2歳の芝ではこれが唯一の大レースとなる第60回朝日杯フューチュリティステークス。
先行争いはひとつの注目点でしたが,ツルマルジャパンの逃げになりました。ミッキーパンプキンとゲットフルマークスがこれを追走。ホッコータキオンがその後ろ。前半の800メートルは46秒3でハイペース。
後方2番手に位置していたブレイクランアウトが,3コーナーを過ぎてから外を捲るように追い上げ,直線入口では前を射影圏内に。直線でまず先頭に立ったのはホッコータキオン。これに外からブレイクランアウトが並びかけたところ。内に進路を取ったセイウンワンダーの伸びがよく先頭に。さらに外からフィフスペトルが伸びてきて,セイウンワンダーにぐんぐん迫りましたが,僅かに届かず,セイウンワンダーの優勝。フィフスペトルが2着で3着にはブレイクランアウト。4着のホッコータキオンまで,差なく入線しました。
優勝したセイウンワンダーは初戦2着の後,未勝利と新潟2歳ステークスを連勝。その後で一頓挫あったため,ここが3ヶ月ぶりでしたが3連勝で大レース制覇となりました。父はグラスワンダーで,このレース父子制覇。母系はフロリースカップ系サンマリノの分枝。
鞍上は岩田康誠騎手で,秋華賞以来の大レース制覇。管理する領家政蔵調教師は1995年の桜花賞以来の大レース優勝。このレースはふたりとも初制覇です。
中山の1600メートルは内枠が有利。フィフスペトルにとってその点は大きかったかもしれません。逆にセイウンワンダーはその利を生かした形。岩田騎手の騎乗が勝因のうちでも大きなウエートを占めたのではないかという気がします。
スピノザによる初体験の表象について考察するために,もう1度,過去と未来で説明した事例に戻ります。
朝にA,昼にB,夜にCを見るということが連続するようになると,こうしたことを知覚する人間の精神のうちで,この表象像が連結するようになります。かくしてこの人間はAの表象像からBの表象像,Cの表象像へと移行していくということになります。ところが,この人間が朝にAを見て,昼にBを見て,夜にはCを見るということは,絶対に確定している出来事であるのかといえば,これはだれにもそうであるとはいえません。そこでたとえば,ある夜には,この人間はCを見ずにDを見たと仮定します。前述の条件により,これは無理な仮定ではありません。
するとこの人間の精神のうちにはどういったことが起こるでしょうか。それは,AからBへの表象の移行が依然として確定的であっても,Cへの移行というのは確定的ではなくなるということです。むしろこの人間の表象像は,Bの表象からCの表象ないしはDの表象の双方へと移行することになるでしょう。ただし,第二部定理一八により,CとDを同時に表象するということはないでしょう。こういうのをスピノザは表象の動揺ないしは表象の疑惑といいます。つまり,ひとつの表象像から別のふたつの,あるいは複数の表象像へと移行するような状態に,ある人間の精神がおかれる状況,とくに,確定していた連結が破壊されてこうしたことが発生するような場合です。
そこでこの表象の動揺を,未来の時間と関係付けてこれを想像というならば,この人間はCについてもDについても,確実に表象することはできない,あるいは確実に想像することはできないということになります。そしてこのことは,どんな外部の物体についても妥当ですから,少なくとも,どんな外部の物体,あるいは事象についても,人間はそれを確実な仕方で想像することはできないということが帰結することになります。
先行争いはひとつの注目点でしたが,ツルマルジャパンの逃げになりました。ミッキーパンプキンとゲットフルマークスがこれを追走。ホッコータキオンがその後ろ。前半の800メートルは46秒3でハイペース。
後方2番手に位置していたブレイクランアウトが,3コーナーを過ぎてから外を捲るように追い上げ,直線入口では前を射影圏内に。直線でまず先頭に立ったのはホッコータキオン。これに外からブレイクランアウトが並びかけたところ。内に進路を取ったセイウンワンダーの伸びがよく先頭に。さらに外からフィフスペトルが伸びてきて,セイウンワンダーにぐんぐん迫りましたが,僅かに届かず,セイウンワンダーの優勝。フィフスペトルが2着で3着にはブレイクランアウト。4着のホッコータキオンまで,差なく入線しました。
優勝したセイウンワンダーは初戦2着の後,未勝利と新潟2歳ステークスを連勝。その後で一頓挫あったため,ここが3ヶ月ぶりでしたが3連勝で大レース制覇となりました。父はグラスワンダーで,このレース父子制覇。母系はフロリースカップ系サンマリノの分枝。
鞍上は岩田康誠騎手で,秋華賞以来の大レース制覇。管理する領家政蔵調教師は1995年の桜花賞以来の大レース優勝。このレースはふたりとも初制覇です。
中山の1600メートルは内枠が有利。フィフスペトルにとってその点は大きかったかもしれません。逆にセイウンワンダーはその利を生かした形。岩田騎手の騎乗が勝因のうちでも大きなウエートを占めたのではないかという気がします。
スピノザによる初体験の表象について考察するために,もう1度,過去と未来で説明した事例に戻ります。
朝にA,昼にB,夜にCを見るということが連続するようになると,こうしたことを知覚する人間の精神のうちで,この表象像が連結するようになります。かくしてこの人間はAの表象像からBの表象像,Cの表象像へと移行していくということになります。ところが,この人間が朝にAを見て,昼にBを見て,夜にはCを見るということは,絶対に確定している出来事であるのかといえば,これはだれにもそうであるとはいえません。そこでたとえば,ある夜には,この人間はCを見ずにDを見たと仮定します。前述の条件により,これは無理な仮定ではありません。
するとこの人間の精神のうちにはどういったことが起こるでしょうか。それは,AからBへの表象の移行が依然として確定的であっても,Cへの移行というのは確定的ではなくなるということです。むしろこの人間の表象像は,Bの表象からCの表象ないしはDの表象の双方へと移行することになるでしょう。ただし,第二部定理一八により,CとDを同時に表象するということはないでしょう。こういうのをスピノザは表象の動揺ないしは表象の疑惑といいます。つまり,ひとつの表象像から別のふたつの,あるいは複数の表象像へと移行するような状態に,ある人間の精神がおかれる状況,とくに,確定していた連結が破壊されてこうしたことが発生するような場合です。
そこでこの表象の動揺を,未来の時間と関係付けてこれを想像というならば,この人間はCについてもDについても,確実に表象することはできない,あるいは確実に想像することはできないということになります。そしてこのことは,どんな外部の物体についても妥当ですから,少なくとも,どんな外部の物体,あるいは事象についても,人間はそれを確実な仕方で想像することはできないということが帰結することになります。