スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

岐阜記念&想像の可能性

2008-12-22 18:55:42 | 競輪
 みんなで歌おうZが原因ですが,どうも岐阜と義父が僕の精神のうちで連結しています。昨日は義父記念ではなく岐阜記念の決勝(動画)でした。
 前受けが石橋選手。山口選手が4番手で,浅井選手が7番手という周回。
 残り2周のホームで上昇してきた浅井選手が石橋選手に並び掛けると,石橋選手は誘導を斬りました。浅井選手はバックで石橋選手を叩くと,浅井ラインに山口選手が続き,引いた石橋選手は7番手。一列棒状の打鐘から浅井選手の先行になりましたが,この状態がバックまで続いては勝負あり。石橋選手の捲りに合わせて山口選手も発進しましたが,前には関係なく,十分に車間を開いて踏み出した番手の浜口高彰選手が優勝。マークの村上選手も2着に続き,3着も浅井選手が粘り,ラインで上位独占となりました。
 優勝した岐阜の浜口高彰選手は,昨年は9月に行われた岐阜記念を制していて,地元記念連覇。記念競輪の優勝もそれ以来で,通算だと16勝目。年齢的なことからいっても,一番強かった頃の力というのはさすがにもうないのだろうと思いますが,こうして大事な地元記念を連覇するあたり,やはり立派だと思います。

 明日は名古屋グランプリ。中心はメイショウトウコン◎でしょう。ヤマトマリオン○,ワンダースピード▲,チャンストウライ△が続き,ムーンバレイ△まで。

 競輪は明日から防府記念です。これが今年最後の記念競輪です。

 この表象の動揺ないしは表象の疑惑についてのスピノザの説明は,一面では,人間の精神による事物の想像ということの可能性をはらんでいるというようにも僕には思えます。
 表象の移行がBからCないしはDのどちらに移行するべきか確定できない状態というのは,夜にCを見るかDを見るかこの人間には分からないという状態であるわけですが,これは逆に考えてみるならば,この人間がCを見ることとDを見ることの双方を想像している状態であるといえなくもないからです。
 もちろんこの表象は,すでにこの人間がCを見ることもDを見ることも経験した上での表象ですから,第二部定理一七系によって説明される表象であり,この限りでは想起です。また僕自身も,あえて過去に関する表象と未来に関係する表象ということでは想像と想起と想像とを分類しませんでした。ただここで,Cを見ることもDを見ることも,この人間の精神のうちでは,何らかの意味で確実であるとされていない,つまりある表象像から確実に連結されていないという点は,看過できないように思うのです。
 一般的に僕たちは,ある事柄を想起する場合には,確かにそれを自分が経験したこととして想起します。そういう意味で,この表象像自体は十全な観念ではありませんが,何らかの確実性を同時に表象しているとはいえるでしょう。しかし僕たちがある事象を想像するという場合には,僕たちはその事象が確実に現在するであろう,あるいは現在したであろうとは表象しません。それどころか,場合によっては,それは絶対に生じないであろう,あるいは確実に生じなかったであろうと思いつつ表象するケースさえあると思います。実はこの非確実性こそが,想像という表象の大きな特徴ではないでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする