺ないしは表象の疑惑を感じていたりしては大変です。人間の精神のうちには,きわめて多くの観念がある,もちろんそれが一つひとつ意識されてはいないとしても,無意識のうちにはあるわけですから,僕たちの初体験の表象,この場合には僕は初体験の知覚を念頭においていっていますが,こうした初体験の知覚の表象像が,僕たちの精神のうちにある何らかの観念と連結するということは,さして不思議ではありません。というかむしろそういう場合の方が多い方が当然であるとさえいえるでしょう。
しかし,一般的に初体験の知覚についてこのようにいうことができるのであれば,僕たちが偶然であるとみなすような想起ならびに知覚から生じるような想像に関しては,すでにこの想像が直接的に連結するような観念,すなわちそうした知覚ないしは想起の表象像が明らかになっているのですから,むしろそれが人間の精神のうちに生じる因果関係そのものは,少なくとも初体験の知覚よりは理解しやすいと思います。というのは,初体験であろうとそうでなかろうと,知覚というのは第二部定理一七によって説明されるわけですが,この場合の想像に関しては,この知覚の表象像を原因として,同じ人間の精神のうちに生じるような観念として,つまり,第二部定理五とか第二部定理九に訴えて証明ができるような観念としてあるといえるからです。
ダイワスカーレットの逃げ。それほど速いペースではありませんでしたが,後ろとは常に一定以上の差がついていました。追いかけていたのはカワカミプリンセス,メイショウサムソン,アサクサキングスなど。マツリダゴッホは作戦であったかどうか分かりませんが,かなり後ろの位置取り。3コーナー過ぎから外を捲ってはいきましたが,そこで見せ場を作っただけというようなレースでした。
称えられるべきはダイワスカーレットの強さ。追いかけていた馬も弱い馬ではない筈ですが,すべて潰されてしまいました。ほかの馬とは関係なく,最後尾からレースを進めたアドマイヤモナークが2着,中団で控えていたエアシェイディが3着と,波乱の結末になっています。
優勝したダイワスカーレットは4月の大阪杯以来の勝利。大レースは昨秋のエリザベス女王杯以来の4勝目。父はアグネスタキオン,母系はスカーレットインク一族。今日のレースを見る限り,このメンバーでは圧倒的な力があったとしかいいようがない感じです。
安藤勝己騎手は阪神ジュベナイルフィリーズに続いて,今月は大レース2勝。松田国英調教師はこの馬のエリザベス女王杯以来の大レース優勝。有馬記念は共に初制覇です。
明日は東京大賞典。ヴァーミリアン◎,フリオーソ○,カネヒキリ▲。あとサクセスブロッケン△とボンネビルレコード△。
平塚ではSSカップみのり。並びは武田ー神山ー手島の関東,海老根ー新田の南関東に山口,石丸ー紫原ー合志で西日本。関東から。
よく考えてみれば,僕たちが初体験の出来事に出会うたびごとに驚異を表象したり,表象の動揺ないしは表象の疑惑を感じていたりしては大変です。人間の精神のうちには,きわめて多くの観念がある,もちろんそれが一つひとつ意識されてはいないとしても,無意識のうちにはあるわけですから,僕たちの初体験の表象,この場合には僕は初体験の知覚を念頭においていっていますが,こうした初体験の知覚の表象像が,僕たちの精神のうちにある何らかの観念と連結するということは,さして不思議ではありません。というかむしろそういう場合の方が多い方が当然であるとさえいえるでしょう。
しかし,一般的に初体験の知覚についてこのようにいうことができるのであれば,僕たちが偶然であるとみなすような想起ならびに知覚から生じるような想像に関しては,すでにこの想像が直接的に連結するような観念,すなわちそうした知覚ないしは想起の表象像が明らかになっているのですから,むしろそれが人間の精神のうちに生じる因果関係そのものは,少なくとも初体験の知覚よりは理解しやすいと思います。というのは,初体験であろうとそうでなかろうと,知覚というのは第二部定理一七によって説明されるわけですが,この場合の想像に関しては,この知覚の表象像を原因として,同じ人間の精神のうちに生じるような観念として,つまり,第二部定理五とか第二部定理九に訴えて証明ができるような観念としてあるといえるからです。